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ノーベル経済学賞2022:植田健一「銀行の役割と金融危機に関する理論と歴史研究~バーナンキ、ダイアモンド、ディビッグ」

このnoteでは、東京大学の植田健一先生に『経済セミナー』2023年2・3月にご寄稿いただいた、2022年ノーベル経済学賞の解説記事を公開しています!(経済セミナーの最新号は以下からご覧いただけます)


|植田健一《うえだ けんいち》
東京大学大学院経済学研究科兼公共政策大学院教授

■ プロフィール
1991年、東京大学経済学部卒業。2000年、シカゴ大学大学院経済学博士号取得(Ph.D.)。大蔵省(日本)、国際通貨基金(IMF)エコノミスト、同シニアエコノミスト、マサチューセッツ工科大学経済学部CFSPポリシーフェロー、東京大学大学院経済学研究科兼公共政策大学院准教授などを経て、2021年より現職。
主著:『金融システムの経済学』(日本評論社、2022年)。
『経済セミナー』にて、「マクロ開発経済学」連載中!

1 はじめに

2022年12月10日、ストックホルムにて、シカゴ大学のダグラス・ダイアモンド教授、ワシントン大学のフィリップ・ディビッグ教授 [1]、そしてブルッキングス研究所のベン・バーナンキ氏(元米連邦準備理事会議長)の3名に、ノーベル経済学賞受賞が授与されました。

[1] このワシントン大学はミズーリ州セントルイスにある私立大学で、ワシントン州シアトルにある州立のワシントン大学とは異なります。

ダイアモンド教授とディビッグ教授が、Diamond and Dybvig (1983) において「ダイアモンド=ディビッグ・モデル」という画期的な理論を提示したことは、経済における銀行の役割とは何かを探求する、いわゆる「銀行理論」の幕開けとなりました。彼らの論文は、銀行の本質的な役割を端的に示すと同時に、取付騒ぎが起こりうる銀行の脆弱性も指摘することで、銀行危機のメカニズムを明らかにしました。さらに、預金保険や中央銀行の最後の貸し手機能などの制度や政策の重要性を示しました。

それに対してバーナンキ氏は、主に金融危機(大恐慌)の文献とデータに基づいた歴史的な分析が評価されました。Bernanke (1983) は、アメリカで1929年から始まった大恐慌は、なぜそれが大恐慌と呼ばれるほど深刻な経済危機になったのかを分析し、その中心に銀行危機があったことを明らかにしました。特に、銀行の提供するサービスは、銀行が潰れた後も、すぐには代替されなかったことを示し、銀行と企業との間の長期的な関係の重要性を見出しました。

彼らの研究がノーベル経済学賞を受賞するに値する理由は、「金融危機を深く考察することで銀行の本質を捉え、同時に金融危機・経済危機の原因とその対処法を探り出した」という点にあると思います。銀行理論という一分野を創出したばかりか、金融危機・経済危機の研究の基盤の一部にもなっています。そのため、ダイアモンド=ディビッグ・モデルは現実の政策にも応用され、バーゼル規制などの国際的な金融規制の考え方の基礎となっています。またバーナンキ氏自身が、2008年頃から始まった世界金融危機において、米連邦準備理事会議長として第一線でその知見を金融危機対応に活かしていました。そして、世界金融危機を受けて、単なる銀行の資本規制を超えた「金融システム安定政策」が、それまでの財政政策や金融政策と並んで、1つの政策分野として成り立ち、ここ10年以上の間で強化されつつある状況です。学界でも現在、この分野の研究はますます盛んになっています。

2 ダイアモンド=ディビッグ・モデル

銀行理論はまだまだ発展途上にあり、最近の中央銀行デジタル・カレンシー(CBDC)の議論においても、ダイアモンド=ディビッグ・モデルの考え方は欠かせないものとなっています [2]

[2]植田(2022)では、ダイアモンド=ディビッグ・モデルの基礎から応用までを詳細に説明しているので、ぜひ読んでいただければ幸いです。

実は経済理論では、「なぜ銀行が必要か?」という問いに対する答えはそれほど簡単には出てきません。大学初級レベルのミクロ経済学やマクロ経済学の教科書には、おそらく銀行の必要性について解説したものはほとんどないでしょう。実際、企業が資金を必要とするならば、株式(業績に応じてリターンが変動する証券)を発行して、資金の供給者から市場を通じて調達するというのが、本来の市場を通じた価格による需要と供給のマッチという、古典的なミクロ経済学の教えです。そして、市場が十分に発達していれば、厚生経済学の基本定理が成り立ち、このような市場を通じた資金の配分が社会的にも最適となります。実際、ニューヨークや東京などの株式市場はかなり発達しています。もちろん、今はまだ完全とは言えませんが、金融をめぐるさまざまな技術革新が急速に進行している昨今の情勢を見れば、「なぜ銀行が必要なのか?」「銀行業は今後どうなるのか?」という疑問が湧いてくることと思います。

