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月曜から夜ふかし〜後編・桐谷さん登場🇲🇾🇰🇿〜

クアラルンプールのラウンジで食事もシャワーも済ませ、機内用にYouTubeもダウンロードした。カザフスタンはアルマトイ空港までの8時間の備えは完璧だ。

出発ロビーの待合は好きだ。これから向かう国の雰囲気をかすかに感じ取ることができるし、僕のフライトの道連れはこの中の誰なのかと夢想するのも一興。

搭乗が開始されたら早々に機内に乗り込み(LCCでは最後の方になると荷物棚が埋まっていたりして、預け荷物せずに行動している僕には死活問題なのだ)、窓際ではないことは残念だが、3人席でないことには安心しつつ、旅の道連れの搭乗を待ちわびる。程なくして隣に座したのは、中国人か日本人か判然としない小柄な初老の男性であった。

落胆は否めないが、肘掛けを図々しく占拠する様子もないことは何事にも変え難い。僕はUSBポートに充電ケーブルを接続するが、充電される気配はない。LCCではままあることだ。ケーブルを外してしまうことすら億劫に感じ、そのままに放置する。しかし、隣の男性は明らかに僕の見様見真似で、小ぶりで使い古したリュックサックからケーブルを取り出し、充電を試みる。当然給電はされない。首を傾げながら何度も差し直したりする姿は妙に愛らしく、見かねて声をかけてしまう。横目に入ったスマホの画面で日本人であることは確認できたので、日本語でそれは使えないようですよと告げる。

男性は大袈裟にびっくりした顔を見せ、「日本人でしたか⁈私こういったもの苦手でして、助かりました。すみません、ええ、ええ」。実に日本的な反応だなと僕も自然と笑みが溢れる。そして彼の登場から薄々感じていた印象が話ぶりで確信に変わる。

「桐谷さん(そっくり)じゃん」

桐谷さんとは、マツコデラックスの「月曜から夜ふかし」で人気の男性で、元プロ棋士にして、現在は株主優待権で生活するという自転車爆走おじさんだ。僕は家が近所だったこともあり、何度かお見かけしたこともあり、ファンと言ってもいい程には好きだったのだ。

もちろん彼にそのことを伝えることはないが、僕は勝手に彼を桐谷さんと脳内で呼ぶことにした。

桐谷さんと言葉を交わせたことに満足しつつ、離陸した機内で僕は保存しておいたYouTubeを再生せんとイヤホンを用意する。その時、桐谷さんから声がかかった。

「それにしても、この機内で日本人2人が隣り合わせるなんて偶然ですねえ。ええ」

社交性に乏しい日本人同士である。最初の必要性のある会話以外に向こうから話しかけられるとは思わなかったので、少々面食らったが、桐谷さんはどうやら会話を続けるつもりのようだ。

聞けば桐谷さんも日本から同じ便でクアラルンプール経由カザフスタン行きである。いよいよ運命的だ。

桐谷さんは失礼ながら金持ち老人には見えない。しかし、知的な雰囲気を携えているので、僕は学者か何かでその関係で中央アジアを訪れるのだろうと当たりをつけた。結構な自信を持った予想だったのだが、返ってきた答えは想定外のものであった。

「私はあまり計画は立てていないんですけど、ただ3週間ほどで中央アジアをフラフラしてみたいと思うんですよね。ええ」

なんと、桐谷さんは旅人であった。しかも、驚くべきことに、老人が図書館に行く時でも頼りないレベルのその小さなリュックサック1つで旅するのだという。僕は驚いて、そのパッキングの上手さを讃えると、

「いえ、お恥ずかしいんですがね、服は着替えないもんで何も入ってないんです。ええ、汚い話で申し訳ないですが」

桐谷さんは立派な、立派すぎる65歳のバックパッカーだった。機内持ち込み出来る大きさに収めたんだとカリマーのバックパックをパンパンにして息巻いていた自分が恥ずかしい。

俄然桐谷さんに興味の湧いた僕は前のめりで話し込んだ。聞けば桐谷さんは会社を早期退職した58歳で初の海外旅行を経験し、そこから旅にのめり込み、中国には20回も訪れ(「私なんかはね、中国は敵国だとしっかり思っているんですけど、行ってみるとね、面白いんですこれが、ええ」と、やはり不思議な方だ)、ウイグルまでも1人で乗り込んでいるような猛者だ。まるで若者バックパッカーの様に、海外キャッシングに適したカードの知識、ドミトリー選びのポイントなどを教え合う。

台湾で大富豪に連日食事に招待された話、ポルトガルで10時間歩いた話、エクアドルでギャングに襲われた話。桐谷さんの話は尽きない。尽きない。尽きてくれない、、

眠い。我々は羽田を25時半に出発し、機内で多少寝られたかもしれないが、それから飛行機乗り換えを経て13,4時間、更に8時間のフライト中だ。気づけばもう3時間近く桐谷さんは話し続けている。まさかこの男はこのままアルマトイ到着まで話し続けるつもりなのか。20回の中国で不老長寿の秘薬を手に入れたか、エクアドルのギャングからキマる薬を貰い受けているのではないか。

この無尽蔵のスタミナ、しかも株やFXで旅費を稼いでいるというのだから、必死で目を見開きながらも朦朧とし始めた僕には桐谷さんご本人との境界がつかなくなっていた。

ゆとり世代として年金受給世代に体力を奪い続けられるわけにはいかない。残念ながら秘薬もガンギ丸も持っていない僕は己の知恵で戦うしかない。桐谷さんがトイレに席を立つ。ここしかない。狸寝入り。

僕はこうしてこれから始まる旅の体力を到着前から空にされるのを防いだのである。断っておくが、僕は桐谷さん、そして彼の話が大好きで仕方がなかったのも紛れもない事実である。

夕方にアルマトイ空港に到着し、その日は空港のベンチで朝まで過ごすという桐谷さんと(とことん脅威の65歳である)空港周辺を一緒に探索した話でも1本書けるくらいにあるのだが、誌面でまで桐谷さんに体力を吸い込まれるのは勘弁被りたいので、ここまでにしよう。

日本から最初の目的地カザフスタンに着くまでの24時間の話。

この世には80億人の80億通りの人生がある。面白い。面白すぎる。

皆、生きて存在しているだけで個性的で、多様性の担い手なのであろう。

僕が旅に出る理由は大体100個くらいなんてどう水増ししてもないが、一つは間違いなくこれである。

人々の違い、それでもそこに確かに存在する普遍性とは何か。僕はそれを知りたい。


桐谷さん(仮)
びっしりと手書きで書かれたメモ帳に味がある

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