逆流する「読んだ空気」の話

クリスマスイブの夜です。が、本当に特別感のない平凡な一日でした。ええ、まったくもってプレーンな!!!テンション的には右肩下がりやけどな!!!

今日は図らずも辛気くさくなってしまったので、それに寄せて思うところや、今年の反省でも書いておこうかなと。毒毒しいです。ごめんだよーーーー!!!!(´;ω;`)


本日結婚して初めてのクリスマス(正しくはイブ)でした。が、特に祝う祝われるということはせず、ジャンクフードたべたりコンビニでケーキ買ったくらい。それでいいかな~と思ってたんですけど、夕飯の準備しながら「あれ、もしかして私、【クリスマスディナー】とか【プレゼント】とか、そういうもの(=あなたは特別な存在だよと自覚させてくれるようなイベント)と死ぬまで無縁の人間になってしまったんじゃないか」と今さら気がつきました。

親ではない誰かにお金と時間と手間をかけて愛情表現してもらうことって、結婚前には一度もなかったし、結婚後も勿論なく。(前提として、自分にそこまでしてもらう価値がないのは重々わかっております、はい…)

個人的な思い込みだし大きな偏見だと知りつつあえて書くけど、男性が結婚を決めるのって「女に金と時間をもう使いたくないから」という理由もかなり占めてるんじゃないかと思ってるんですよね。結婚したのになんで気を遣わなきゃならないの?とか、気取ったレストランなんてまだ行きたいの?とか、思ってそうだなって。ゆえに、「ここ食べに行きたい」とか「これ欲しい」みたいな要求を「言っては駄目だ、迷惑かける」と自制してきた節があるのだ、どうも。結婚後はそうだったが、結婚前だって、相手が友達でも誰でも「安上がりな人間の方が好かれるだろう」と思って時間も金も使わせない、でも明るく過ごすコスパ人間としてがんばって振る舞ってきた。

それで溜め込んでたストレスが、今回のクリスマスで爆発してしまったといえる。「してもらう」精神はさもしいものだし、自分もクレクレは嫌(何度も書きますが、誰かに何かをねだれるポテンシャルは自分に皆無だと思っています。基本的に)なのだけど、それにしたって「家でゆっくり過ごすクリスマス」の裏では家事をする私、夫の機嫌をとる私、空気を読む私、などなどたくさんの私が分身して張りつめて生活してるわけで。精神的にも肉体的にも休む間がない。でもクリスマスイブだし、少しくらい手抜きしたっていいじゃない?心癒される何かがあっていいじゃない?一度くらいなにか、贈り物くれたっていいじゃない?「おつかれさま」のあめ玉でいいから。

あかん、書いてて泣きそうや

突き詰めて考えれば、贈り物やキラキラした食べ物が欲しいわけではない。ただ「心から相手を労わり、お互いの存在を尊重しあう言動に即した何か」が欲しいのだ。

生きてきてこれまで一度も、赤の他人からもらったことのない「何か」である。結婚してしまったから、死ぬまでその「何か」から遠ざかってしまったんじゃないか、そう思うとなぜかひたすらに悲しいのだった。

…………………………

ここまで思ってることをだーーーーっと、とりとめなく書いてきました。おかしいとこもたくさんあるけど許してほしいです汗

思ってることはまとめたぞ。じゃあ、どうその気持ちを処理すんの?予防するにはどうする?というのが以下。

まず、「なんにもしないぐうたらクリスマス」を作ってるのは、家庭内サービス業を担う人(本投稿では妻たる私)だけれど、それの労力に目を向けられることは多分ない。待ってるだけではあかんのです。察してくれは本当に駄目。

「こんなに準備から色々やったんだよ!すごいだろ!」とか、「私も君と一緒にだらだらしたいから店屋物とろうよ!」とか、「何にもしないのはいいけど、プレゼント交換くらいやろうよ!」とか、「これこれこういう物がほしいです!」とか「どこそこでご飯食べたいです!」とか。言おうぜ。

相手に「察してくれよ!寄越せよ!!」と言うこと、「私はこんなに不幸なんだ…」と鬱ぐことはとても容易だが、それでは済まない問題だ。「言葉少なを貫き、とにかく不機嫌で、何か察してくれるのを待つ人間」というのは、対人関係において何も生まないのだから。

一応ね、「なにかしたいことある?」みたいなことは相手も聞いてはくれるわけ。でも、「いいよ、無駄金遣わせちゃうし」「つまんないし、気が向いたらでええわ」「今度ね」などと自分から「どうせ却下されるだろ、気に食わなそうにするんやろ、だったら諦めるわ」と内心舌打ちして必ず折れる。相手は「一応聞いたし、その上で嫌という返答がきたんだから役目は果たした」となって、お伺いを立てた夫とそれに返答した妻(しかし我慢してるのでフラストレーションがめちゃくちゃたまる)という一見なんでもないのに悪循環の種を孕んだ関係が出来上がる。

簡単な話だ。「もっと要求や思ってることをハッキリ言おう」ということ。シンプルだが、慣れない人間にとってこれはものすごいハードルに感じる。自分はこれがまじで苦手。苦手過ぎていろんな人と拗れてきたし、人生失敗してきたといっても過言じゃない。自分ごときが意思表示しちゃあかんやろ、と卑屈になる謎の精神によって、幾度となく「I wanna~」の言葉を飲み込んできた。

でもだよ、例えば決め事のとき「じゃんけんで決めます」となって、私が勝ち(チョキ)相手が負けた(パー)とき、相手が怒りながら「言われへんかったけどなあ!!実はウチ、グー出すつもりやってん!!!」とか、「空気読んだから挙手せんかったけど、そもそもアミダがええと思っとったんよ!!」とか言い出したら何言うてんの?ってなりますよね。最初から言えよ、終わってから怒るなよと。

空気を読む、にはある意味覚悟がいるのかもしれません。自分の飲み込んだ意思が暴れないよう適切に処理してみせますという覚悟と、その場で何が起きても後悔しませんという覚悟。それがないと、あとで自ら飲んだ意見は何倍も膨れて腹から喉へ逆流してしまう。んで、下手こくとそれで(対外関係的にも、対内関係的にも)死ぬ。

私は自分の意見が却下されるのがむなしくてなかなか声を大にできない臆病者であると同時に、後出しじゃんけんで喜ぶような卑怯ものでもあったのだ。さらに「クレクレ」とは三重苦もいいとこである。

なんとか治していきたい。自分も辛いし、相手も辛いと思う。こんなのと相手してらんないよ、と匙を投げられてしまう前にどうにかせんと。

気を遣えないな、と誰かを怒る前に、ちゃんとイエスとノーくらい言おうぜ、なあ。悪い意味での童心を即刻捨てて、大人にあって然るべき余裕を持ちたい、蛍石でした。

あらゆる意味で大切にされてえーーーーーーーー(まずは自分で自分のケアが出来るようになってから叫ぼうな!!!!)



サポートいただけると大変励みになりますm(__)m