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【試し読み】帝国日本の朝鮮留学生たちは何を夢見たか?『帝国大学の朝鮮人』

戦後から76年を経て、日韓両国の関係性は大きく変わりました。日本が韓国・北朝鮮を植民地にした不幸な歴史にどのように向き合うかがますます重要な課題となっています。弊社では、2019年に韓国で刊行され大きな話題を呼んだ、鄭鍾賢(チョン・ジョンヒョン)『帝国大学の朝鮮人――大韓民国エリートの起源』の日本語訳を刊行しました。この本は、植民地期の朝鮮で日本の帝国大学で学ぶため旅立った朝鮮人の青年たちを描いた、いわば「集団伝記」です。

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緑色のカバーが印象的。
黒い日の丸からタイトル文字が飛び出すデザインです(装丁:岡部正裕)

日本の帝国大学を目指した朝鮮人たちは何を夢見て旅立ち、韓国・北朝鮮で何をしたのでしょうか?エリート官僚となった者もいれば、朝鮮独立運動に命をかけた者もいました。1945年の解放以降も、帝大出身者たちは韓国社会に大きな影響を及ぼし、その影響は現在でもなお続いています。

帝国大学の朝鮮人』は、近代日本を内面化した彼らを「親日/反日」と善悪で判断するのではなく、日本との関わりのなかで近代韓国の歴史を理解することを促しています。ここで著者の鄭鍾賢氏が日本の読者に向けて書いた「日本語版序文」を公開します。ぜひご一読ください。

(本書の刊行を記念し、著者の鄭鍾賢氏へのインタビュー動画を公開しています。こちらもあわせてご覧ください。)



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本書は日本の帝国大学に留学した植民地朝鮮の青年たちの話である。千人に及ぶ帝国大学の朝鮮留学生の集団の中でも、特に東京帝国大学と京都帝国大学の朝鮮人を調査して、彼らの出身階級や大学生活、卒業後の植民地や南北朝鮮での経歴に与えた影響などを調べた。帝国大学の留学生集団を扱った研究は韓国でも初めてだったので、人々の過分な関心を受けることとなった。

なかでも、本書の内容をめぐって正反対に解釈するメディアの反応は、とても興味深いものがあった。韓国の代表的な保守系の新聞は、その書評で、総督府官僚を務めた帝国大学の卒業生たちが作った「行政研究委員会」が、大韓民国の憲法制定などに関与したという、本書の一節に特に注目した。右派の主張を代弁するこの新聞は、本書を活用して、「親日」派の議論に巻き込まれた右派の人士たちの建国の功労を強調した。

進歩的なメディアとされる他の日刊紙には、それとは正反対の書評が掲載された。帝国大学出身の多くは、総督府官僚のキャリアを経て、解放後の韓国社会で政・財界や司法の要職を占め、子孫に社会的身分が継承されたということを中心に、本書の内容を要約し、この集団の反民族的な性格を強調した。ともに自らが見たいものだけを見て本書を書評したわけである。

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東京帝国大学図書館の風景

これらの書評が注目した事実も含まれてはいるが、それが本書のすべてではない。本の本来の意図は、帝国大学留学生の集団伝記を叙述することで、さまざまな事実をまず歴史化することにあった。これまでの韓国近代史の理解では、日本に関連するすべての問題を「親日/反日」と二分する道徳的観点が、まず「事実」そのものへのアクセスと理解の障害として作用してきたためである。「日本」との関係を抜きにして韓国近代史を説明することは困難である。日本が韓国の近代化に決定的な影響を及ぼしたことは、否定できない歴史的事実である。多くの植民地の青年たちが、近代を翻訳し制度化することに成功した日本を学ぶために海を渡った。長い留学生活を通して、日本式の近代化の理念を内面化して帰ってきた彼らは、植民地とその後の南北朝鮮の社会の中枢となった。

本書は、韓国の読者たちに、日本から近代を学んだという事実自体を否定してはならず、日本から学んだ近代とは何だったか、それは韓国社会にどう影響を及ぼしたか熟考することを促した。特に「日本人」や「日本的なもの」を無条件に「悪」と認識する態度が、歴史を理解するためにも、植民地トラウマを克服するためにも、役に立たないのだという点を指摘しようとした。

全体主義やファシズムを説いた帝国大学の多くの官制知識人がいたにもかかわらず、本書の中で、朝鮮留学生に厚意を示した帝国大学の良心的知識人たち――吉野作造、河合栄治郎、河上肇、藤浪鑑らを、帝国大学の恩師として特に言及した理由は、日本人を無条件に否定的に認識する韓国の読者に省察を促すためだった。

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日本の植民地統治の問題を批判した吉野作造

韓国の読者に「日本(人)」に対する「善/悪」の道徳的なアプローチではなく、その関係の客観的な歴史化を促した心情そのままに、本書を読む日本語の読者にも同じ気持ちで、日韓関係の不幸な過去の歴史の事実自体に対する認識と省察を要請したい。植民地支配は、近代化という名分だけで合理化することはできない、圧倒的な物理的・精神的暴力が作動した歴史だった。

