序文公開 『The Work of the Future−−AI 時代の「よい仕事」を創る』 デヴィッド オーター【著】/デヴィッド・A ミンデル【著】/エリザベス・B レイノルズ【著】/月谷 真紀【訳】
経済成長理論に関する功績によって、1987年のノーベル経済学賞を受賞したロバート・ソロー(Robert Merton Solow)氏が12月21日に99歳で亡くなられました。
数多くの論文や書籍で日本でもよく知られている氏ですが、弊社が9月に翻訳を刊行した『The Work of the Futrure』に序文を寄せられています。故人を偲ぶ意味でその内容を公開させていただきます。
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私はこれを2021年1月最後の週に書いている。60年前のちょうど今頃、私は家族でワシントンDCに到着し、1年間にわたるケネディ大統領の経済諮問委員会の仕事に臨もうとしていた。アメリカ経済は1960年の「典型的な戦後不況」からまだ脱け出していなかった。失業率は7%を少し切るほどだったと記憶している。
しかしもう一つの、もっと難しい問題が起きていた。直前の3回の典型的な戦後不況は、発生するたびに前回よりも失業率が高くなっていった。一部の経済学者と多くの議員、そして経済紙は、この失業率の上昇はいつもと種類が違うと示唆していた。高失業率は財とサービスの需要不足ではなく、失業した労働者が雇用の資格を満たしていないことの表れだった。適材適所になっていないか、スキルが合わないもしくはスキルがない、あるいは教育が不十分なのだ。通常の財政金融政策運営ではまったく効果がなかっただろう。
失業率が予想外に高いか持続するときには、原因を一つに求める単純な説明が出回りやすい。失業率を失業者の特性のせいにするのがそれに当たる。このような説明は一見するとある程度はもっともらしい。失業者はたしかに就業者に比べると雇用の資格を満たしていない傾向がある。しかし失業の真因が何であれ、離職と選抜の正常なプロセスが進めばやがて、最も資格を満たしていない人に失業が集中するだろう。当然ながら、これは訓練不足の人を訓練すれば雇用が増えるということではない。
単純な喩えを出そう。高校バスケットボールの試合を思い浮かべてほしい。会場の体育館の座席は床に固定されており、数が決まっている。チケットは無料なので、座席よりもたくさん観客が来てしまう。座れるのは概して、すばしこくて押しの強い人々だ。のんびりしている人や消極的な人は立ち見になる。では、立ち見の人々にすばやく積極的に行動するよう訓練したとする。次の週の試合では、彼らの中に席を獲得する人が増えるだろう。しかし座席の総数は変わらない。現代の産業経済の中で雇用を獲得することはバスケットボールの試合で座席を獲得するよりずっと複雑だが、要点はおわかりいただけるだろう。
経済諮問委員会が適切な財政金融政策を計画しようとしたときには、この点が重視された。委員長のウォルター・ヘラーから私が最初に任された仕事は、「構造的」失業率の上昇というこの仮説を評価することだった。MITではなく政府の仕事だったから、与えられた時間はたしか3週間だったと思う。私の結論は、構造的失業の要素はたしかにあるが、それが増加しているエビデンスはないというものだった。
もちろん、予想外に高い持続的な失業率に対する短絡的な説明は、失業者の特性に原因を求めることだけではない。テクノロジーの劇的な変化も同じくらいよく聞く説である。「自オートメーション動化」という言葉を私は1961年の議論で初めて耳にした。ロボットが来るぞ、ロボットが来るぞとい
う話はすでに聞こえ始めている(そしてロボットはいつか本当に来るだろう)。
現在の状況は当時とは異なる。新型コロナ禍は別として、失業率の長期的な上昇は、少なくとも今のところはまだ起きていない。現状はもっと複雑である。
アメリカの実質賃金率は何世代もの間、労働時間当りの産出高とほぼ同じスピードで伸びてきた。これはその比率、つまり産出高のうち賃金や給与として支払われる割合にトレンドがなかったことを意味する。短期的な変動はあったが、その程度だった。変化が起きたように思われるのは1960年代末か1970年代初めである。実質賃金のトレンドが生産性のトレンドに後れを
取り始めた。生産性のトレンドが加速したわけではない。加速したのであれば、何か技術的な進展があったことが示唆されるだろう。しかし差が生じたのは、実質賃金が追いつかなくなったためであった。これには国のさまざまな経済事情が関わっている。経済は低賃金職と高賃金職を多数供給しているが、アメリカン・ドリームの一翼を担ってきた中技能の雇用が失われつつある、というデヴィッド・オーターの有名な発見に鑑みれば特にそう言える。所得と資産の格差が大きく拡大したこともこれと符合する。
今回は考えられる原因が多数あり、それらは相互に排他的なものではない。中技能の仕事は貧しい低賃金の国々の労働者に移って失われた可能性がある。労働者は明らかに交渉力を失いつつあった。民間セクターから労働組合がほぼ消滅したことがその証拠だ。雇用主は態度を硬化させた。集中産業の大企業の総合的な市場支配力は増大していた(おそらく大幅に)。問題は一つの原因を特定することではなく、複数の原因それぞれの比重を判断することであり、それは非常に難しい。したがって、これを病気に見立てるなら、治療法を見つけるのもまた難しい。
ところで、これらすべてにおいて教育と訓練が小さな要因であるという印象は与えたくない。まず、スキルと順応性を備えた労働力の維持は間違いなく生産性になくてはならない寄与をする。
次に、教育へのアクセスしやすさは平等化要因として機能しうる。もっとも、アメリカでは教育へのアクセスしやすさがこの機能をうまく果たしていないことはかなり明白であるが。最後に、教育および訓練のシステムは、共通の文化とシティズンシップについての共通理解を支えるもの
である。要するに、訓練の量を増やしたり質を上げたりすることが必ずしも雇用率の向上につながるわけではない。
20世紀に入ってからのおよそ70年間、アメリカの資本主義はかなり安定的に国民所得の約4分の3を日給や月給の形でもたらしていた。それが前述したトレンドのない数字である。過去40年ほどの間にその数字が下がり始め、パンデミックが発生した時点で3分の2くらいになっていた。とはいえ国民所得に占める割合はまだかなり大きい。これだけの規模であると、労働市場に何か大きな変化があれば必ず経済全体に影響が及び、その帰結がまた労働市場に跳ね返ってくる。労働市場の外からやってくる波乱は労働市場の成果にじかに影響するだろう。本書が、仕事のスキルを未来のテクノロジーに必要とされる形に再生利用するという手垢のついた話ではなく、今ここにある経済の多岐にわたる調査になったのはそのためだ。いつか、おそらくはロボットが登場したときに、このようなレポートがまた必要になるのは間違いない。しかし今のところは、本書を読み進めて大人たちが何を考えているかを学んでほしい。
本書の詳細は以下よりご覧下さい。
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