古典的な理論では、実は業績に応じてリターンが変動することのない債券(債権型契約)の発行ですら、あまりよく説明がつきません。さらに、債権型契約を企業と個人がそれぞれ結ぶ社債の購入という形でなく、「なぜ銀行が間に入って、企業とは銀行貸出という債権型契約を結び、個人とは預金という債権型契約をそれぞれ結ぶのか?」という疑問も湧いてきます。こうした疑問は1970年末頃までは、経済理論においてまだ数理モデルとしては問われていない、あるいは解決されていない問題でした。そのような状況の中で、Diamond and Dybvig (1983) という論文が現れたのです。

ダグラス・ダイアモンド氏
(写真提供)AFP=時事。

2.1 満期変換と信用創造

ここでは植田(2022)の解説に基づいて、ダイアモンド=ディビッグ・モデルを簡単に説明します。図1のように0期、1期、2期とあるモデルを考えます。人々は第0期に資産1の投資をします。投資先として、短期の安全なリターン1が第1期にもたらされるものと、長期の安全なリターン(元利合計) $${R>1}$$が第2期にもたらされるものがあります。ただし、長期投資のプロジェクトを第1期に中途換金する場合は、元本より低いリターン( $${L<1}$$)となり、損をするとします。つまり、長期投資を中途で換金する場合は、プロジェクトが完結せず(たとえば工場などが未完成で)、リターンが短期の安全資産で運用したときのリターン1より低くなり($${L}$$となり)、損をすることになります。

図1 ダイアモンド=ディビッグ・モデル
(出所)植田(2022)、図8.1より。

この経済には多くの人が存在し、そのうち ($${1-\alpha}$$) %の人は第2期まで現金は不要ですが、$${\alpha}$$%の人は第1期に、たとえば突然病気になったり洪水や地震などの災害に遭ったり、あるいは友人が急に結婚してそのお祝いに行くことになるなど、現金が必要になるため中途換金すると仮定します[3]。ただし、第1期に急に現金が必要になるかどうかは、投資時点(第0期)ではわからないものとします。なお、急に現金が必要になることを「流動性ショック」が起きると言います。

[3] 正確には $${(\alpha \times 100)}$$%ですが、100を略しています。

議論の簡単化のために、人々はリスク中立的だと仮定します[4]。投資時点(第0期)で、ある人が保有資産を第0期に長期投資をすると、その投資の期待利得は$${(1-\alpha)R+\alpha L}$$となります。この期待利得が1より小さければ、安全な短期運用よりも損することになります。そのため、誰も長期投資をせず、すべての保有資産を短期運用にするでしょう。事後的に考えると、($${1-\alpha}$$)%の人が長期投資をできていたにもかかわらず、流動性ショックがあるために、誰も長期投資しないという結果になっています。つまり、経済全体として効率的な資金配分となっていないのです。

[4] ただし、もともとのダイアモンド=ディビッグ・モデルではリスク回避的と仮定しており、そのケースについては2.4項で少々説明します。

このときに、銀行が社会的意義を持つことになります。銀行は、預金という形で資金を募り、そのうちの($${1-\alpha}$$)%を長期投資に回し、残りのα%を短期運用に回すとします。この場合、第1期にα%の人が預金を引き出しに来ますが、銀行は短期運用に回していた資金で対応できます。

残りの($${1-\alpha}$$)%の長期投資に回していた資金は、第2期に預金を取り崩しに来た預金者に、$${R}$$という高いリターンをつけて渡します。このとき、経済全体で効率的な投資をしていることになり、社会厚生も高くなっています。このように銀行は、短期(要求払い)の預金を預かり、それを長期の投資に回すという役割を担っているのです。これを銀行の「満期変換機能」と言います。

企業の生産設備への投資や研究開発、また家計の住宅購入など、借り手側が長期で資金を借りたいニーズはおそらく今後もずっとあるでしょう。一方、お金を預ける側としては、10年も20年もそのリターンを待っていなければならない状況よりも、いざというときに引き出せるところにお金を預けたいというニーズも今後ずっとあるでしょう。この意味で、満期変換は社会に必要なものであり、そのメカニズムを考えると預金を集める銀行業に固有のものと考えられます。銀行の役割はいくつかありますが、やはりこの機能が最も本質的で重要なものだと考えられます。

少々別の見方をしてみましょう。長期投資はコストなしですぐに引き出せないという意味で流動性が低い一方、要求払い預金はいつでも引き出せてさまざまな取引に使うことができるという意味で流動性が高いとみなすことができます。後者はいわば「お金」です。そのため、(狭義の)通貨のマクロ経済指標である「M1」には、要求払い預金(当座預金、普通預金など)が含まれます。

