【編集者の本棚】80年代の韓国料理の本を読んでみよう 第3回『B級グルメが見た韓国』
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ヨロブン、アンニョンハセヨ 編集のむ~です。連載の最終回となりました。最後はこちら、文藝春秋編『B級グルメが見た韓国――食文化大探検』(文春文庫ビジュアル版、1989年)をご紹介します。
外国料理から知る韓国料理
編者は「文藝春秋」となっていますが、本文執筆は嶋津弘章氏によるものです。この氏の文章がなかなか読ませます。また、目次を見ていただければおわかりのように、構成もよく練られており、今読んでもかなりおもしろい。韓国をすでにある程度知っている、サブカルチャーを好む趣味人向けに書かれたのではないかと推察します。『あんにょん・ソウル』『食は韓国にあり』から3年を経て、この時代には韓国カルチャー好きの読者層はそれなりに拡大・深化をとげていたのでしょうか。とはいえ、現在の若い女性を中心とした韓国カルチャー受容層とは大きく異なることは言うまでもありません。
冒頭に「「食」の変容――外国料理はいかにコリアナイズされたか」と目次にあります。韓国料理についての本なのにコリアナイズされた外国料理をまず紹介するって順番がおかしいような気がしますが。日本食、中華、洋食で項目が分けられているので、「中華」を見てみましょう。
ここでは、韓国の中国料理のあり方について詳しく解説しています。韓国の華人のほとんどは山東出身が多く、料理もその影響を色濃くうけています。また、「韓国では日本のような大きな中華街は存在しない」のは、朝鮮戦争や政府による商業活動の制限などの過酷な環境による結果だといいます。今では政府主導でつくられた立派な中華街が仁川にありますね。そのあたり『中国料理の世界史』第二部第6章、および『食卓の上の韓国史』第五部第2章 に詳述されているので興味のある方はご参照ください。
また、連載の第1回で中華料理店ではうどんも食べられる、と書きましたが、この謎もここで氷解します。これは北京料理の「大滷麺(ダールーミェン)」にあたり、植民地期に日本人が「うどんうどん」と呼んだことから、いまだにその名前だけ残っているとのことです。これについても『食卓の上の韓国史』第五部第2章に記述があります。
植民地期の遺物・タクワン
次に洋食についてみてみると、これまた興味深いことが書かれています。
洋食のはじまりを、ロシア公使のソンタク夫人が開いた「ソンタクホテル」としています。ソンタクホテルは現在の韓国料理の黎明を考えるうえで重要な西洋料理店です(『食卓の上の韓国史』はここからはじまります)。しかし、日本による植民地化と冷戦により、日本を通してしか洋食が入ってこないという状況が長く続いたようです。
その根拠を著者は、『食は韓国にあり』と同様、タクワンに見ています。メキシコ料理のタコスやステーキを注文しようが、必ずタクワンがついてくる。通常ならばキムチがついてきそうなものの、タクワンを添えるところに「洋食店としての面目があ」ったそうです。植民地期の名残を象徴するタクワン。ちなみに、東西冷戦構造が解体されたのが1991年、韓国で日本文化が開放されたのは1998年のこと。少なくとも90年前後まではこのような状況だったのでしょう。
犬料理への関心
つづいて、「ついにベールを脱いだ!」とやや煽り気味に紹介されている補身湯(ポシンタン)、つまり「犬鍋」についても渾身の直撃レポが掲載されています。犬食は、1988年のソウルオリンピックの前にはすでに、国際世論を気にする政府によって規制が厳しくなっていました。著者は犬食をめぐる昨今の厳しい状況を日本の鯨肉と比較して憂いつつ、この「伝統食」を紹介しています。
犬食については、『食卓の上の韓国史』第二部第3章「ケヂャンの変移、ユッケヂャン」にも詳しく書かれていて、牛肉の入った辛いスープ「ユッケヂャン」はもともと「ケヂャン」=犬肉であったと明らかにしています。一方『B級グルメが見た韓国』を見ると、「犬のスープ料理は、ひと昔前は狗醤(ケヂャン)と呼ばれた」と惜しいところまで突っ込んでいます。
『食卓の上の韓国史』では、「ソウルオリンピックの頃に規制が厳しくなったが、逆に韓国の「伝統食」として持ち上げられた」と書かれています。その時のノリが『B級~』の筆致に少し表れているのかもしれません。とはいえ、捕身湯屋の数は今でもどんどん減少しているようです。
このレポでは犬肉の食べ方、味、においも余すところなく伝えています。鍋物として食べる場合は、肉でとったスープに、茹で肉、セリ、ニラ、里芋の茎、エゴマの葉、ニンニク、生姜、エゴマの実、タデギ(辛い調味料)を加えて煮るそうです。登場するお店は1988年に明洞でオープンした「明洞四季屋(ミョンドンサチョルチプ)」というところですが、Google マップで調べたところ見つかりませんでした。
他に、「異色ゾーン」として、新村(シンチョン)のもち市場が紹介され、キムチ博物館も探訪しています。キムチ博物館はこの当時まだ「新名所」だったようです(1986年設立、1988年にCOEXに移転)。
とにかくものすごい取材力と筆力でこの本は書かれているので、韓国料理に興味のある方は必読かと思います。
近代から現在への連続性を見出す
以上、ここまで80年代に刊行された韓国料理についての本をのぞいてみました。これらの本に共通するのは、対象を知ろうとする強い好奇心と圧倒的な取材力です。この背景には、80年代の出版業界にはまだまだ余裕があり、そして、よくもわるくもオタク的な文化が花開いた時代だったということもあるかもしれません。
前にも書いたように、この3冊を読むと意外にも、韓国料理の近代性に注目した『食卓の上の韓国史』との連続を感じとることができました。「近代〜現在の韓国の人々は何をどのように食べているのか?」「韓国の外国料理はどんなものなのか?」「どんな食べ物が売られているのか?」という素朴な疑問にそって作られていて、この3冊から『食卓の上の韓国史』に戻ると、答え合わせをしているような気分になりました。80年代にはまだ「近代」がありありと残っていた、ということもあるでしょうか。
また、現在、韓国の外食料理として一般化したフライドチキンの記述がないことにも気づきます。存在はしていたと思いますが、まだ少なかったのかもしれません。つぎは90年代に刊行された本を調べてみて、韓国料理の変遷についてさらに考えてみるのもおもしろいですね。
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