ここ座りなよ


今回は僕を死の淵から救ってくれた、親友の話。

 小学二年生の頃、僕は友人関係の全てを失った。同学年の中にまともに口を聞いてくれる人はいなかった。僕には幼稚園から仲良くしていた友達がいたが、皮肉にも彼らのお陰で孤立した。おかげで僕は学校に行きたくなくなった。両親に相談して転校を考えつつ、四年生になった頃、一人の生徒が僕に話しかけてくるようになった。大体挨拶で、移動の時に声をかけてくれる程度だったが、僕に話しかけるのは学級委員長か彼女くらいだったからよく覚えている。

 小学五年生になり初めての席替えで、担任がくじ引き制度を廃止した。代わりに’お見合い’と呼ばれる制度をとった。生徒はまず自分の座りたい席の前に立つ、被った場合はじゃんけんをして第二希望の席に移動する。ただし第一希望が優先されるため、負けた者は空いている席しか選べない。それは男女で分かれて行われ、最後に隣の席に座る人がわかるという仕組みだ。(僕の学校は右に男子、左に女子が並んで座る。)僕は説明を聞いたあと、どうしたものかと思考を巡らせていた。想像がついているかもしれないが、こう言うのは仲の良い友人同士で近くなるようにみんな選ぶのだ。クラスには仲の良いもの同士グループがいくつか形成されており、その人数にはばらつきがあったため、細かい調節のもと席が決められるはずだ。僕は余った席でいいやと適当に考え、みんなが決めるまで教室の隅に立っていることにした。

 担任が異性を教室から出して、残った生徒に自分の希望の席の前へ動くように指示を出した。僕はゆっくりと荷物をまとめて席を立った。もともと僕の席は前の方で人気がなかったため特に問題はなかった。とりあえず移動しようと教室を見渡すと、予期せず声をかけられた。

ここ座りなよ、ほら、私の前の席空いてるから。

戸惑いが隠せず、それ僕に言ってる?と聞いてしまった。彼女は笑って、他に誰がいるの、と言った。頭がうまく回らず、黙ったまま荷物を彼女の前の席に置いた。他のクラスメイトもその席に僕が座る事に弊害はなかったらしく、特に何も言わなかった。それから全員が座り新しい席を把握した。隣の席は幸いにも静かな人だった。荷物を定位置に仕舞い終わると同時に、背中を突かれた。これからよろしくね、と小声で言われた。僕は小さく頷くことしかできなかった。我ながら愛想のない奴だと思う。

 それからの毎日は今までと180度違った。誰かに教室でおはようと声をかけられる日常は久しぶりだった。昼食は班で食べる決まりで、今まではただ下を向き、会話に入ることなく完食した後、さっさと図書館に逃げていた。彼女は当然のように僕に話しかけてきた。それを見た班員もだんだん会話に参加するようになり、気づけば僕の班が一番騒がしかった。この頃から昼食を吐かなくなったし、味もするようになった。相変わらず昼休みは図書館にこもっていたけど、隣には彼女がいた。読書に興味がないと言っていた彼女は、僕が読んだ本を読んでいた。始めはつまらなそうにしていたのに、必ず毎日ついてきて、徐々に夢中になっていくのを見るのは何だか嬉しくて、むず痒かった。授業中は僕が振り向くまで背中を叩いてきて、僕は何度も先生に注意された。いたずらそうに笑う彼女を責めることもできないまま、半年が過ぎた。通知表の成績は少し下がったけど、生活面の欄に丸が増えた。この半年、僕は何度も涙が出るほど彼女に笑わせてもらった。修了式で、僕は彼女を放課後呼び止めた。僕から話しかけたのはこの時が初めてだった。

この半年間、君のおかげで一生分笑った気がする。いろいろ言われてたの知ってるし、本当に感謝してる。今までありがとう。

彼女は少し驚いた顔をして、すぐ笑顔になった。「後期はさぁ、私が前の席座るわ!君だけ先生に注意されまくってんのフェアじゃないから笑 せっかく早く帰れるんだから、寄り道しようよ」と言いながら僕の荷物をまとめ始めた。