このように、銀行は通貨(預金通貨)を作り出しています。このことを「信用創造」と呼びます。中央銀行が供給する紙幣は経済活動の外で作り出されることから「外部貨幣」とも呼ばれるのに対して、市中銀行の信用創造(預金通貨)は経済活動の中で作り出されるため「内部貨幣」とも呼ばれています。なお、CBDCが導入されれば、外部貨幣(紙幣)だけでなく内部貨幣(預金通貨)までも代替しかねず、銀行業界が崩壊しかねないという懸念があります。もしそうなると満期変換が行われなくなり、社会的に損失が出ることになると予測されます。

フィリップ・ディビッグ氏
(写真提供)AFP=時事。

2.2 銀行の脆弱性

ダイアモンド=ディビッグ・モデルでもう1つ重要なことは、冒頭でも述べた通り取付騒ぎが起こりかねないという銀行の脆弱性を示したことです。

ここで、第1期に資金を必要としていなかった$${(1-\alpha)}$$%の預金者の意思決定問題を考えましょう。これらの預金者は、第1期に預金を引き出す必要はないのですが、仮に自分以外のその他大勢の預金者が預金を引き出している状況を目にしたら、どうするでしょうか。この状況を表1に表現しています。

この預金者たちは、第1期に預金を引き出す必要がないので、他の同様の預金者が引き出さなければ自分も引き出しません。そして自分の利得もその他大勢の利得もともに$${R}$$となります(表1の左上のセル)。一方で、自分もその他大勢も第1期に預金を引き出すと、銀行は倒産してしまうため、預金者は銀行の残余資産を受け取ることになります。それは、長期投資をしていた$${(1-\alpha)}$$%分を中途換金して$${L<1}$$となったものと、$${\alpha}$$%の短期運用分の合計であり、自分の利得もその他大勢の利得もともに$${r=(1-\alpha)L+\alpha<1}$$で元本割れとなります(表1の右下のセル)。

銀行がわずかでも余裕資金を持っているならば、自分1人くらいは引き出してもその他大勢が引き出さなければ、銀行に問題は生じないと考えられます。その場合、自分は1、その他大勢は$${R}$$という利得になります(表1の左下のセル)。逆に、その他大勢が引き出して、自分が引き出さないと、銀行は残余資産$${r}$$をその他大勢に配って残余資産が0になり、自分の取り分はなくなります(表1の右上のセル)。

ここで、その他大勢の人々が預金を引き出さないとすれば、自分も引き出さない方が得であり、結果として誰も預金を引き出さないという良い均衡(左上のセル)が存在します。一方で、その他大勢の人々が預金を引き出すのであれば、自分も引き出した方が得になるので、全員が銀行に殺到する「取付騒ぎ」が起こるという悪い均衡(右下のセル)も存在します。この2つがナッシュ均衡となります。悪い均衡は、銀行が健全でも起こる可能性があります。つまり、風評被害だけで銀行取付が起こりうるというわけです。この場合、本来実現されるべき長期投資の果実を、誰も手に入れられないという意味で、明らかに社会全体にとって損失が生じています。

表1 第1期で引き出す必要のない預金者(1対その他大勢)のゲーム
(出所)植田(2022)、図8.2より。

2.3 預金保険、中央銀行の最後の貸し手機能、バーゼル規制

このような風評被害による銀行取付を防ぐ手段として、「預金保険」があります。公的に銀行が約束した通りの利子で預金を返すことを保証するわけです。つまり、表1では右上のセルが($${R}$$, 1)に変化し、また右下のセルが(1, 1)に変化します。たとえその他大勢の人々が預金を引き出しに殺到して銀行自体にお金がなくなったとしても、自分はそうせず第2期まで預金の引き出しを待っていれば、自分の預金が約束通りの利率で返ってくるわけです。これはその他大勢の人々にとっても同様です。そして、人々はそのことに安心して誰も預金を引き出しに行かなくなり、取付騒ぎが起こるという悪い均衡は存在しなくなります。

また、中央銀行による「最後の貸し手」機能にも、預金保険と同様の意義があります。この仕組みは、取付が第1期に起きた場合に、中央銀行から流動性を銀行に供給するというものです。銀行は中央銀行からの借入によって、多くの預金者が預金を引き出しに来ても、長期投資を中途換金することなしに、約束通り1を支払うことができます。そのため、どれだけ第1期に支払いをしたとしても、第2期まで待った預金者に約束通り元利合わせて$${R}$$の支払いができます。もちろん、予定以上に第1期に預金を払い戻している分だけ余分に長期投資を行っており、その元利$${R}$$を第2期に中央銀行に返金できるわけです。この仕組みでも、第2期まで待つことのできる預金者は第1期に引き出しに行くことがなくなり、銀行取付が回避されることになります。

