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ピアノ協奏曲への夢

私の母は音大ピアノ科を出ていて
生まれた時から家にはアップライトピアノがあった。
私の幼少の記憶は2歳からあって
2歳当時住んでいた平屋賃貸の家の間取りも覚えている。

まだテレビが分厚く
チャンネルはガチャガチャと回すタイプ。
畳の部屋のテレビの前で父があぐらをかいて
その足の上に座るのが私の定位置。

百恵ちゃん全盛期の頃だ。
4歳上の兄はタイムボカンのおもちゃで遊んでいた。

ある日テレビでクラシック番組をしていて
オーケストラと真ん中にピアノが映っていた。

母「ピアノコンチェルトよ」

母はそう言った。

何故か2歳のけいぴゃん(独身 女性 )は
百恵ちゃんよりも釘付けになった。

確か曲はチャイコフスキーのピアノ協奏曲だったと思う。

百恵ちゃんが結婚のために白いドレスを着た
引退コンサートをテレビで見た時も
アイドルや花嫁さんに憧れるよりも
ピアノ協奏曲のソリストになる事に憧れた。

でもとても遠い遠い夢だった。

家で遊びでピアノを弾くのは好きだったけれど
幼稚園の頃レッスンが嫌で泣きまくった。
母は英才教育をしたかったようだけれど
あまりにも嫌がるので
「この子には音楽は無理だろう」
と諦めた。

この話はまた別で書こうと思う。

そんな感じで幼少の私のピアノの腕前は
普通に習ってたらそれくらい弾けるよね程度だ。
小中学校では私よりピアノが上手な子もいっぱいいたからクラスの歌の伴奏をする事もなく
私が音楽高校受験するまで
同級生は私がピアノを習っているのを知らない子がほとんどだった。

ピアノ協奏曲、いつか出来たらいいな〜
と思いつつどうやったら出来るか分からない。
たいして上手じゃないから
親やピアノの先生、友達にもその密かで盛大な夢を言うこともなかった。

音楽高校に入ると色んな音楽情報を見たり聞いたりするようになり
大きなコンクールに優勝したら
オーケストラと共演のチャンスがあると知る。
少しでも夢に近づければと
ピアノの練習を沢山するようになった。

高校生でピアノの先生に勧められて受けた県のコンクールは
副賞に協奏曲のソリストができる特典はなく、賞状だけだ。
そんなコンクールでも努力賞しか取れないレベル。

私は異常なあがり症で
ピアノの先生には

「普段通り弾けば賞取れたのにどうして本番ああなるの?」

と毎回呆れられていた。

四年制の音楽大学に進学すれば
3年か4年生の授業で協奏曲のカリキュラムがある。
カリキュラムといってもピアノ伴奏での協奏曲。
オーケストラとの共演は
音大に行ってもそうそう出来ないのだ。

高校時代、死にものぐるいで練習したけれど
第1希望の4年制音楽大学を受験して落ち
浪人して短大に入る。
短大では協奏曲の授業がない。
それならばまた4年制音楽大学を受けるまでだと
短大卒業後に受験したけれど落ちる。

それならばコンクールを受ければいいと思い
短大を卒業してからは
ピアノ講師の仕事をしながら練習をして
結構コンクールを受けた。
でも予選落ちが続き、自信はどんどんなくなった。

1度でいいからオーケストラと協奏曲したい。

コンクール情報を見ていたら
ピティナコンペティションに協奏曲部門があるのを知る。
予選はエレクトーン2台に指揮者がつく。
オーケストラが無理ならエレクトーンでもいい!
弾いてみたい!!!と思い、
ラフマニノフのピアノ協奏曲でエントリーした。

エレクトーン2台とピアノがあるヤマハのレッスン室での予選だった。

あんなにしたかった協奏曲なのに
何だかチグハグな感覚で弾いて終わった。
もちろん予選落ち。

ピアノ協奏曲はもっともっと腕を磨かないとダメなんだ…

高校の頃から毎年地元の芸術祭のコンサートに
ピアノソロで出演させて貰っている。
そのコンサートは高校の先輩や後輩が出るので
楽屋は同窓会のノリで盛り上がる。
その楽屋で同じ先生門下の後輩が東京でピアノ協奏曲を演奏したと聞いた。

「いいなぁ…私も協奏曲をオーケストラとしたいなぁ…」

自分のレベルで協奏曲がしたいと言うなんて
100年早いわと怒られる気がして
口に出して言った事がなかったけれど
協奏曲を経験した人を前に
初めて人前で言った。

後輩「先輩っします?私がしたオケに言っておきますよ」

「する!!!!!!」

即答した。

出来るか出来ないかなんて心配よりも
これを逃したら一生後悔すると即座に思った。

チャンスの神様は前髪しかないのだから。

27歳でやっと2歳の頃からの夢を叶える事が出来た。

本物のオーケストラと一緒に演奏出来て
演奏しながら鳥肌が立った。
3楽章が終わりに近づくと終わりたくないと思った。
オーケストラって…いいよね。
あの音に包み込まれる感じ。

とにかく楽しかった。


それ以来、口に出して

「協奏曲がしたい」

と言うようにしている。

「一生に1度でいいから」という夢も
有難い事に5回している。
そしてまだまだチャンスがあれば弾きたい曲がいっぱいある。

ピアノの師匠 深田先生に
「もっと早く言ってくれたらさせてあげたのに何で言わんかった?」

と言われ、随分遠回りしたのだと思った。

夢は言うだけタダだから
恥ずかしくても自信がなくても
口に出して周囲の人に言った方が近づくらしい。

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