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中学生時代の自分

みなさん、こんにちは。
noteでの2回目の投稿となりました。
前回の投稿、ご覧になっていただけましたでしょうか?
今回も前回に引き続き、これまでの過去の振り返りをもとにして、自分自身の紹介になったらなと思います。

ぜひ、お楽しみください。

前回の投稿


自己紹介・思い出②過去編(中学校)

・中学校陸上スタート

中学校は、会津若松市立一箕中学校に入学をしました。
自宅から学校までは2km弱、そして上り坂がほとんどだったため、20分かけて歩いて登下校をしていました。

中学校は、朝練習があったため、7:00までには学校についていなければならず、当時の僕は、誰よりも1番早くついて準備を済ませておきたい性格だったため、開門してくださっていた先生よりも早く登校し、門の前で待っていました。
朝、僕と一緒に早起きをして、ご飯を作ってくれていた母親には感謝の気持ちしかありません。結末から述べると、中学は全く結果を残すことができなかったので、そんな僕に対して、精一杯サポートしてくれた両親には本当に頭が上がりません、、、泣

このあとは、中体連・駅伝に大きく分けて3年間を振り返っていきます。

・中体連(1年生)

まずは1年目。
中体連では1年1500mという種目でスタートをしました。
会津支部大会→全会津大会→県大会→東北大会という流れだったため、まずは全会津大会出場を目標に挑みました。

中学デビュー戦となった会津地区春季大会では、5分00秒31(当時PB)で3位に入賞することができ、幸先のいいスタートを切ることができたので、自信はありました。

しかし中学になれば、成長期を迎えた人がそれに伴ってタイムも縮んていく傾向が見られるため、そういったこれまで目にも付けていなかった選手たちが台頭し、5分04秒33の5位で全会津大会に進出することができたものの、もっと上位で進めると思っていただけに、あまり嬉しくない結果だったと思います。

その後の全会津大会は、低学年リレーにも借り出されたことにより、普段使わない筋肉を使い、結果的に筋挫傷を起こしてしまい、棄権する形となり、1年目を終えました。

・中体連(2年生)

2年生になってからは、3000mに種目を変えて大会に挑みました。

1年目は思ったような結果も出せず、1500mのPBが4分49秒13、3000mが10分28秒31と、ライバル達との差が明瞭になっていきました。
不甲斐ない自分自身に嫌気がさしていたことがほとんどでしたが、走ること自体は楽しいと思えていたため、やってやるぞという思いでスタートをしました。

全会津大会の出場ラインは8位まででしたが、結果は10分07秒58(当時PB)で9位。あと1人というところで、全会津大会出場を逃す結果となってしまいました。

この、あと1人を僅かと捉えるか、そうではないと捉えるか、、、

みなさんはどのようにお考えでしょうか。

僕自身、「この僅かなところで」というのをこの後も経験していくこととなるのですが、、、笑
この後1人という差は、かなり大きなものだと僕は思います。
競技力などの能力はもちろん大切ですが、この間にある大きな差はやはり「気持ち」なのだなと感じます。

この精神的な強さが僕には欠落していました。

・中体連(3年生)

最後の3年目は、2年時と同じく3000mで中体連に出場をしました。

目標は県大会でしたが、この年の冬、僕は初めて貧血というものに悩まされました。

具体的な数値は覚えていませんが、身長172cm、体重50kgという華奢体型だったので、長距離選手の理想体重を(身長−体重=115)とした値から見ればだいぶ痩せていたと振り返ってみて思います。

満足に練習もできず、そして貧血に対するアプローチの仕方も理解していなかったため、自己ベストも出せないまま、卒業を迎えることとなりました。


話が脱線したので、中体連の結果に話を戻すと、まず支部大会では、10分04秒38で5位で全会津出場。

そして全会津大会では、事件が、、、

恥ずかしい話ですが、前日に肉を食べ過ぎてしまい、レース中に腹痛が、、、泣笑

結果は、11分12秒41とワースト記録でもちろん県大会にすら進むことができず。

飛んだ笑い話ですよね、、、
本当に思い出すだけで恥ずかしいというか何というか、、、呆れてしまいます。

・3年間のPB

中学時代のPBをまとめると以下のようになります。

・800m
2分33秒29(中学1年)

・1500m
4分49秒13(中学1年)

・3000m
9分54秒87(中学2年)

何一つ満足できた結果はなかった中学時代でした。
もっと自分で考えてやっていれば、変われたかもしれないと思うと、やはり悔しいですね。3年生では一度もベストを更新することができませんでした。これもまた人生。

中学1年シーズン
中学2年シーズン
中学3年シーズン

・駅伝(1年生)

続いて駅伝の結果をもとに、見ていきたいと思います。

1年目は、駅伝メンバーの当落線上にいたため、毎回プレッシャーを感じながら試走を行っていました。
駅伝は1区間3kmで繋ぐため、その距離の長さと、コースに適応することができず、苦しみました。

1年生の頃はチーム状況から見ても、県大会には行けるだろうなとは思っていたので、正直大会であんなにも上手くいかなかったことに対して驚きを隠せませんでした。

メンバー
3年生S先輩 1500m4分34秒(6区)
2年生S先輩 3000m9分39秒(1区)
2年生Y先輩 1500m4分21秒(3区)
2年生R先輩 バスケ部     (2区)
1年生M        1500m4分40秒(4区)
1年生自分   1500m4分55秒(5区)