その一方で(この単純なモデルでは描かれていませんが)、そうした公的な保険があることで、事前に銀行がリスクをとりすぎるというモラルハザードの懸念が生じることになります。ダイアモンド=ディビッグ・モデルでは、長期投資の$${R}$$というリターンが生じることを仮定しており、そのリターンがどこから来るかは考慮していません。しかし、長期貸出のポートフォリオ自体、そもそも銀行が選んでいるはずです。さまざまな投資には、通常リスクとリターンのトレードオフがあります。つまり、ハイリスク・ハイリターンのものからローリスク・ローリターンのものまで、さまざまな組合せのポートフォリオがありえます。このとき、公的な保険で預金者のリスクがなくなると、預金者が銀行の財務情報を気にして、場合によっては取付をする(この場合、ファンダメンタルに基づく取付)という「足による投票」が効かなくなり、銀行は漫然とハイリスクの投資を追い求めすぎる可能性があります(Calomiris and Khan 1991)。

このような預金保険によるモラルハザードの可能性は、Kareken and Wallace (1978) ですでに知られていました。しかし、ダイアモンド=ディビッグ・モデルによって預金保険はなくし難い存在であることが明らかとなったため、別に何らかの制度的な対応が必要とされるようになったわけです。そして、リスクの中でも、とりわけレバレッジをかけすぎることを防ぐ資本規制が必要だと考えられるようになりました [5]。こうした考え方が、現在も続く、いわゆるバーゼル規制の理論的基盤になっています。

[5] 預金保険によって預金者の足による投票が期待できない以上、株主によるコーポレートガバナンスが期待されます(Laeven and Levine 2009)。なお、預金保険が預金をペイアウトするときは銀行が破綻し、経営者は失職するなどします。これは、中央銀行の最後の貸し手では起きず、モラルハザードが助長されます。そのため、中央銀行は債務超過でない銀行にのみ貸し出すことが、通例となっています。

なお、大恐慌時のアメリカ、戦後の日本や、2001年のアルゼンチン、2015年のギリシャでとられたように、政府が銀行取付を認識すると同時に、銀行にある程度の期間の休業を命じて、その間はまったく引き出しを認めないか、少額に限ってのみ認めるという政策対応があります。「銀行休業」または「預金封鎖」と呼ばれます。これは、その他大勢の人々が引き出し行動をしないということを確定させる、いわば強制的に不完全情報をなくす形での解決策です。しかし、この方法では風評による銀行取付自体は強制的に回避できますが、そもそも現金が必要な人が現金を引き出せないという不効用が生じてしまいます。したがって、最適な政策対応とは言えません。

2.4 リスク回避的な場合と証券市場

本稿ではここまで、人々はリスク中立的な効用を持つと仮定してきましたが、もともとのDiamond and Dybvig (1983) では人々はリスク回避的な効用を持つと仮定しています(また、$${L=1}$$という、中途換金にペナルティがないケースが考えられています)。その場合、銀行は短期運用を少々増やし、(良い均衡において)第1期に引き出した人に1より大きいリターンを与え、その分だけ第2期に引き出しに来た人には$${R}$$より小さいリターンを与えます。こうすることで、災害などが発生し突然流動性ショックに見舞われた状況にある第1期の消費者が被った損失を多少カバーする保険のような機能が、銀行預金に付属して提供されていることになります。

しかし、その均衡は、証券市場での取引が許される場合には、頑健ではないことが知られています(Jacklin 1987;Allen and Gale 2004)。このとき銀行は、(証券市場との裁定によって)基本的にはリスク中立的なリターンの預金契約を提供することになります。

3 金融危機と経済危機

3.1 マクロ経済学の3つの分野

図2には、アメリカ経済のおよそ150年間の1人当たりの実質GDPのグラフ(対数表記)が、実線で示されています。破線は、その平均的な傾向を示していますが、年率2%であり直線で示されています。図を見ると、ほとんどの年の値は破線の周りにあり、1人当たり実質GDPが時間を通じて細かく上下に変動していることがわかります。

図2 過去約150年間(2014年まで)のアメリカの1人当たり実質GDP
(注)対数表記。2009年の米ドル価格で実質化、破線は2%成長の直線。
(出所)Jones (2016)、Figure 1に基づいて作成。

現在本誌で筆者が連載中の「マクロ開発経済学」の第1回(2022年2・3月号)で説明したように、マクロ経済学には「経済成長論」「景気循環論」「経済危機論」という3つの分野があります。

