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目指したい景色

先日、脚本で参加させていただいた作品の撮影の打ち上げがありました。

撮影の打ち上げって、
長期間の撮影を一丸となって乗り越えてきたスタッフ・キャストの皆さんには苦楽をともにした連帯感があり、脚本を書き上げたあとは基本的にノータッチの脚本家としては若干居場所が見つけづらい感じだったりします。
(これまでは助監督として、現場の中心に近い位置で撮影に携わっていたので、そんなことをより強く感じます)

そんな中でも、これまで助監督として別作品でご一緒してきた方々と、今回は脚本家として再会できたのはとても嬉しかったです。
お会いするのが10年ぶり近い方もいたりして、当時は右も左も分からない新米助監督だったけど、あれから映像業界にしがみついて頑張ってきて、こうして今も頑張っていることをご報告できたことは本当に嬉しい。

なんというか、この「頑張ってステップアップしてきた姿を、これまでご一緒した人たちに見てもらう」というのは、自分が映像業界に関わる中で目指したい景色の一つだな、と改めて思いました。

『ハリー・ポッターと賢者の石』の中に「みぞの鏡」という、覗き込んだ者の一番の望みを映し出す鏡がありました。
賢者の石という特別な力を持った石を、
「使いたい」と思っている人は「使っている」様子が映る。
「手に入れたい」と思っている人は「手にいれる」様子が映る。

この本を読んだ当時(小学五年生くらいでした)、「使うこと」と「手に入れること」は違うということ自体が大きな驚きでした。

脚本を書くことにおいても、
「とにかく書き続けたい」
「自分の作品をたくさんの人に見てもらいたい」
「賞を取りたい」
「たくさん原稿料や印税を得たい」
掘り下げていけば、一番の望みはそれぞれに違う。
根っこの望みがなんなのか、冷静に掘り下げていかないと案外ちゃんと見えてこない気がします。

自分にとって一番の望みはなんなのか?ということを考える時、僕はいつも「みぞの鏡」をイメージして、そこにどんな景色が映し出されるのかを想像します。

僕が想像する「目指したい景色」は、こうです。

誰か、僕のことを知っている人が、映画やドラマの予告を見て、僕が書いたことを知らずに「面白そうだな」「これ観たい!」と思う。
そして、その映画やドラマを観終わって「面白かった!」ってエンドロールを見ている時に僕の名前を見つけて、「これってあの人が書いたのか!」ってなってほしい。

この景色を読み解くと、自分は、
「名前が売れたい訳じゃない。でも作品は多くの人に見てほしい。僕のことを知ってても、僕が脚本家だと知らない人にまで届くくらい、たくさんの人に届くような作品に携わりたい」
「自作がヒットして欲しい」
と思ってるんだな、と分かります。
「自分が作りたいものを作れればそれでいいんだ」っていうのとはやっぱり違って、
「自分が面白いものを作りたい」と思ってはいるけどそれ一番の望みじゃなくて、
多くの人に届くものにできるなら自分の考える面白さと多くの人に伝わる面白さの接点を探りたいと思ってるし、
なんというか、
これまで自分のことをスルーしてきた人たちとか、
自分のことをバカにした地元の人たちとか、
夢をなかったことみたいにしたかつての仲間とかに見せつけてやりたい、
みたいな、
そういう気持ちも、確かにある。

もちろんお金は欲しいけど、それが第一じゃないし(お金が欲しいのが第一だったら全然別の仕事してると思う。でも家族が何か経験することへの投資をためらわないくらいのお金は稼ぎたい…!)、
「死ぬまで書き続けたい」と思ってはいるけど、それは自作がヒットしようがしまいが自分なら続けていくだろうな、と、状況がどうであれ実現していく景色だろうなと思う。

打ち上げでの嬉しい再会から、そんなふうに「目指したい景色」を改めて思い返す良い機会になりました。

皆さんとまたご一緒できるように、
もっと遠くまで届くような作品が書けるように、
また頑張っていきたいと思います。

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