植民地支配が韓国の開発や近代化に寄与したと主張し、いくつかの指標や統計でこれを裏付けようとする意見がある。しかし、その近代化の利益が誰に還元されたかを考えてみる必要がある。また、日本的近代は当時、朝鮮が選択できる唯一の未来ではなかったし、その結果も多くの否定的な遺産を残した。何よりも、他民族の自律と独立を奪ったまま施された善意は、相手にとっては暴力として体感されるだけである。

たとえば、一九二六年に開校した京城帝国大学の場合を考えてみよう。日本が植民地に近代的な大学を建てたのは事実だが、それは、当時の朝鮮人たちが自力で建てようとする民立大学を阻止する手段としても機能した。また敗戦までこの京城帝大は、日本人学生が多数であり、朝鮮人入学者が半数を超えたことがなかった。このように、日本帝国が植民地を開発したのは確かだが、その開発の利益はほとんど帝国の中心へと回収された。

帝国大学サシカエ

東京の朝鮮人留学生の会合(1916年頃)
太極旗を掲げている少年が京城紡織の社長となった金秊洙(キム・ヨンス)

植民地支配の過去の歴史は、日韓両国の関係の進展を阻む難しい課題である。二〇〇二年のサッカーW杯共同開催や、それ以降、人的・文化的交流が活発になり、不幸な過去の歴史を乗り越えて未来に向かうかのように見えた両国の関係は、過去一年ほどの間に再び悪化した。一九六五年に国交が正常化されて以来、最悪の状態ともいわれる現在、その過去の歴史をテーマにした本書が翻訳され、日本の読者と出会うこととなって、一層格別な感慨を感じている。

帝国大学に留学した朝鮮人エリートを扱った本書を通じて、おそらく日本の読者たちは、帝国日本が植民地のエリート青年を教育することで、韓国の近代を形成したという「肯定」的な効果の方に注目するかもしれない。しかし、なぜ帝国大学の朝鮮留学生の少なからぬ秀才たちが、立身出世が保証された成功への道を捨てて、その帝国に抵抗する茨の道を選んだのかについても考えて欲しい。

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【本書の目次】
◆日本語版序文
◆はじめに
◆プロローグ──玄海灘を渡った青年たち
第1章 帝国大学──近代日本のエリート育成装置
第2章 京都帝大の朝鮮人学生、帝国の事業家になる
第3章 帝国大学に留学した朝鮮人たち
第4章 官費留学と帝国の奨学金
第5章 寮生活──帝国エリートのアイデンティティを育む
第6章 帝国大学の教授たち
第7章 総督府の特権層となって帰ってきた朝鮮人たち
第8章 植民地人、科学技術を通じて帝国の主体を夢見る
第9章 帝国の知で帝国に抵抗した人々
第10章 女人禁制の領域、帝国大学に進学した朝鮮人女性たち
第11章 植民地人たちの帝国大学同窓会
第12章 帝国大学の留学生は解放後に何をしたか
第13章 大韓民国の知の再編を主導する
第14章 北朝鮮の知の制度を確立した帝国大学の卒業生
◆エピローグ──「帝国大学留学」の歴史化のために
◆原注
◆訳者あとがき
◆付録 東京帝国大学・京都帝国大学朝鮮人学生名簿
◆人名索引
【著者略歴】
鄭 鍾賢(チョン・ジョンヒョン)
韓国・仁荷大学校文科大学韓国語文学科副教授。専攻は韓国近現代文学・文化史。韓国・東国大学校国語国文学科・同大学院卒業(文学博士)。「植民地後半期・韓国文学にみられる東洋論研究」で2006年に博士号取得。東アジア比較文学、知性史、読書文化史、冷戦文化研究など、幅広い分野で業績は多数。2010年から1年間、京都大学人文科学研究所でポストドクター研修後、成均館大学校東アジア学術院HK研究教授、仁荷大学校韓国学研究所HK教授を経て現在にいたる。
著書(以下すべて韓国語)に、『東洋論と植民地朝鮮文学』(創作と批評社、2011年)、『帝国の記憶と専有――1940年代韓国文学の連続と非連続』(語文学社、2012年)、共著に『新羅の発見』(東国大出版部、2009年)、『アプレゲール「思想界」を読む』(東国大出版部、2009年)、『文学と科学』(ソミョン出版、2013年)、『検閲の帝国』(青い歴史、2016年)、『アメリカとアジア』(高麗大亜研出版部、2018年)、『大韓民国の読書史』(ソヘ文集、2018年)など。共訳に『故郷という物語』(成田龍一著、東国大出版部、2007年)、『帝国大学――近代日本のエリート育成装置』(天野郁夫著、山のように、2017年)などがある。

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