長期の平均的な破線の動きは、(構造的)経済成長と呼ばれ、「経済成長論」で研究されています。一方、破線の周りでの細かい上下の変動については「景気循環論」で研究されており、その上下動はおおむね2~3年くらいの周期となっています。

ただ、この150年間の中で、大きく1人当たりGDPが下がっている年があります。それは、1929年から始まる大恐慌です。また、それに比べると少々見えにくいのですが、2008年からの世界金融危機も上下動というよりは、下振れが激しいように見えます。このように大幅にGDPが低下する状況(目安としては全体としてGDPの損失が10%程度以上)や、なかなか元の破線(長期の経済成長トレンド)に戻らない状況は、「経済危機論」で研究されています。

3.2 経済危機の理論のプラットフォーム

これら3つの分野のうち、経済危機論については独立した分野とは考えていない研究者も多いかもしれません。先進国では、経済危機は稀にしか起きない(多く見積もっても30年に一度程度)とされ、特殊事例として片付けられることが多いように感じます。一方、アルゼンチンのような国では10年に一度は危機が起きており、単に景気循環の大きなものとみなされ、景気循環論の枠内で分析している研究者も少なくない状況です。

Kydland and Prescott (1982) 以来、景気循環論は確率的動学一般均衡(Dynamic Stochastic General Equilibrium:DSGE)モデルを用いた研究によって発展してきました。そのようなモデルでは、景気の循環の本源としてあるのは確率的な外性的ショックです。もちろん、そうしたショックに対して金融も含む制度や政策などが存在することで、結果として表れるGDPの変動の大きさは変わってくることになります。これが、景気循環論の主な研究対象になっています。

それに対し、Diamond and Dybvig (1983) は、動学は展開していませんが、簡単な一般均衡モデルにおいて、銀行が存在する場合には複数均衡が生まれることになり、悪い均衡が生じる場合は大きくGDPが低下することを示しました。また、この危機の起こり方は、どのようにして人々がその均衡を選ぶかはよくわからないという意味で確率的ですが、人々がそれを選んでしまっているという意味では、内生的に起きています。その意味では、景気変動の本源的なものを外生的ショックとしている景気循環論(その主流のDSGEモデル)とは一線を画すものであり、やはり独立した「経済危機論」と位置付けるべきものだと思います。

ただし実際には、一口に経済危機といってもその起こり方はさまざまであり、経済にとって外生的なものも内生的なものもあります。(外国政府などに引き起こされる)オイルショックやより一般的なエネルギー価格のショック、(自然によって引き起こされる)震災や風水害など、こうしたショックによってGDPが大きく低下する場合も多く存在します。

その一方で、経済において内生的に起こるショックとして、銀行危機、金融市場の危機といった狭義の金融危機があります。それに加えて、外為市場での通貨危機、国際資本市場での経常収支危機(急激な資本投資の引き上げ、サドンストップ)、国債市場での国家債務危機があります。これらはすべて市場で起こるので、すべてを含めて(広義の)金融危機と呼ばれます。

なお、この中で、通貨危機の定義としてよく用いられるのは15%以上の減価が1年で起こることですが(Reinhart and Rogoff 2009)、日本円は2022年に発生した急激な円安も含めて、過去に何度かこの定義に基づく通貨危機に陥っています。しかしGDPが10%以上も落ち込むような事態にはなっていません。つまり、大地震が必ずしもGDPを10%低下させることがないように、通貨危機が(そして他の金融危機も)必ずしもGDPの大幅な低下につながるわけではないのです。また、株価の暴落や地価の暴落は金融危機には含まれません。しかし、それに伴って銀行危機が起きた場合は金融危機となります[6]

[6] 株価の暴落が必ずしも銀行危機や他の金融危機につながらないことは、実証的にも明らかにされています。株式への投資は、相対的に裕福な家計によって行われているからです。それに対し、地価の暴落は銀行危機につながることが知られています(Claessens et al. 2014)。こちらは貧富の区別なく、多くの家計や企業が土地を担保に借入を行っているからです。

いずれにせよ、実はダイアモンド=ディビッグ・モデルは、通貨危機、経常収支危機、国家債務危機を説明する理論の共通の土台、プラットフォームになっています。通貨危機や経常収支危機であれば、国の持つ外貨準備がダイアモンド=ディビッグ・モデルにおける銀行による短期資産(流動性)保有に当たり、多くの投資家がある国の通貨を(その国の資産を)売りに出せば、外貨準備が必ず枯渇することになります(Obstfeld 1996)。

