誰が為に人を知る

ジョジョ七部スティールボールランで、ジャイロ・ツェペリの父グレゴリオは「男には地図が必要だ…荒野を渡り切る心の中の「地図」がな」と言っていた。これは人が生きる中で至る発想の一つだと思う。
特定の目的地に縛られる必要はないが、目的が無いことには彷徨うことすらままならない。迷ったり間違ったりする為には正しい(であろう)行き先がある事が前提となる。
地図は記録という意味でも、客観視する意味でもあって損は無い。

現代人は情報社会の中で生きている。
そうすると、どうしても安楽椅子探偵としての側面が大きくなる。
渡り鳥が運んでくる断片的な情報から推測し、価値や、利や損、真実を夢想する。そして、それをもとに自らの行動や信念を選ぶ。
しかし、伝え聞く情報というのは必ずと言って良いほど目に入りやすい部分と、見えない部分がある。そして大抵、本当に大事なことほど抜け落ちる。
残念なことに、そこを補ってあまりある推理力を持っている名探偵はあまり多くない。

そんな情報だけで自分の人生目標を立てると大抵非現実的な夢になる。
うまく行かない、失敗する等ならまだしも、ろくに見る目の無い時の憧れで決めた目標地点はモヤモヤしていて、向かう方向自体もあやふやになる。
そうして見事「何もわからんが何者かになりたい」人間の出来上がりだ。

解決法は色々あるのだが、憧れが出た時点でのわかりやすい解決法として、まずは他人の船に乗る、というのがある。
船というのは、目的地が決まっている。なんとなく自分の憧れに近い船を選ぼう。おそらくは航路も、乗組員がやることも大抵決まっているだろう。
そこで、地図の書き方、航路の選び方、実際にやる事を学ぶ。
出来れば、目的地自体の再確認もした方がいい。
その船が気に入ったらそのまま乗っていても良いし、気に入らなければ乗り換えても良い。もちろんノウハウをもとに自ら地図を書き、旗揚げしても良い。
所属先を見つける、変える、地図を書く、スキルを磨く、なんにせよ学んだことはその後の航海でも活かせる。

こういった実地の知識は、そのもの以上に予想を立てることに役に立つ。
予想が立つようになると実際の未来予知は出来なくとも、狙った場所を目指すことはできる。
そうして初めて、自分の中の地図というのが出来るわけだ。

初めに書いた通り、地図というのは記録を兼ねる。人の記憶は曖昧で、人の信念はずーっとひたむきで在り続けられるほど強くない。だからこそ地図という外部装置(自分の中に持つのに不思議な表現だ)が必要で、その為には学ぶこと、経験することが大事になる。 

人は学び、経験すると多少なりとも凝り固まってくる。
そして、今の世の中、柔軟でなくなることや、過去に拘ったり、経験則で物を語る事が良くないと言われがちだが、本来そんなに悪いことではない。
荒れた海で生きていくならそれにあったセオリーがあるし、小舟で釣りをする生活がメインならその為にやり方がある。
「時代の変化についていく」というのとは全く別の話として、自分が居る場所、目指す方向によって使う知識、技術、そして経験から来る勘所というのは人によって違うし、先鋭化されて然るべきだ。
何でもかんでも柔軟に、というやり方はあって良いし、一見とても軽やかなように見えるが、その実その人の成長にはつながらない。
生きることが上手くなるというのと、自分の目指すべき場所に向けて進むというのは別の技術なのだ。

人が生きていく中で何者かになれるかはわからない。想像通りの形じゃないかもしれないし、納得いくような形で「何者か」にはなれないまま生涯を終えるかもしれない。
しかし、何者になろうとしたか、どう足掻いたかだけは確実に自分の人生として残る。目標を持つ、そして、自分の渡ってきた航路を記録する、二つの意味で地図というのは、とても役に立つ。

いきなり一人で海に出ることはない。人から学ぼう。
いくつになっても、まずはそこから始めるしかない。

そして、いつか他の人に継承していくことが出来れば、御の字だと個人的には思う。

#エッセイ #生き方 #地図 #ネットの情報を鵜呑みにしない #ジョジョ

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