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君にコンセプトなんかいらない

先日のnoteで、コーヒー焙煎という行為の細部において言語化できない「曖昧なもの」について書いた。

上の文章では(コーヒー焙煎という)技術・仕事に関する「曖昧なもの」について書いたけれど、僕にはもうひとつ大切にしている「曖昧なもの」がある。それはお店の運営に関することだ。

僕は前職のとき企業や事業の運営についての知識が必要で、色々な本を読んで勉強したのだけれど、そこでよく書かれていたのが下のような言葉たちだった。

・「ミッション」を明確にせよ
・「コンセプト」を練るべし
・「強み・弱み」を認識して差別化せよ

どれも企業にとっては大切なことだ。そして、こういった経営理論などと呼ばれるものがネットやビジネス書を通じて広く拡散した今の時代、個人事業主やフリーランスなど、いわゆる小商いの世界でも同じ言葉が流通するようになった。

「個人商店も自店の強みを認識して、差別化を図り、他店との競争に勝たなくてはいけない」といった具合に。

僕はこのことに違和感を覚えている。

上のような言葉たちは、企業などの(ある程度大きな)組織でビジネスをするときに有効なのであって、小商いには(メリットがあるのは認めるけれど)デメリットの方が大きいのではないかと僕は思っているからだ。 

かく言う僕も、お店をはじめてコンセプトを掲げている時期もあったのだけれど、いまはやめてしまった。

そもそもなぜ企業がミッションやコンセプトなどを明確にしなければならないのかといえば、それは第一には組織のメンバー全員が共通認識を持つためだろう。組織のメンバーが同じ認識を持って行動や発言をしないと、取引先や顧客は困惑し、信用が生まれない。商品にしても、同じ方向を向いて開発しなければ力が分散して良いモノは生まれない。

でも、この共有のための明確化=言語化によって「なんとなく」なニュアンスは削ぎ落とされ、そもそもの(たとえば経営者の想いにはあったはずの)面白みが損なわれてしまう。冒頭に貼ったnoteの表現を使えば、大切な5%を失ってしまうのだ。

企業などの組織にとっては、これは仕方のないことだと思う。その5%よりも、メンバーが共通した方向性を持つことの方がより重要だから。でも、個人商店やフリーランスは違う。わざわざその面白さの詰まった「なんとなく」なニュアンスを捨ててしまう必要はないのだ。

一部の天才は、はじめからとんでもなく素晴らしいコンセプトを丸々言語化できたりする。でも、多くの普通の人にはそんなことはできない。ただ、何かを始めようとする人は、何かにワクワクし、人には伝えきれないような想いを抱えているはずだ。それを誰かに伝えるために無理に言語化してしまわずに、丸々その想いを抱えたまま行動してみた方がきっと面白いものが生まれると思うし、そうして生まれた面白さは気づいたときには「コンセプト」なり「強み」なりになっていて、それは結果的に「差別化」につながっているはずだ。

もちろん、自分自身が考えを整理するために言語化するのは大切だし、僕もしている。ただ、人と共有するため、人にわかってもらうために無理に何かを削ぎ落として言語化するのは、もったいない。

「曖昧なままでいい」

このことは小商いの特権だと思う。
「曖昧なもの」に宿るエッセンスにこそ、小商いの面白さが詰まっている、と僕は思う。

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