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【試し読み】『食卓の上の韓国史』クッパ、ビビンバから「チメク」までの歴史を読む!


「韓国の人びとは何をどのように食べてきたのでしょうか?」
1876年の開港以降、朝鮮半島に多くの外国人が流入したことで、韓国の食は大きく変化しました。日本の植民地支配、解放、朝鮮戦争、都市化、グローバル化を経て、韓国の食はどんな道をたどったのでしょうか。

『食卓の上の韓国史』(周 永河 著/丁田 隆 訳)が扱うのは、100年にわたる韓国の食文化。キムチ、クッパ、ビビンバ、ソルロン湯、冷麺、チャプチェ、スンデ、チャヂャン麺、マッコリ、キンパといった料理を主題に、当時の社会状況との相互作用を描き出します。

このnoteでは、著者の周 永河さんによる序文をご紹介します。食文化に興味を持つようになったきっかけや、本書を最大限に楽しむためのポイントについて触れていますので、ぜひご一読ください。

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日本の読者へ

大学時代のわたしの専攻は歴史学である。韓国の大学生の多くが「民主化」を論じあっていた1980年代はじめ、わたしもそんな学生の一人であったから、「食の歴史」に関心をもつことはついぞなかった。興味をもつようになったのは1987年秋、韓国のある食品会社が運営する「キムチ博物館」に勤めてからである。しかし当時、母校に在籍していた博士課程の大学院生や教授たちはもちろん、歴史学者たちにさえ、「食の歴史」を歴史学の一分野だと考える者はなかった。当時の韓国のアカデミズムにおいて、それは数人の食品学者の専有物にすぎなかったのである。そういう状況だから、「食の歴史」は韓国の歴史学者、ひいては人文社会科学の研究者たちにとって、けして主要な研究対象になることはなかった。

そんな1988年春、わたしは図書館で、日本語で書かれた2冊の本に出会う。すなわち、篠田統(1899~1978年)先生の『中国食物史』(柴田書店、1974年)と、石毛直道(1937年~、元国立民俗博物館館長)先生の『人間・たべもの・文化』(平凡社、1980年)。この二冊を読了したわたしは、思いきって修士課程の専攻を、文化人類学に変えることにした。大学院修士課程への進学後にお会いした朝倉敏夫(1950年~、元国立民俗博物館教授、立命館大学教授)先生は、韓国でいうティ同甲(ドンカプ)〔띠동갑/同じ干支〕、つまりひと回り先輩だが、同い年の子どもをもつ友人として、わたしの「食の歴史」研究に大きな力となってくださった。韓国食品学の先人や日本・中国・欧米の文化人類学者・歴史学者による先駆的研究、それら学術的成果の土台なくして、本書が生まれることはなかったといってよい。

「食の歴史」の研究方法は、学問分野によっても違うだろう。ここで、文化人類学者としてわたしが用いてきた「食の歴史研究法」のいくつかを読者に紹介したい。詳しく説明できないのが残念ではあるが、次のことを念頭において本書を読むと、読書の楽しみがいっそう大きくなるに違いない。

①古い文献記録であっても疑うこと(蕩平菜)

蕩平菜
蕩平菜(タンピョンチェ)


②食材の季節的属性を考慮すること(冷麺、鰍魚湯)

冷麺
冷麺


③料理が生まれた理由を考えること(ソルロン湯、ユッケヂャン)

ソルロン湯
ソルロン湯


④発明と発見を分けて考えること(マッコリ、薬酒、希釈式焼酎)
⑤はじめから全国民が食べたかどうか疑うこと(白菜キムチ)
⑥魚介類は、漁法に注目すること(クァメギ)
⑦保存方法の変化に注意すること(全鰒炒)
⑧古いレシピを探すこと(チャプチェ、春雨チャプチェ)
⑨他国の食文化と比較すること(九折坂、神仙炉、マンドゥ、明卵ジョッ、魚膾)

神仙炉(シンソンロ)
神仙炉(シンソンロ)


⑩料理名に惑わされないこと(蕩平菜、ピンデトク)
⑪家庭の食と飲食店を分けて考えること(ユッケビビンバ)
⑫メニューの構成に気を配ること(全州タッペギグク)

タッペキグク(豆もやしスープ)
タッペキグク(豆もやしスープ)


⑬だれが作り、だれが売るかに注目すること(チャヂャン麺)
⑭いつ食べはじめたかより、いつ流行したかを精査すること(カルビ焼き、春雨豚スンデ、ポゴックク、蔘鶏湯、ソガリメウン湯、片肉)

春雨豚スンデ
春雨豚スンデ
ソガリメウン湯
ソガリメウン湯

本書の韓国語版には、古ハングルで書かれたレシピを現代語に訳さず、そのまま引用した部分がたくさんある。韓国人読者に、歴史的なレシピにじかに触れてほしいというわたしの願いからだった。韓国人にも理解の難しい古ハングルのレシピを、訳者の丁田隆氏は、すぐれた日本語に訳してくれた。これは韓国の文化と民俗を長く学び、研究してきたからこそ可能なことだ。韓国語版の本書の執筆にも大きな力になってくれた、わたしの教え子でもある訳者に感謝を伝えたい。

わたしは、2007年秋から一年間、鹿児島大学人文学科基層文化系(現・多元地域文化コース)の客員研究員として日本に滞在したことがある。鹿児島大学からわたしと家族に提供された宿舎は、鹿児島市紫原にあった。

カトリック教徒のわたしの家族は、宿舎からほど近いカトリック紫原教会に通った。日本のテレビで韓国ドラマをさかんに放映していたころだった。日曜日の主日ミサを終えて親睦の時間になると、信徒の方から韓国ドラマについてしばしば質問された。なかには、韓国ドラマに登場する料理について興味津々の信徒も、もちろん少なくなかった。かれらと仲良くなったわたしと妻は、チャプチェやチヂミの材料を買い求め、いっしょに料理して食べたりもした。13年前の、日韓の国民の親睦の時間を回復するのに、本書が役立つならば、なによりの喜びである。

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