国家債務危機についても同様のことが起こりえます。国がその年の国債の償還分を、新たに国債を発行することで借り換えて(ロールオーバーして)いる状況では、借換のために発行される国債(借換債)が、往々にして既存の国債の償還前に入札で売り出されます。その借換債を低い金利で売ることができないと、デフォルトを宣言する可能性が高くなります。この状況で、ある投資家は、その借換債を低い金利で購入する投資家が他にどれだけいるかに基づいて入札金利を決めます。これが、あたかも他の預金者の動きを予測して動く銀行取付のモデルと同じ構造になるわけです。つまり、ある国が今年償還する国債を返せるかどうかの判断を各投資家が行うことで、借換債にデフォルトリスクの高いプレミアムが乗せられ、実際にデフォルトせざるをえなくなってしまうという、悪い均衡が生まれます(Cole and Kehoe 2000)[7]

[7] 日本政府も、予算上の財政赤字を埋めるために毎年新たに国債(新規国債)を発行していますが、それ以外に過去発行した国債の償還のためにも国債(借換債)を発行しています。

ただし、この国家債務危機の場合(為替危機における固定相場もそうですが)、そもそも国債残高が十分に低ければ(為替では相場に対応した適切な金融政策などが行われていれば)、悪い均衡が起きないことも理論的に明らかです。つまり、複数均衡の可能性を招くような政策をとらないことで、危機を防ぐことができるのです。この点は、ダイアモンド=ディビッグ・モデルで示されるように、銀行取付の均衡を(満期変換をしている)銀行だけでは防ぐことができないという、銀行業の本質的な脆弱性とは異なります。

3.3 経済危機の実証研究

経済学は、理論と実証の両輪で発展してきました。経済危機・金融危機については、たまにしか起きない事象であるため、近年までは計量経済学を用いた実証分析に耐えるだけの十分なサンプルを集めるのがかなり難しい状況でした。従来は、世界大恐慌の研究といった形で、特定の危機に着目して地道にデータを収集し、場合によっては理論を構築してその予測と現実の違いを考えながら、何が本質的な問題だったのか、何がどの程度危機を説明できるのかを考える、といった研究がなされてきました。

特にアメリカで1929年から始まった大恐慌については、多くの研究が行われてきました。現在に至るまで有名な著作はFriedman and Schwartz (1963) です。この書籍では、アメリカの大恐慌の主要因は十分な貨幣供給がなかったことであるということを、丁寧にデータを追いながら説明しています。

それに対して、Bernanke (1983) は、貨幣供給だけが主因ではないと主張しました。もし貨幣供給の問題だけであったならば、大恐慌があれほど深刻になったことに加えて、そこからの回復が景気循環のおおよその周期である2~3年を過ぎても始まらなかったことの説明がつかないということを、多くの文献やデータをもとに明らかにしています。そして、アメリカの大恐慌では多くの銀行取付が起きたことも知られていますが、銀行には特殊な役割があるため、銀行が突然機能しなくなり、他にその役割を代替してくれる主体がすぐにない場合には、経済全体の生産活動が低下してしまうだろうと議論しています。

この見方は、ダイアモンド=ディビッグ・モデルの理論と整合的になります。ただし、ダイアモンド=ディビッグ・モデルは静学的であり、銀行が社会の役に立っているのであれば、ある銀行が潰れた後で、なぜ他の銀行が代わりに役割を担ったりしないのか、また新規参入が起こらないのかについてはわかりません。

ベン・バーナンキ氏
(写真提供)TT News Agency/時事通信フォト。

そこで、Bernanke (1983) は、銀行員が良い企業と悪い企業を選別する専門的技能を時間をかけて身に付けたり、貸出先との長い付き合いの中で貸出先の情報を探ったりしているという点に着目し、多くの銀行が破綻する中で、他の銀行や証券市場ではある銀行が担っていた機能をすぐに代替することはできないと解釈しています。特に、銀行と企業との長期的な関係を重視する視点は、後に「リレーションシップ・バンキング」と呼ばれる分野の研究や実務に活かされています。その他にも、Bernanke (1983) はさらなる金融の問題点をいくつか指摘するとともに、ダイアモンド=ディビッグ・モデルにおける満期変換機能、信用創造機能以外の銀行の役割や、債務問題についてより広く考察する必要性を示しました。これは同時に、経済危機における、金融危機の影響をしっかりと位置付けることの必要性を示しています。

なお、最近は、多くの国からかなり過去までさかのぼってサンプルをとることで、金融危機についても統計的な研究ができるようになりました(Reinhart and Rogoff 2009)。そうした研究の1つであるClaessens et al (2014) では、さまざまな金融危機の前触れとして信用の急な拡大、つまり銀行貸出(と債券)の急な増加があること、裏を返せば企業や家計または国の債務の急な増加があることが示されています。そして、それが急に減少したときに金融危機が発生することが多々見られ、そのような統計的な実証分析でも金融危機において銀行貸出が中心的な役割を果たしていることが明らかにされています。

