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引き出しの奥の古い財布に

今回は余談としてスルーしてもいい内容。
なぜなら今週はずっとぶっ倒れていたのだ。
流行に敏感なもので・・・・

ものの見事にインフルエンザ。


はじめは嫁が39.5度くらいの熱を出して倒れた。
風邪には生姜コーラ(周富徳が言ってた)だと生姜とコーラを買いに夕方俺は飛び出した。
ついでにビールを買った(小声)

翌日も流石に嫁は倒れたまま。
なので余った生姜で生姜にんにくマシマシ味噌ラーメンというとんでもないものを作った。
間違いなくこれはパワーが付く。

しかしこれは子供らが「お父さんラーメン作ったの?!食べたい食べたい食べたい食べたい!」でほぼ全滅。
かろうじて一口二口は食べられただろうか?

ただそのラーメンで一気に元気を取り戻し、夜には「まるごとバナナが食べたーい」と言えるくらいにまで回復。
仕方ないので22時頃家を飛び出し、店を三件回ってようやくまるごとバナナを発見。
ついでにビールを買った(小声)

雪がちらつく中、家に帰ると全員寝ていた。まあ朝に食えばいい。

バナナは回復時に一番いい。
俺は悲しい思い出があるのでバナナは食えないが。

翌日の朝、嫁は嘘のように完治していた。
まるごとバナナは娘とはんぶんこして食べたそうだ。


そして俺はその時すでに寒かった(笑)


ものの見事に移されて昼頃には体温は急上昇。
一人ぼっちの夕方には限界突破の40度超え。

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43度という高熱も経験したこともあるが、それでも40度超えはやはり辛い。
少し下がって39.5度くらいになった時はスキップしたくなるくらい体調が違う。

しかし嫁は実質一日で治ったようなものだ。
同じような食事を取れば俺も治るはずだ。バナナは食えんけど。

生姜コーラを死ぬほど飲み、ラーメンの麺はもうないので豚汁を生姜ニンニクマシマシでラーメン風の味にしてがぶ飲み。(これも子供と嫁にほぼ取られたが)
これでもう大丈夫なはず。


二日後、俺は自分の部屋の椅子の上で体育座りをしてイジケていた。


全然治らない上にみんなに移るからと追い出され、部屋で仕事をしようにも寒すぎて、ストーブを全開にしたら灯油が切れたのだ(笑)

いじけながら何となく引き出しを漁ることにした。
この引き出しが厄介で、横にあるベッドにエキスパンダーを引っ掛けてあるのだけれど、これが引き出しの前に飛び出していて全く引き出しが開かないのだ。

そのエキスパンダーをずらせばいいだろと思うでしょう?
なんとこの引き出しに引っかかってエキスパンダーも動かないのだ(笑)

お互いがお互いに知恵の輪のように絡み合って引っかかり、どうにもならない。
でも25年くらい前までなんとか開けられたような?と挑むこと1時間。

右に少し回して上に少し引き上げたあと、左に半回転させて下に押し込むと引き出しが少し開く。
引き出しが少し開くとエキスパンダーがベッドから抜ける仕組みだった。
まるで寄木細工。今度からエロ本はここに隠すべきだ。

いつも目の前にあった引き出しなのにそれはまるでタイムカプセル。

学校で誰かに貰ったらしき意味不明な手紙(恐らく俺への恨み)
小学生の頃に作ったPCゲームのレンタルショップの会員証。
貸本屋の会員証(漫画を貸し出ししていた店が昔はあった)
そして大昔に使ってた記憶がある懐かしい財布がいくつか。

金でも入ってねーかなぁと思ったが見事にレシートばかり。
そんな金を俺が残すはずないのだ。
そのレシートの中の一つ。

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熱のせいもあったけど、心底震えた。
86年9月6日。
消費税はまだ導入されていない。
薄っすらと見える生協のマーク。

220円はまず間違いなくタバコ。
2360円は・・・何も書かれてはいないが恐らくメロンだ。

以前書いたものの中にこんな一節を書いた。
覚えてる人はいるだろうか?

バスと地下鉄乗り継いで突然俺の家に来ては「今すぐメロン買ってこい!」とワガママ言って一万円札をよこし、一口だけかじって「帰る」とすぐに去っていく。
もちろんお釣りは全部そのまま俺に。粋な小遣いのあげ方だ。

明治生まれの祖父の話。
あの時の・・・そのレシートが出てきたのだ!

自分で書いておいてなんだが「本当にそうだったんだよなぁ」と改めて実感。
具合悪かったけどちょっと元気出た。ありがとうおじいちゃん。


5日かけてようやく熱も下がり元気になったものの、味覚だけが死んだまま。
塩味と痛みは感じるんだけど甘みをあまり感じない。
だからポカリを飲むと塩水に(笑)
チョコを食べてもねっとりとした何か。
寿司を食っても塩味とわさびからと思われる謎の痛みのみ。

味覚戻すために明日子供にメロンでも買いに行かせるかな?



頂いたサポートはお酒になります。 安心して下さい。買うのは第三のビールだから・・・