新型コロナでお店を休業すべきかどうかについてひたすら考えたことを書きます
新型コロナウイルスの感染が拡大する中、僕はここ数日の間ずっとひとつの問いについて考え続けていた。
その問いとは、「お店を開け続けるべきか、一時的に休業すべきか」だ。これはいま店舗を経営している多くの事業主や経営者が共通して抱えている悩みだろう。
実際、ここ数日間で京都の知り合いのお店でも臨時休業の発表を多く目にした。その投稿文には切実な言葉が並んでいて、断腸の想いが伝わってくる。一方で営業を続ける決断をした経営者たちの言葉には、自身やお客さんへの感染拡大の不安が滲んでいる。
そんな中僕たちは、できうる限りの対策をしたうえで店を開け続ける決断をした。コーヒー豆を販売するお店をしている僕たちは、これまでも普段行っている試飲ドリンクの提供を中止したり、ドアと窓を開けて換気をしたりといった感染防止策を行ってきたが、4月からはさらに対策レベルを上げた。具体的にはお客さんの入店を取りやめて入口での受け渡しとしたり、遠方からの来店や公共交通機関を利用しての来店は控えてもらうようアナウンスしたりといった内容だ。(対策の詳細はこちらのブログの通り。「来店を控えてください」なんてアナウンスをする日が来るとは思ってもみなかった。。)この対策をはじめてから、僕たち自身の安心感が格段に増した。同時にお客さんの安心感も高まっていることと思う。
ここから先、「店を開け続ける」という今回の決断に至った検討の内容を書こうと思う。誰かに参考にしてほしいわけではない。ただ、自分の思考の記録として残しておくべきだと思った。もし同じ悩みを抱えている人の参考になったとしても、同じ決断をしてほしいと思っているわけではないことを最初にお伝えしておきたい。加えて、すでに臨時休業を決めた勇気ある経営者のみなさんの判断を否定するつもりは毛頭ないことも、あわせてお伝えしておく。
ゴールは何か
さて、「店を休業すべきかどうか」を考えるとき、なぜ休まなければいけないのかといえば「命を守ることが何よりも大切」だからだ。これに異論はない。あるわけない。一方、それでもなぜお店を開けたいのかといえば、主には「収入が無ければ生活できない」からだ(文化的な背景とか他にも色々あるんだけど、ここでは最も切実なこの理由に絞る)。こちらにも異論はない。この2つはどちらも議論の余地がない真理だ。だからこそみんな悩む。
ただ僕は、どちらも真理だからこそこれらを出発点にして考えても堂々巡りをするだけで結論は出ないと思った。僕の探している答えはその間のどこかにしかない。
だから僕は視点を変えることにした。個人レベルで考えたとき上の2つはどちらも真理で答えが出ないから、社会全体に目を向けることにしたのだ。つまり、社会全体としてのゴールを確認して、そこから自分たちが取るべき行動を考えようと思った。
では、いま社会全体におけるゴール・目標とは何か。それは、「新型コロナウイルスにまつわる問題での死者数をできる限り少なくすること」だろう。
ここで注意しなければならないのは、最小限にしなければいけないのは「新型コロナウイルスによる(直接的な)死者数」ではなく、「新型コロナウイルスにまつわる問題での(すべての)死者数」である点だ。
新型コロナウイルスの問題で人が死ぬのは、病気とは限らない。長い隔離生活は確実に人々の身体と精神を蝕むし、長引く経済的混乱もまた多くの人々を死に追いやる。日経ビジネスの記事(こちら)によると、日本の場合、失業率が1ポイント悪化すると1000~2000人、自殺者が増加する傾向があるという。ウイルスによる直接の死者数より、経済的事由による死者数が上回ることは起こりうる。
だから僕たちは医療崩壊だけではなく、経済崩壊や社会崩壊(パニック)も同時に防がなければならない。いま僕たちは世界各地の医療崩壊の現実を目の当たりにしてその防止だけを考えてしまいがちだが、医療崩壊を防いだ結果として社会が崩壊したら、別の悪夢が待っている。大切なのはどちらも防ぐことだ。
