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Gebrüder Bing

初期のBing Bear

☝︎初期のこのBingベアが好きです。当然実物は持っていませんので画像は図鑑から^^;
Steiffと同じぐらいクラシックベアのお手本となる素敵なフォルムです。

🇩🇪🧸
ドイツの老舗テディベアメーカー
ケブリュダー・ビング社について

1865年、イグナーツとアドルフのビング兄弟は、ニュルンベルクにキッチン用品と玩具を製造するSpielwarenfabrik Gebrüder Bing (英語: Bing brothers toy factory)を設立。

※ドイツ語のゲブリューダー (Gebrüder)は兄弟。Spielwarenfabrikは玩具工場。

この会社は大成功を収め、2年後には100人以上の従業員を抱えるまでになりました。さらに、タイプライターやオートバイ,自動車のキャブレターなどにも手を広げました。1895年、アドルフは会社を去り、イグナーツが会長に就任。
Bingは、ゼンマイ仕掛けの車、列車、ボート、ブリキの動物、人形の台所、ミニチュアのタイプライター、レコードプレーヤー、ミシンなど、ブリキの機械玩具などを生産。
そして1907年頃、最初のぬいぐるみの生産を開始!
当時はテディベアブームの最盛期で、市場の最先端を走っていたシュタイフ社は注文に対応しきれないほど人気でした。
右耳にG.B.N.(Gebrüder Bing Nuremberg/ケブリュダー・ビング・ニュルンベルク)のイニシャルが入った金属製のボタンを付けた最初のビングベアが登場したとき、シュタイフ社が喜ぶはずはなかったのです。

※シュタイフが軌道に乗り本格的に量産しはじめたのは1903年頃
※伝統的な品質保証の耳のボタンはシュタイフのトレードマークです。

「G.B.N.」とデザインされたシルバーボタンは1908年から使用され
各ベアの左腕の下に付けられていた。
赤いタグは1919年から1927年まで使用。
青いタグは1927年から1932年まで
手首や腕の下に使用されていました。

ラベルとデザイン

1908年、ビングはシュタイフ社の強力な弁護士団に裁判を起こされ、耳からボタンをはずし、「耳にボタン」という広告スローガンの法的権利をシュタイフ社が持っているとして、使用を差し控えるよう迫られることになりました。その後、ビングは黒、クリーム、赤の信号の形をした金属製のタグを耳にはさむことを試みたが、これもシュタイフ社に拒否された。
そこでビングは、ボタンをクマの腕の下に配置することにしましたが、それもシュタイフ社側から「腕の下のボタン」という言葉を使うのをやめるよう訴えを起こしたので、ビングは「腕の下のG.B.N.タグ」という言葉を使わなければならなくなったのです。

c.1920 : gold mohair
Bing Werke button on rigth arm

初期のBingベアは、高品質のモヘアで作られ、木毛が詰められていました。また、背中のコブと黒いボタンアイが特徴的で、シュタイフのような外見をしています。モヘアの色は主にダークブラウン、ゴールド、ホワイトの3色。

Bing社は機械仕掛けの玩具を得意としていたので、ベアを動かして「生命を吹き込もう」と考えるようになるまでに、そう時間はかからなかった。
1908年には、ゼンマイ仕掛けで頭が左右に動くベアが4サイズ発売されました。この時ビングは、特許と登録意匠で自社を保護しました。初期のBing社のメカニカルベアには、赤地に「D.R.P、D.R.G.M」と書かれた錫のボタンがボディに付いているものがあります。この文字は、ビングが特許を申請していたことを示すもの。

※「D.R.P」「D.R.G.M」はいずれも第二次大戦前のドイツ著作権表記。

Bing社は革新的で素晴らしいウォーキングベアやタンブリングベアをたくさん作りました。1910年に宣伝された初期の機械仕掛けのベアは、塗装された金属でできたボールを持った直立型のベアでした。ボールを押しながら円を描くように動き回ります。
1950年代にシュコ社が真似をした、前進と後退を繰り返すローラースケートベアも作られました。毛足の短いモヘア(金色と茶色)に木毛を詰めたBingベアは、現在では非常に貴重なコレクションとなっています。

宙返りをするクマ
c.1910
c. 1910-1913 機械仕掛けのベア達
四つ脚歩行やローラースケートのクマ
ゼンマイ式で頭が左右に動くクマ
ボールを持ったクマなど

第一次世界大戦後

1918年、イグナーツ・ビングが亡くなると、息子のステファンが会社を引き継ぎました。第一次世界大戦では、生産量は減ったものの、会社はなんとか無傷で生き残り、社名を「Bing-Werke(ビング・ヴェルケ)」と改められ、それ以降、G.B.N.ボタンはやめたそうで、その代わりに手首と体に丸い金属製のタグが使われるようになり、タグには "B.W. "と書かれ、ロゴにはGermanyやBavariaの文字が使われていました。

※werke(ヴェルケ)ドイツ語で工場

メタルタグの色は時代によって変わり、1919年に短期間だけ使われた白いタグが最も希少です。
1920年代は、会社にとって非常に成功した時代でありました。6000人を超える従業員を抱えるまでに急成長。
この時代のカタログには、イエローやブラウン、ホワイトのモヘアを使ったジョイントベアとソフトスタッフィングベアが掲載されています。サイズも様々で、小さいものは鳴き声付き、大きいものは傾斜したりうなり声付きであった。また、子どもが乗れるような大きさの車輪付きベアも人気でした。
大型のクマの背中にはシュタイフ社のものと同様の“押すとおしゃべりをするプルボイスボックス”があり、この時期には素晴らしい機械仕掛けのクマが作られ続けました。

c.1919 Bear on Wheels
車輪付きのクマ
58cmのブラウンベア(1928)と
81cmもある当時では信じられないほど
大きくて超レアなベア(1916頃)


ホロコースト

しかし
1933年1月にドイツで政権を握ったナチス政権下で、ユダヤ人であったステファン・ビングをはじめとする家族全員が会社を辞職することになりました。

1933年4月1日ドイツにおけるユダヤ人が所有する店舗や事業のボイコット。
1935年のニュルンベルク法によりユダヤ人は市民権を完全に失いました。1933~38年の一連の立法措置や財産の没収,暴行,略奪により,ドイツのユダヤ人社会の政治的・経済的基盤は崩れます。
ビング・ヴェルケ社もナチスによって閉鎖。財産を没収されたうえ、代表のステファン(初代Bing兄弟のイグナーツの息子)は逮捕されてしまいます。他の家族や従業員もどうなったのでしょうか?おそらくきっと....

機械設備や持ち物など、すべてナチスによってオークションにかけられました。広大な工場の敷地をナチスに練兵場として使われるなど、ドイツでシュタイフと1、2位を争うテディベアのトップメーカーだったBING社は、理不尽で酷く悲しい運命をたどることになりました。。。

参考書:Miller’s Teddy Bears: A Complete Collector’s Guide/Sue Pearson.
画像引用:The Big BEAR Book/Dee Hockenbwrry.
THE TEDDY BEAR ENCYCLOPEDIA/Paul&Rosemarry Volpp.

その後

戦争が終わったその後の話
Wikipediaによりますと、偶然、ビング社のオリジナル型紙を入手したある方が、熱い思いによってGebrüder Bingブランドのテディベアを復活させたそうです。
それでも、今では数が少なくて希少価値があり、ビング社のクマはとても貴重なアンティークベアとなっております。
テディベアの他に、縮尺1/43のミニカーや
自動車などのエンジン部品なども復活したそうです(現在は分かりませんが..)


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