4 さまざまな銀行の役割

4.1 債権契約と銀行の役割

ところで、ダイアモンド=ディビッグ・モデルで示した以外の銀行の役割とは何でしょうか。Diamond (1984) は、いったん企業が融資を受けて生産をしてから元利支払いをする前の段階で、貸し手はその企業の売上など内部情報を、コストをかければ知ることができるという状況を考えました。この場合、コストをかけないと返済されるべきお金も返済されない可能性があるため、コストをかけて内部情報を調べたいところです。そして、多くの貸し手が個別にそれをするよりも、各貸し手のお金を1つにまとめて、その代表者が借り手の内部情報を調べるようにすれば調査にかかるコストを低く抑えることができます。ここで、貸し手を代表して企業の内部情報を調べるという組織として、銀行があるとしました。このように、Diamond (1984) は「委託監査(delegated monitoring)」という役割を銀行に与えました。

なおここで、コストをかけて企業の状態を知るという状況において、(株式でなく)債権契約が最適な契約として選ばれるということ自体は、Townsend (1979) が示しています。一方で、監査以上に、返済の取り立ての際に特に銀行員の専門性が発揮されるはずであると考え、この点を軸にした理論も提示されています(Diamond and Rajan 2001, 2005)。つまり、Diamond (1984) は委託監査のコスト(やそれ以外の貸出に伴うコスト)を社会的に少なくするために、お金をプールして貸すという方法を示したわけです。ちなみに、この Diamond (1984) の議論をネットワーク構造を考えるより精緻な数学を用いて証明したものとして、Bond (2004) があります。

この委託監査の担い手である銀行が突然なくなると預金者が困ることになりますが、融資を受けている生産者はその実際の生産高を貸し手に正直に報告しないというだけで、GDPで見ればあまり変わらないはずです。その意味では、この理論でBernanke (1983) の示した事実をよく説明できるとまでは言い難いでしょう。

むしろ、銀行と融資を受けている生産者の間にある程度の長期的な関係があり、それが突然切れることで生産が滞るということを示すべきだと考えられます。この要因としては、たとえば銀行が企業の努力水準を観察できない状況でモラルハザードが発生し、そのとき長期契約は短期契約と異なるものとなり、また経済活動もより良いものになる(Townsend 1982)と考えられます。さらに、長期間にわたる関係がいわゆる繰り返しゲームの状況を作り出し、繰り返しゲームの中での契約が完全情報の場合に近づき、経済活動も最大化される(Abreu, Pearce and Stacchetti 1986)とも考えられます。

ただし、一般的には銀行が企業の努力水準を観察できないことで発生するモラルハザードに対抗するための契約はインセンティブ契約、すなわち出来高払い、株式型となり、通常の銀行貸出のような債権契約とは異なるものです。もっとも、そもそも債権契約が静学的に選ばれるモデルを、繰り返しゲームに応用することもできます。その場合、長期契約は返済しない場合に村八分的に新しい借金が当面できなくなり、そのことがペナルティとしてうまく機能するという理論があります[8]。返済できない場合、当面の間は(最適な生産に必要とされるような)新たに借入ができないため、生産高が落ちると考えられます。

[8] この理論は主に国家債務問題で使われています。たとえば、Aguiar and Amador (2021) を参照してください。

なお、上記以外にも銀行の役割についてはさまざまな理論が構築され、実証研究が行われています。ここですべてを紹介することはできませんが、植田(2022)やFreixas and Rochet (2008) などで解説されているのでご参照ください。

4.2 景気循環論との融合

経済危機だけでなく景気循環にも、多かれ少なかれ金融業の問題が内在していると考える研究分野があります。そのような金融を含む景気循環理論モデルの嚆矢となったのが、Bernanke and Gertler (1989) です。彼らのモデルでは、倒産した際に銀行がコストをかけて企業の返済可能額を検証し、その場合に債権契約が結ばれること(Townsend 1979;Diamond 1984)をふまえたうえで、企業が自己資金(資本)を保有していれば外部資金に頼る割合を減らせることに着目しています。端的に言えば、資金調達コストは自己資金の多寡に依存するということです。このとき、何らかの要因で生産高がいったん低下する期があると、その損失のため資本が毀損し、翌期の資金調達コストはより大きくなるという形で、スパイラル的に生産高が減少する可能性を示しました。この議論を一歩進めて、より現代的な確率的動学一般均衡モデルとしたのが、Bernanke, Gertler and Gilchrist (1999) です。