このことは、個人が取るべき行動を考える際にとても重要だ。
「休業したらどうなるか」の思考実験
社会全体のゴールを確認したところで、あらためて「お店を休業すべきかどうか」という問題に戻って、試しに「いまお店を閉めた場合どうなるか」について考えてみたい。
いまお店を閉めた場合、自分たちもお客さんも感染のリスクは減る、これは事実である。しかも、仮に2週間くらいお店を休業したからといって直ちに破産するわけでもない。だったら閉めれば良いのではないか?しかし話はそう単純ではない。
いまの感染状況で休業したとして、2週間後に再開できる見込みはあるだろうか?おそらく感染拡大はまだ収まっていないので難しいだろう。では、そこからさらに2週間休業を延長したとして再開できる見込みはあるだろうか?やはり難しいだろう。
そうこうしているうちに手元のお金が無くなってくる。本当にお金が底をつきそうになったら、もう再開せざるを得ない。でも、そのときに感染がもっと拡大していたらお店の再開はさらなる感染拡大の要因となる。再開せずに経営破綻した場合、それは自分のお店が経済崩壊の一端となることを意味する。一事業者の破綻は別の事業者の経営を圧迫し、それらが重なればいずれは社会全体に波及する。
臨時休業してもいつかは再開しなければならず、タイミングによっては再開はさらなる感染拡大の要因となり、再開できなかった場合には経済崩壊の要因となる。
休業の判断は、常にこの事実を頭に入れて行わなければいけない。
タイミングがすべて
つまり、タイミングが極めて重要なのだ。たとえば自分たちの店が臨時休業に耐えうる期間が一ヶ月間だとして、感染拡大を効果的に抑えたうえで、収まったころにお店を再開できるその一ヶ月を見計って臨時休業をスタートしなければならない。
もしタイミングがズレると、効果が薄いときに休業していて、本来休業すべきときに再開せざるを得ない、という最悪の状況が起こり得る。(これは政府による全国の学校の一斉休校が分かりやすい例だろう)
政府が対策として融資や給付金を出せばみんな安心して休める、という議論があるが、融資や給付金は休業できる期間を一か月から二ヶ月へ、もしくは三か月へと延長できることを意味しているに過ぎない。政府も金融機関もいつまでもお金を出し続けることはできず、どこかで限界を迎える。(MMT論者は金はいつまでも出し続けられると主張するのかな。意見を聞いてみたい。)
だからこそ、タイミングが重要なのだ。早すぎても、遅すぎてもダメなのだ。すぐに都市封鎖をしろとか、お店は全部閉めろというシャットダウン強硬論があるが、その主張をするときにはシャットダウンはいつまでも続けられず必ず再開が必要で、そのときまでに事態が改善する見通しを持っていなければ、状況はさらに悪化する可能性があることを常に意識しなければいけない。
タイミングをどうやって判断するか
では、僕は休業するタイミングをどう判断したらよいのだろう。これはすなわち、感染拡大を効果的に抑えられて、収まったころにお店を再開できる適切なタイミングはいつかを判断する、ということだ。残念ながらこれについて僕は最適な意思決定者ではない。個別の事情を別にすれば、大局として本来最も適切に判断できるのは、刻一刻と変化する感染に関するデータや経済状況に関するデータを収集でき、感染症や経済の専門家を抱える政府機関だ。
これは現在の社会構造上、どうしようもないことだ。現政権を支持していようといなかろうと、いまの政治家たちが優秀だろうと無能だろうと、政府機関とそこに協力する専門家たち以上に僕らが適切なタイミングを判断できるという根拠はない。
