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2023年9月3日(日)晴れのち雨

8時半起床。朝ばばがカーテンを洗ってくれたので、私はそれをベランダに干した。でもすぐに風に吹かれて下に飛んでいった。ひとつは駐車場の屋根に落ち、もうひとつはバラの茂みに絡まった。トゲでカーテンを裂いてしまわないよう慎重に引き上げた。

11時にゆうさんが車で来て、大きな荷物の運搬を手伝ってくれた。布団やヨガマットを積んでも、全然車のスペースが余ってしまった。せっかく車があるので持って行きたい荷物を追加で絞り出そうとしたが、結局手で持てるくらいのものしかなかった。なんだかもったいない気がしたけれど、そのまま出発した。

ひと通り荷物を家に運び入れた後、ごうまと大船駅付近で合流した。ゆうさんと合摩にお互いを紹介し3人で昼食。ゆうさんは私が仕事を始めてから知り合った映画制作の先輩で、合摩は高校の同級生。なんとも不思議なメンバーだったけれど、ふたりとも本を読む人なので、共通の話題もあって楽しかった。私はいつも合摩に会うと一瞬で高校生に戻る。ずっとふざけて空想の話で盛り上がり、解散した後は若干体調が悪くなるほど笑い疲れている。何を話したかと聞かれても、大体覚えていない。1年くらい会わなくても、会っていない時間を一瞬で超えていけるこの関係はすごいと思う。

ゆうさんと合摩と3人で、北鎌倉大船付近のリサイクルショップを見て回った。洗濯機も冷蔵庫も良さそうなものはあったけれど、どれも若干決め手に欠けていた。結局何も買わずに一時検討することに。

夕方ごろ大船を出て、シーン稽古のために高円寺へと大移動。隣にいる石原さんは俳優たちに向かって明確な質問を投げかけ、キャラクターについて深掘りしていく。その様子を見て自分の未熟さを痛感する日だった。起こっていることは見えても、なぜそうなっているのかが分からない。だから現象に対する違和感を解決するために導くことができない。その中でふと気づいたのは、俳優がシーンが起きている場所に馴染んでいることはとても重要だということ。それは頭で理論立てて作っていくものではなく、設定として与えられた人物の欲求・障害・行動が、どれほど俳優自身の身体に染み込んでいるかという身体感覚のように思う。

稽古が終わっていつも通り反省会。私自身、たしかにこのワークショップの目指しているものが分からなくなることや疑問をもつ瞬間、諸手を挙げて同意できないこともある。でもそういう要素がひとつやふたつあるからって、この稽古をやめようとか、自分は方向性が違うのだと判断するのはまだ全然早い。分からないと感じたのであれば、少しでも多くを知るために踏ん張り続けていたい。知った結果方向性が違うと感じても、何も知らなかったときよりも私の世界は格段に明るい。

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