上記と類似した債権契約の理論として、倒産の際に企業の返済可能額はわからず、そこで企業の資産自体を差し押さえるという「不完備契約」の理論(Grossman and Hart 1983;Hart and Moore 1994など)があります。その債権契約の理論に基づけば借入の際に担保が必要となりますが、Kiyotaki and Moore (1997) はその担保の価値の上下が次期に借入できる量を上下させることで、生産高の振れ幅もさらに増大させる動学を生むという理論を提唱しました。その理論に基づいたより現代的な確率的動学一般均衡モデルが、Gertler and Kiyotaki (2010) やGertler and Karadi (2011) で提示されています[9]。そしてこの分野では、現在でも多くの論文が書かれています。

[9] なお、経済の振幅を大きくすることで、経済危機も定期的に生まれるような理論モデルを構築し、特にアルゼンチンなど10年に一度程度の頻度で経済危機が起こる経済を説明しようとする研究分野も興隆しています。

5 温故知新:2022年の受賞が問いかけるもの

1929年に起きた大恐慌とその後の状況に関する研究は、2008年頃始まった世界金融危機とその後の状況を考察する際に重要な示唆を与えてくれます[10]。もしかしたら、ノーベル財団はより大きな変化を考えてダイアモンド、ディビッグ、バーナンキの3名にノーベル経済学賞を与えたのではないかとも推察されます。

[10] 世界金融危機後の国際金融規制に関しては、「大きくて潰せない」(Too Big to Fail:TBTF)問題の解決を中心に、強化されてきました。詳細な議論は、植田(2022)を参照してください。

1929年から始まる大恐慌の際は、各種産業での価格統制や産出高の計画、必需品を中心とした配給など、政府による経済への大規模な介入が見られました。そうした介入は、ロシア革命後の共産主義国家や日独伊などの国家社会主義国家における中心的な国内向けの政策となりました。大恐慌で困窮した人々は、そうした国家による強権を少なくとも当初は望んでいたようにも見えます。アメリカでも、ニューディール政策はこれらの政策と同様に幅広い価格統制などをするものであり、政府による経済への介入という点で見れば当時の日本やドイツなどとあまり違いがあるようにも思えません。国際的にも、1930年代はさまざまな産業で外国商品からの政治的な保護を求められ、貿易関税の引き上げや国際金融取引の制限など、いわゆる近隣窮乏化策とブロック経済化が進められていきました。

Cole and Ohanian (2004) は、アメリカは1929年以前にもいくつかの金融危機に直面したことがあったものの、そのいずれもが危機から比較的早期に回復できた一方、1929年の大恐慌の際には回復するまでに非常に時間がかかり、結局は太平洋戦争が始まる1940年頃まで、景気が回復しなかったことを主要な問題として扱っています。これは、Bernanke (1983) の問題意識と同じです。しかし、Bernanke (1983) が、景気の一時的な大きい落ち込みとそれが2~3年で回復しなかったことは、貨幣供給量に基づくFriedman and Schwartz (1963) の議論だけでは説明できず、銀行危機を考慮せざるをえないと主張したことに加えて、Cole and Ohanian (2004) は銀行危機を考慮してもなお、景気回復の遅れを説明できないと主張しています。そして、大恐慌と呼ばれる事態にまで陥った原因は、むしろそうした当初の不景気と銀行危機に対して政府が過剰に反応して経済に大規模に介入したからだと議論しています。

金融面では戦後も統制的な仕組みがある程度各国で残ったものの、1980~90年代を中心に進んだ金融自由化・国際化によって、そうした規制がようやく取り除かれました。そして、この動きが経済に良い影響を与えたことが理論的にも実証的にも示されています [11]

現在の世界経済を俯瞰すれば、2008年頃から始まった世界金融危機後、とりわけアメリカのトランプ政権期、そしてコロナ禍、ロシアのウクライナ侵攻などを経て、各国で政府による経済への介入が強まり、また貿易や国際金融取引の制約を強めるなど、戦後初めて自由化・国際化が逆戻りしつつあるように思われます [12]。こうした昨今の国際情勢をふまえて、改めて、経済危機・金融危機の原因は何か、それらに対応するための制度をどうつくるか、短期的な対応(痛み止め)と回復・正常化への道筋(リハビリ)をどうすべきかについて、「大恐慌からの経済と戦争の歴史を振り返るべきではないか?」と、今回のノーベル経済学賞が訴えかけている気がします。

[11] この点は、植田(2022)で詳しく解説しています。
[12] 最近、筆者がセンター長を務める東京大学金融教育研究センターと国際通貨基金(IMF)アジア太平洋事務所で、この問題に関するコンファレンスを開催しました。IMF-UTokyo CARF Policy Conference「ショックを受けやすい世界で金融リスクを管理するために:過去からの教訓と今後の課題」のホームページでは当日の動画が公開されています。

参考文献

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付記

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このnoteは、『経済セミナー』2022年2・3月号からの転載です:


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