誰がダメだったか、そんなことはどうでもよくて、駅伝での流れの大切さというものを実感させられた大会でした。来年は絶対に県大会に出場するために、絶対に走力を上げて上位を走れるくらいになるという目標を持ったことを覚えています。


そしてこの年から「市町村対抗駅伝競争大会『ふくしま駅伝』」に会津若松市チームで走るために練習会に参加をし始めた年でもありました。
水曜の夜19時?18時?からのスタートに間に合うように、家から5kmを自転車で向かい、他校の選手たちと刺激し合いました。
残念ながら中学校3年間、メンバーには擦りもせずに終わってしまうのですが、この大会に出場したいということも僕のモチベーションになり、今でも走る理由の一つとなっています。

・駅伝(2年生)

2年目は、駅伝コースでも難なく9分台を出すことができ、当落線上からは逃れることができたため、プレッシャーなく、練習に励むことができました。

この年の会津地区はレベルが高く、地区大会優勝の若松五中と準優勝の若松三中は、県大会でも東北大会でも、優勝、準優勝を獲得しており、この2校に対してどのくらい喰らい付けるかがポイントでした。

ただ、チーム状況的には、この2校に負けず劣らずの状況だったと思うので、チームとしては自信を持って大会に臨ことができたと思います。

メンバー
3年生K先輩 3000m9分33秒(1区)
3年生S先輩 3000m9分18秒(2区)
3年生Y先輩 1500m4分15秒(4区)
2年生自分   3000m9分54秒(5区)
2年生M        1500m4分35秒(6区)
1年生S         1500m4分29秒(3区)


タイムだけを見ても、またもや僕が足を引っ張りそうなチーム状況ですね、、、笑

4区の先輩が2位の若松三中を抜き、2位で僕のところに襷を持ってきてくれました。

「逃げなければ、逃げなければ」と思い、緊張で吐き気を感じながらスタートしました。結果的には、区間2位で先頭との差を広げられたものの、後ろとの差を広げることができました。
アンカーで再度逆転を許し、チームは3位でしたが、県大会に向けては自信になりました。


しかし、、、

県大会での起伏の激しいコースに、チームは苦しみ、流れを掴むことができずに、終わってしまいました。

初めての県大会もチームに貢献することができず、悔しい結果で終わってしまいました。

中学2年時 駅伝部


中学2年時 駅伝部
中学2年時 駅伝部

・駅伝(3年目)

3年目はキャプテンになり、チームとしては陸上部員4人しかいなかったため、まずはチームメイト集めから始まりました。

そこで声をかけた、バスケ部の2人と、サッカー部の1人、野球部の1人が駅伝部に入部してくれ、一緒に夏の練習を超えて、大会に臨みました。

3年目で1番主力となっていたはずなのに、この年のチーム状況は覚えていません、笑

メンバーは確か
3年生自分
3年生M
3年生M(バスケ部)
3年生S(サッカー部)
2年生S
1年生S

全員分の詳しい持ちタイムは覚えていませんが、結果は4位だったと思います。

ただ、これまで区間賞のなかったチームでしたが、この年は、3区とアンカーで区間賞を獲得するまでになりました。

それ以上にチームの底上げが求められたので、貧血で苦しみながらも、チームの中間層にいた自分が声をかけながら、そして特設部員が多かっただけに、機嫌取りではないですが、やってもらっているという感覚が僅かながらあったので、チーム競技を行う上で、本当は良くないですが、下手に出過ぎていた部分があったのかなと思います。みんなのことを信じていなかったわけでは無いですが、どこか駅伝部に引き摺り込んでしまったという申し訳なさがあったのかもしれません、、、


県駅伝では、全会津で区間賞を取った後輩のみが善戦して、僕自身も昨年走った時よりもタイムを縮めることができましたが、やはり起伏の激しさに適応することができずに、終わってしまいました。

ただ、結果としては全会津4位で進んだ県大会で、全会津で2番手に来れたことは、チームとしての成長だったのかなと思いました。

3年目の駅伝部での期間を通して、走ることだけでなく、チームとしての力、人間力としても大きく成長することができた気がしました。

自己紹介・思い出③過去編(高校)予告

3年間の中学陸上生活を通して得た経験を糧に、高校でも陸上を頑張ろうと思いました。
高校では自分自身でそれぞれの高校を選べることができるので、当時会津地区で長距離の強かった「会津学鳳高校」に入学し陸上を続ける気でいました。

しかし、事件が、、、、、泣


なんと、高校受験に失敗!!
滑り止めも受けたいなかったため、三期選抜に突入してしまいました。

あの時を思い出すと、よく耐えたな〜と思います。

三期で残っていたところだと、会津工業の機械科1枠、そして後は市外の高校のみでした。

何が何だか分からないまま、会津美里町にある「大沼高校」(現:会津西陵高校)を受験し、無事に合格することができました。

そして入学式を迎え、思い描いていた高校生活とはかけ離れた現実を見ることになるのでした。

そんなこんなで、中学編が長くなり過ぎてしまったので、今回はこの辺りで終わりにしたいと思います。

ここまで見てくださったみなさん、ありがとうございました!

次回の「自己紹介・思い出③過去編(高校)」もお楽しみください!



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