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カエルとがっしょう

おたまじゃくし達はいつカエルになるのか?
毎日それが楽しみで、走って学校から帰っていた。


まだ祖父母の大きな家に住んでいた頃、従兄からこんな話を聞いた。
それに俺は衝撃を受けた。

「理科の実験でカエルの解剖をするんだぜ。生きてるカエルの腹をこうやって切ってさ」

え?嘘だろう?
生きたまま?!あり得ない!!

俺は泣いた。まだ小学校低学年の頃。
多分・・・いや、今この時までで恐らく一番泣いた。
実際祖父母や親戚らが亡くなった時も一切泣いていない。
三日三晩、いやそれ以上に俺は泣いたのだ。なんて可哀想でなんて残酷なことを・・・と。


人間が生きていく上で必要なことなのかもしれない。他の生き物の犠牲の上に成り立っている生き物なのだ。
それは理解している。
理解していてもそれでも尚、辛くて辛くて耐えきれなかったのだ。

俺が代わってあげてもいい。
だからそんなことはしないでくれ。
でも・・・

罪の意識に押しつぶされて、何度もトイレで吐くほど泣いたのだ。


3日ほど食事が喉を通らず、ずっと頭の中で同じ言葉を繰り返してた。
「人間がみんな死ねばいいのに」と。

保育園での冤罪事件で犯人にされて自分の中の正義を失い、今度はこれだ。
この頃から人の死に興味や感情を失い、自分自身の死も楽しみとなった。
今でもよく言っている「早く死にたい」
その割にはどんな無茶をしようと絶対に死なない不死身人間になってしまったのだが(笑)


話が逸れた。
そんなカエルの解剖ショックからようやく立ち直ったある日のこと。
俺はたくさんのカエル達を救いたいと考えた。

例のボートから落ちた公園に行き、そーっと池の中を覗き込む。
あったあった!これだ!
虫取り網でそれらしきゼリー状の塊をすくい上げる。大量のカエルの卵だ。
それをクワガタを飼っていた虫かごの中に大切に入れて、家まで持って帰った。

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俺の手でこの卵を大切に安全に育てて、カエルになったら解き放とう。
庭に放とうか池に戻そうか?
自由に飛び回るカエル達の様子を想像して、頭の中にカエルの合唱が鳴り響く。

それを想像するだけで、ほんの少しだけ救われる気持ちがした。

毎日卵の様子を見る。
暑くはないか?寒くはないか?
学校から帰るなり一目散に庭に行き様子を見る。

しばらくすると卵がついにおたまじゃくしに!

これは・・・思っていたよりもすごい数だな・・・(笑)
水の量を増やしたけれどもなかなかにびっちりだ。

このおたまじゃくし達にもうすぐ足が生え、カエルとなる。
「水の中だとカエルになった時に窒息するから登れるところ作っておいた方がいいぞ」と従兄に言われ、ちょっとした石を入れて足場を作った。
あとはカエルになったものから順番に逃がしていく。楽しみだなみんな!元気に育て!


その日は一日中雨が降っていた。
カエル達が歌うには丁度いい。
何匹かカエルになっているかな?と浮かれながら家路につく。
ランドセルを放り投げるなりいつものように庭に行く。そこで俺は絶句した。

カエルになりかけの足の生えたおたまじゃくし達が全て死んでいたのだ。

原因は虫かごの上部が網で出来ていたこと。
その隙間から雨が入り込み、水槽代わりとなっている入れ物部分を水がびっちりと埋め尽くしていたのだ。
それだけならまだ問題ないのだが、ちょうどその日に限って全てのおたまじゃくしに足が生えて呼吸が必要となる状態になっていた・・・。窒息死。

何という不運。
いや不運なんかじゃない。
間違いなく俺が殺したのだ!!

せめて上部の蓋を開けていれば逃げられたかもしれないのに!!
屋根のついた物置の中に入れていれば!!
俺がしっかりしていれば!!
そもそも俺が余計なことをしていなければ!!!!

どんなに苦しかったであろう。
どんな想いで死んでいったのか。
どんな苦しみを味わったのか。
助けて!助けて!助けて!息が吸えない!!カエル達の声が聞こえる。
あああああああああああああああああ!!!!!!!雨の中での絶叫。
カエルの合唱どころかカエルに合掌するはめに・・・なんて洒落にもならない。


俺がやったことは・・・たくさんの赤ちゃんや幼児を誘拐し風呂桶の中に入れて蓋を何かで固定し閉じ込め、水を溢れるまで入れて溺死させたようなもの。チョロチョロとじわじわと。ゆっくりと確実に、苦しみ泣き叫びながら子供たちが死んでいくところを想像してみてほしい。

カエルの解剖の話を聞き、命は平等だろうに!と嘆いた。
であるならば、俺がやったことはこれと同じだ。
40年以上経った今でもこの罪の意識は消えることがない。
ずっとずっと後悔し続けている。


この一件からしばらくして何かのホラー映画で、プールに潜っている間にプールの水面上にガラスが突然張られて出られなくなり、窒息死してしまうというシーンを見た。

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(今調べると「レガシー」というサスペンス・ホラーらしい)

これを見た時、恐怖と共にあのカエル達のことを思い出し、なぜだか羨ましいと思えたのを覚えている。

だから風呂の蓋の上に水の入ったバケツや洗面器をびっちりと置いた後に風呂の中に入り蓋を閉じ、隙間から水を入れてみることにした。
子供の力ではもう蓋はびくともしない。

顔を上に向けるも徐々に空気のある隙間は狭まっていき、口からお湯が流れ込み、もう駄目だと思った瞬間肺の中にまでお湯が一気に詰まり視界は真っ暗になった。
とにかくそれがありがたくて幸せで、あのカエル達と同じように苦しめることが嬉しくて嬉しくて。やっと死刑になれる。罪を償えると。

その後俺はどうやって助かったのかは全く覚えていない。
が、生きていたのだからこうして今文章を書いているわけで(笑)

そんなわけで今でもなんとか溺死できないものかと浴びるように酒を飲み、湯船の底でぐーすかゴロ寝しながらお湯を溜めて溺れてたりもした。
それでも死なないんだから我ながら呆れる。


因みに学校でのカエルの解剖実験はやることはなかった。
それだけが救いとなった。



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