 後期が始まり、すぐ席替えがあった。本当に彼女は僕の前の席になった。そして後期が終わる頃、僕らはすっかり親友だった。僕らが楽しそうに会話しているのを見たクラスメイトは次第に話しかけてくるようになった。彼女が根回ししてくれた甲斐もあって、僕はすっかりクラスに馴染んでいた。何よりも毎日の昼食時間が楽しみになった。昼休みは図書館にこもってばかりの僕を彼女は見守ってくれていたが、たまには外で遊ぼうと言って、クラスメイトとのドッジボールに誘ってきた。僕は二年生ぶりに昼休みのグラウンドに出た。僕が渋ったせいで、もう僕たち以外はコートにいた。彼女は僕の手を引いてコートに入った。意外にも僕はドッジボールが得意だったようで、クラスメイトに見直したと言われた。クラスなんてのは小さな世界だということはわかっていたが、何だか世界中に認められたような気がした。結局何度か参加しただけのドッジボールだったが、彼女が外に連れ出してくれたおかげで、自尊心が少し蘇った。

 授業中、トントン、と軽く肩を叩くと、くるっと振り返った君と目が合う。その目には僕が写っていた。どうした?と言われて、何でも無いよ笑、と答えると、彼女は僕のノートに落書きして前を向いた。これが日常になっていることが、信じられなかった。ノートには先生の似顔絵が描かれていて、僕は思わず小さく笑った。

 中学受験を乗り越え、卒業式を迎えた。式が終わり、解散になった途端、僕は彼女に手を引かれて渡り廊下を走っていた。

早く早く!校門の前は人気なんだから!一緒に写真撮れなかったらどうするの!!
そんなに急がなくても大丈夫だって!無くなるわけじゃないんだから!

僕たちの笑い声が廊下に響いていた。

 結局彼女とは高校まで同じ学校に通った。高校では僕達の仲を危うくさせるようなことが何度もあったが、結局僕たちは今も親友なのだ。大学に進学するとき、僕が海外に行くことを話すと彼女はそんな気がしてた、とだけ言って応援してくれた。遠く離れてしまった今でもお互いにとって特別な存在だ。

 彼女も僕も、小学校の頃に比べると大きく変わった。小学校の頃からは考えられないが、今の僕は人との会話で語り手に回ることが多い。聞き手になるのは、相談を受ける時くらいなものだ。彼女は逆に聞き手になることが増えたような気がする。これにはお互い理由がある。僕は自分が会話の主導権を握っていないと不安になるからだ。相手に握らせた場合、どんな質問が来るか、どんな会話の流れになるか分からず怖いのだ。彼女は知りたがりで、人に秘密を話させるのがうまい。だから短い質問で多くのことを聞き出して、それを引き出しにしまう。彼女がその引き出しの中身を話すのは僕や限られた仲の人間だけだが、本当に何でも知っているので感服する。しかし僕たちが話すときは大体彼女が話し手で僕が聞き手だ。僕たちの会話に策略は必要ない。遠慮もいらない。頭に浮かんだ言葉がそのまま出てくる正直な場だ。それは僕たちにとって必要不可欠で、離れても必ず月に一回は長く電話で話している。僕から誘うこともあれば、彼女からかけてくることもある。不思議なものでそれは自然と1ヶ月に一度のペースを守っている。まだ僕を忘れないでいてくれる彼女には改めて感謝したい。

 僕は彼女無しの人生を考えることができない。そんな人生なかったんじゃないかとすら思う。彼女がいなかったら、本当にこの年になる前にどこかで命を絶っていたんじゃ無いかと。感謝しても仕切れないので、しわくちゃになるまで今度は僕が隣で笑わせてあげようと思う。

#君のことばに救われた

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