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『くないは飛ぶよ。インドまで。』 ~日本語のお話~

「景色キレイくない?」「終わったくない?」

最近の若者言葉では「くない」が飛び交っている。勿論「寒くない」「赤くない」のように形容詞の連用形ではないので、明確な誤用である。
この手のいわゆる「若者言葉」が使われ始めた時に、「馬鹿者言葉だ」と不快に感じるか、「実に面白い」と興味を持つか反応の別れるところだ。後者の方がなんだか「本物感」「知的感」があるので(僕の中では荒俣宏を連想する)、本音では前者の感覚に近いはずなのに、努めて後者を装うのが凡夫たる私めの悲しい性なので、少し考えてみよう。

今回の「くない」言葉が誤用だと知るためには「品詞の活用」を理解する必要がある。近年の入試においては出題がほぼ見られない分野であるので、教育業界に従事していた当時僕自身ないがしろにしていたところだ。当然、触れる程度でとりあえず暗記しとけくらいの話になってしまうが、こうして新しい言葉への違和感を抱いた際に、その解明に必要になってくるから、無駄な学びなど存在しないのだなと思い知らされる。

また、冒頭の例でいえば「キレイ」は「イ」で終わっているために形容詞、形容動詞の分類で間違えやすい代表例の様な語である。こんな時に「品詞の活用覚えろ」とごり押しする(酷い人は「ダ」をつけられるだろ!の一点張りだったりする)のではなく、冒頭の様な例示をしながら解説など出来れば少しでも面白い学びになったのかなと悔恨を今更ながらに持つ。

今回の若者言葉は、「あーね」「それな」などといった単なる流行り言葉ではなく「日本語の変化」という性質のものなので、あくまでも「正道」を理解したうえで変化を見守っていく姿勢が肝要かなと僕の立場を定めておこうと思う。

さて、近年の流行り言葉といえば「蛙化現象」という言葉も代表的だ。こちらは若い女性のなかで生まれたいわゆる新語の類なのかと思っていたが、調べてみるとグリム童話「かえるの王様」に関する論文で定義された学術用語であるというのには驚かされた。

ガンジス川に臨むバラナシに滞在していた際、その独特の河辺の雰囲気を甚く気に入っていたのだが、滞在して4.5日が過ぎた頃に日本がGWに突入し、散歩すれば日本語が耳に入るようになって、大好きだった街に急激に白けてしまったのは「蛙化現象」というのでしょうか。違うか。

しかし、偶然にも学生時代の同期と後輩とガンジス川で邂逅した際には尻尾ふりふり喜んだわけだから僕もたいがい現金なものである。

「旅行記」という設定上、「くない」からインドへ着地点を何とか見出そうとしてみたが、これは些か無理があるくない?

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