もちろん政府も専門家も間違える可能性が十分にあり、常に批判的な目で議論の過程や決定事項を監視する必要がある。特に権力者の保身や選挙目当ての言動などがないかには厳しい目が向けられるべきだろう。ただし、それでも彼ら・彼女らの決定事項は最大限に考慮されるべきだ。
休業に耐えうる期間はお店や会社ごとに様々なので、長期の休業に耐えられるのであれば早め早めのスタートが可能になるわけだけれど、永遠に休業できる事業は存在しない。それに、ある会社が長期休業に耐えうる資金があったとしても、その仕入れ元の会社が発注の無い状況に長期に耐えられるとは限らない。
最終的にはひとりひとりが判断することではあるとしても、僕は感染症についても経済についても最新データや専門知識を持っていないことを認識し、謙虚でいようと思う。重要なのは、休業のタイミングは早すぎても遅すぎてもダメで、タイミングを逃す人が増えれば増えるほど、感染拡大という点からも経済破綻という点からも危険性が増すことになる、ということだ。
地域ごとのタイミング、地域ごとの判断
タイミングに関してもうひとつ注意が必要なのは、状況は地域ごとに異なるという点だ。
僕たちはニュースを見ていると、いま特に厳しい状況にある大都市圏の報道を多く目にすることになる。しかし、小池東京都知事は東京(およびその周辺)の住民に向けて発言しているのであって、他の地域の住民に向けたものではない。
もし東京のお店がいますぐお店を閉めるべきタイミングだとしても、他の地域の適切なタイミングはそこからはズレる。
僕は京都府の大山崎町でお店をしているので、京都府の大山崎町で店を閉めるべき適切なタイミングを探らなければいけない。
僕たちの決断と社会のリスク
以上のように考え、政府や自治体から発せられるアナウンスを考慮した結果、僕たちは現時点では(できる限りの対策を行ったうえで)店を開け続ける決断をした。つまり、今は閉めるべきタイミングではないと判断した。
今後感染の状況が悪化し、僕たちの営むお店(業種、規模、所在地など)に対し政府や自治体から「閉めるべき」というアナウンス(たぶんそれは間接的な表現になるだろうけど)がなされたら、そのときには閉めるだろう。もちろん、政府や自治体を全面的に信用しているわけではないので、いくらなんでもいま閉めないのは危険だろうと判断したら閉めるつもりだ。
でも、多くの人がタイミングを逃すことは社会にとって大きなリスクとなる。多くの人が早過ぎる休業を選択すると、再開後にさらなる感染拡大を招いたり、経済崩壊や社会崩壊が起こりかねない。
適切なタイミングで適切な経済的支援がなされ、適切な期間お店を閉めることが大切だ。もちろん、スタッフや家族に高齢者や持病を持つ人がいるなどといった個別の事情がある場合は、それぞれの個別の判断が特に必要になるのは言うまでもない。
「ウィズ・コロナ」の世界で
国にも都市にも店舗にも個人にも、体力・持久力の限界がある。早すぎるシャットダウン(都市なら封鎖、お店なら休業)は耐えきれなくなったときの再開の危険度が高くなる。
「ウィズ・コロナ」の世界で僕たちがすべきことは、薬やワクチンが開発され、人々に行き渡るまでの期間(様々な専門家の発言によると数ヶ月~数年の間)、「新型コロナウイルスにまつわる問題での死者数をできる限り少なくすること」を目指し、タイミングを見計らいながら対策を取っていくことだろう。
これはとんでもなく難しい課題だけれど、ひとりひとりが取組むしかない。僕も悩みは尽きないけれど、悩みを思考に変え、思考から具体的な行動に変えていこうと思う。
最後に
最後にもう一度繰り返すけれど、この文章は僕の思考過程を綴ったものであって「正しい答え」を提示するために書いたものではない。ぜひ読み流すか、もしくは真っ当な批判をお願いしたい。共感はいらない。いまとても危険なのは安易な共感だと思っている。真っ当な批判を受けて僕の考えがより良い方向に転換させられることがあれば、喜んで僕はこの文章を訂正し、その旨をお知らせするつもりだ。