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書評:大塚淳『統計学を哲学する』(経セミ2021年4・5月号より)

大塚 淳[著]
統計学を哲学する
名古屋大学出版会、2020年、A5判、248ページ、税別3200円

評者:末石直也(すえいし・なおや)
神戸大学大学院経済学研究科教授

統計学に、哲学的考察の視座を与える

タイトルが示すとおり、本書は科学哲学の研究者による統計学を哲学的側面から論じた著作である。著者の言葉を借りれば、「哲学という縦糸と、統計学という横糸によって織られる織物」のように構成されており、さらに、哲学の糸は、存在論、意味論、認識論という三本の糸からなっている。これら三本の糸はそれぞれに関連性をもっており、必ずしも一本だけを取り出せるものではないが、評者の関心を引いたのは、認識論という糸である。

認識論とは、知識とは何かを考察する哲学の一分野である。長らく知識とは「正当化された真なる信念」であると定義されてきた。結果的に正しければあてずっぽうの信念でも知識と呼んでよいというわけではなく、知識にはそれなりの根拠がなければならないというわけである。では、どのような正当化が妥当なのか。その問いにできるだけ一般的な答えを与えるのが認識論のテーマである。本書では、ベイズ統計、古典統計、機械学習、因果推論などの異なるデータ分析の流儀によって、それぞれいかなる形で信念の正当化が行われているかという問題が、哲学的認識論の歴史展開とパラレルな形で議論される。

統計学の哲学と言えば、長きにわたるベイズと頻度論の対立を思い浮かべる人も多いであろう。そこでは、確率をどのように解釈するかという意味論が一つの争点となっていた。一方、本書では、内在主義と外在主義という二つの認識論の立場から、ベイズ統計と仮説検定が対比される。内在主義とは、信念の正当化には、信念を有している当人がその根拠を把握しなければならないという立場であり、信念は既に正当化された信念からの妥当な推論により導かれることで正当化される。一方、外在主義とは、正当化の根拠を当人が必ずしも把握している必要はなく、信頼できるプロセスによって信念が形成されていればよいとする立場である。事前分布という前提となる信念から、尤度とベイズ公式を用いた妥当な推論を通じて、事後分布という新たな信念を形成するベイズ統計は、内在主義的な認識論と親和性が高い。一方、仮説検定は、一回きりの結果の真偽は誰にもわからないが、同じやり方で検定を繰り返せば、一定の頻度で真なる結果が得られることが保証されている。つまり、検定は個別の結果ではなくそのプロセスによって妥当性が担保されており、その意味で外在主義的な認識論と親和性が高い。このような議論は評者には腑に落ちるものであり、二つの流儀の無用な対立をἤることなく、両者のメリット・デメリットを明らかにするという点においても有用である。

また、類書とは異なる特徴として、深層学習のような新しいデータ分析の枠組みについても論じている点が挙げられる。一般に深層学習はブラックボックスで、汎化さえうまくいけばそれでよいとされることが多い。このような考えは一見哲学とは縁遠い感じもするが、伝統的な認識論とは異なる新しい認識論を導入することで、哲学的考察の視座が与えられる。

本書の難点を挙げるなら、数学的記述にやや不十分な点があるところだろう。ただし、本書は統計学の教科書として読まれる類のものではない。著者自身が「データ解析に携わる人にちょっとだけ哲学者になり、また哲学的思索を行う人にちょっとだけデータサイエンティストになってもらう」ことを目的に掲げており、データ解析に携わる者の一人として評価するならば、その試みは成功していると言えるだろう。

『経済セミナー』2021年4・5月号からの転載。

おもな目次

序 章 統計学を哲学する?
 1 本書のねらい
 2 本書の構成

第1章 現代統計学のパラダイム
 1 記述統計
    1-1 統計量
    1-2 「思考の経済」としての記述統計
    1-3 経験主義、実証主義と帰納の問題
 2 推測統計
    2-1 確率モデル
    2-2 確率変数と確率分布
    2-3 統計モデル
    2-4 推測統計の世界観と「確率種」

第2章 ベイズ統計
 1 ベイズ統計の意味論
 2 ベイズ推定
    2-1 仮説の確証と反証
    2-2 パラメータ推定
    2-3 予測
 3 ベイズ統計の哲学的側面
    3-1 帰納論理としてのベイズ統計
    3-2 内在主義的認識論としてのベイズ統計
    3-3 ベイズ主義の認識論的問題
    3-4 小括:ベイズ統計の認識論的含意

第3章 古典統計
 1 頻度主義の意味論
 2 検定の考え方
    2-1 蓋然的仮説の反証
    2-2 仮説検定の考え方
    2-3 検定の構成
    2-4 サンプルサイズ
 3 古典統計の哲学的側面
    3-1 帰納行動としての検定理論
    3-2 外在主義認識論としての古典統計
    3-3 頻度主義の認識論的問題
    3-4 小括:ベイズ/頻度主義の対立を超えて

第4章 モデル選択と深層学習
 1 最尤法とモデル適合
 2 モデル選択
    2-1 回帰モデルとモデル選択の動機
    2-2 モデルの尤度と過適合
    2-3 赤池情報量規準(AIC)
    2-4 AICの哲学的含意
 3 深層学習
    3-1 多層ニューラルネットワークの構成
    3-2 深層モデルの学習
 4 深層学習の哲学的含意
    4-1 プラグマティズム認識論としての統計学
    4-2 機械学習と徳認識論
    4-3 深層学習の哲学的含意

第5章 因果推論
 1 規則説と回帰分析
 2 反事実条件アプローチ
    2-1 反事実条件説の意味論
    2-2 反事実的因果の認識論
 3 構造的因果モデル
    3-1 因果グラフ
    3-2 介入とバックドア基準
    3-3 因果探索
 4 統計的因果推論の哲学的含意

終 章 統計学の存在論・意味論・認識論
 1 統計学の存在論
 2 統計学の意味論
 3 統計学の認識論
 4 結びにかえて

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