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穴を掘って埋めていただきたい

廃れそうで廃れない、でもやっぱりちょっと廃れてるボウリング。
ブームが去った後も細々となんとか生きながらえてるのは当時も今も変わりない。


ネットも普及していない。
カラオケは一曲歌うたびに機械に100円玉を突っ込んでいた時代。
曲番号を間違って謎すぎる演歌がかかってしまうも、100円がもったいなくて無理やり適当に歌ってた。
そこから数年後くらいの話。

暇を持て余した輩がパチンコやゲームセンターやカラオケ、そしてボウリング場なんかで遊んでいたりした。
俺自身もそんな輩の一人。
女の家に転がり込んで好き勝手に半年暮らしていたが、ついには追い出されてしまい、色んな意味でやることも無くなったので、仕事終わりの暇つぶしに夜な夜な友人と遊びに行っていた。


ボウリング場の片隅にあるゲームコーナー。
そこに景品が出るパチンコなどがあったりする。
待ち時間の暇つぶし、もしくはもうそれ目的でボウリング場にやってくる人もいたと思う。
90年代当初、そんなパチンコの景品の中身を皆さん覚えているだろうか?

何故かスケスケのエロいパンティーが景品だったのだ。

一体これは誰が穿くんだ?と疑問に思うような布の少なすぎるパンティー。
独り身になった今、どう考えても絶対にいらないものである。


ただこの釘を見たら手を出さない訳にはいかない。
当時はまだパチプロではなく、勝ち方を知ってるだけのただのパチンコ好きな青年。
何かで遊んでいる友人をほっぽらかして投げ込むように百円玉をぶっこんだ。
こんなもの出るに決まってる。

何の機種だったのかはもう覚えていない。
とにかくすぐに出るのはわかりきっていたし、出続けるのもわかっていた。
なぜ皆これを打たないのか?
それはすぐに理解することになる。

こんなにパンティーいらないのよ・・・

穴あきやスケスケTバック、ほぼ紐だけ等、おおよそ生活する上で使用不可能なパンティーだけが増えていく。
しかも景品が出てもそれで終了になるわけじゃなく、100円を追加せずともなぜか続きができてしまうのだ。

パンクしろ!終われ!頼むから終わってくれ!
素直に台を捨てて帰ればいいものをそれが出来ぬこの浅ましさよ。

気がつけば十数枚のエロパンティーを得ることになってしまった。
今ならオークションだの販売サイトだので売ることも出来るけど、当時はそんなものはない。
その場に置いていくことも出来ずに、ジャンパーのポケットに詰め込めるだけ詰め込んでそのまま帰宅した。


車の事故を起こしたのはその数日後である。
数日は暖かい日が続き、そのジャンパーを着ることもなく過ごしていた。
事故を起こした日は急に冷え込んで、そのジャンパーを着て出かけたのだ。

パンティーのことなんてもうすっかり頭から抜け落ちていた。

事故で頭を割ってしまい、車のシートからジャンパーまで血でべったり。
べったりなんて甘いもんじゃないな。
シートは血の池、ジャンパーは脱水をかけていない洗濯物のような状態。
1.5リットルも出血すれば失血死を起こすと言われているが、どう考えてもそんな量じゃない(気がした)

そりゃ警察官も運転手は死亡したと勘違いもするよなぁ・・・

その後ジャンパーを脱がされ救急車に乗せられて病院へ搬送され、当然のごとく集中治療室へ。
死の淵をさまよっている時に、何度も何度も医者か看護婦に話しかけられ続けてたのを覚えている。

三途の川を渡ろうかどうか悩んでいる時、ふと月初めだったことを思い出し、「月刊マガジンとジャンプ!」と叫びながらベッドから跳ね起き、点滴や身体中に付いていた何かの線全てを引っこ抜いて集中治療室から出ていった。午前3時頃だっただろうか?

知っての通り集中治療室は残酷な表現だけれども、ほぼ死にかけの患者が集まる場所と言っていい。
命の希望をつなぐ場所でもあるが、最期のお別れをすることも非常に多い場所。
ピ・・・ピ・・・ピ・・・と寂しげな命の綱渡りをしている音が聞こえる場所である。

そこから助かるか助からないかと言ってたはずの全身グッチャグチャの人間が「月刊マガジンとジャンプ!」と叫びながら飛び出してきたのだ。
声にならない叫び声を上げる看護婦の態度も頷ける。

「会社に連絡するから10円貸して」「まだ夜中です!それより戻って下さい!!」みたいな会話をした。
月刊マガジンとジャンプを読みたいという欲求と、会社への連絡をしなきゃという使命感が命をつないだのだ(笑)


一方その頃、警察官は現場に残されたジャンパーや車から身元を確認できるものを探していた。


勘の良い方はもうおわかりかと思う。
そう。ポケットには十数枚のパンティーが詰まっていたのだ。

その場でパチンコゲームの景品だと説明して笑って済めばいいのだろうけど、そんな話には当然ならない。当の本人はいないのだから。
その事故の時一緒に乗っていた同乗者(ちなみに運良く怪我したのは運転手だけだった)は景品で取った物だということを知らない、数日前に遊んだ友人とは別の友人。

警察官「このパンツは一体・・・」
友人「あいつ・・・まさか」

違う!断じて違う!
下着泥棒なんてやっちゃいない!
だがそんなことは知る由もないし、こちらもまさかそんな事になっているとは思いもよらない。(そもそもそんな会話がされていたのかもわからないが、少なくとも俺の脳内にははっきりと映像が浮かび上がった)


そこからどういった会話がなされて、どうなったかは実はわからないけども、警察からパンティーのことを問われることはなかった・・・と思う(被害届も出てなかったのだと思われる)
そもそも当の本人はパンティーのことなんてすっかり忘れていた。
そのまま忘れられれば良かったのに。

入院している間に、着衣や所持品は全て実家の方に届けられた。

受け取ったのは母親。
大困惑しながら血で真っ赤になったパンティー十数枚を受け取ったそうだ。
そしてどうしたものかと散々悩んだ結果、一応洗濯したとのこと。

退院してから聞かれたよ。
盗んだんじゃないのか?とか。
そういう趣味ならそういう趣味で私は気にしないよとか。

景品で取ったものだと説明するとものすごく安堵の表情を見せる母。
下手すりゃ息子の命が助かった時よりも安心してたのかもしれない(笑)
死ななくて良かった。説明できて本当に良かった。

全く良くはないけれども。

この時の穴を掘って埋めてほしい気持ちが伝わっただろうか?
もう一生パンティーはポケットに詰め込まないと決めた。


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