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【試し読み】人類はいかにして互いを信頼するようになったか?『信頼の経済学』

2023年6月に刊行の信頼の経済学——人類の繁栄を支えるメカニズム。市場、法、貨幣から医学、科学技術、気候問題に至るまで、経済学を用いて「信頼」のメカニズムを紐解く骨太な一冊です。著者のベンジャミン・ホー氏は「人類の文明の物語は、いかにして互いを信頼するようになったかという物語」だと語ります。なぜ今「信頼」という概念が重要なのか、そしてなぜ「信頼」を経済学で論じるのか。本書の問題意識について触れている第1章の一部を公開します。

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第1章 信頼の経済学

人間が信頼し合うということがいかに驚くべきことなのか、どういうわけで信頼し合うようになったのかについて、あなたは考えたことがあるだろうか? 哲学者のトマス・ホッブズが一七世紀に述べたように、一昔前まで、人生は「厄介で、残忍で、短く」「万人の万人に対する闘争」だった。と
ころが、今日こんにちでは比較的安全に街頭を歩くことができるし、たとえばあなたがこの本を入手したように、見知らぬ人から物を買うこともできる。

信頼に関するこの本をあなたが入手するまでに必要な、小さな信頼の数々について考えてみよう。書店がお金だけ受け取って逃げたりせずに、代金と引き換えに本を渡すことを信頼する必要がある。オンラインで購入したならば、銀行またはビザやマスターカードが、あなたのお金やクレジットを正
しく追跡して、その代金を書店の口座へ送金することを信頼する必要がある。書店のウェブサイトがあなたの口座情報を盗んだりしないことを信頼しなくてはならない。考えたこともないかもしれないが、本を購入するために使った通貨を発行する中央銀行が、その通貨の価値を維持することを信頼し
なくてはならない。常日頃意識していなくても、たとえば本を買う、車で通勤する、子どもを学校へ送る、食品を買うなど、複雑な、相互依存の社会における私たちの行動はすべて、その実現のために連携して働く無数の人々の協力を必要とするのだ。よくよく考えてみると、それは危険なことに思え
る。人は当てにならないかもしれず、頼る人が多くなるほど、その危険性は高まる。

では、私たちの社会(とくにグローバルな社会)は、どのようにしてこれほど複雑になり、相互依存するようになったのだろうか? 経済史家なら、貿易の拡大、技術の発展と専門化がもたらす利点、イノベーション推進への資本投資が果たす役割について、興味深い話を延々と語ってくれるだろう。
だが、これは突き詰めるとさらに深い話に基づいていることがわかる。それは、貿易や専門化、投資やイノベーションを可能にする「何か特別なもの」の話である。人類の文明の始まりにまで遡る話であり、相互関係の根本にまで行き着く話である。リスクがあるにもかかわらず、私たちがどのように
して互いを頼るようになったのかについての話である。

それは、信頼についての話(歴史)なのだ。

私に言わせれば、人類の文明の物語は、いかにして互いを信頼するようになったかという物語である。当初、人間は小さな部族で暮らしていた。人々は、単独で事に当たるよりも他者と力を合わせるほうが多くを成し遂げられることを学んだ。集団に属する者たちのほうが、大きな獲物を狩り、捕食
者から身を守ることができた。しかし、他者と協力するには他者に頼る必要があるので、他者の数が増えるにしたがい信頼することが難しくなる。文明が発展し複雑化すると、人々は都市へ移り住み、同業組合ギルドや都市国家、国家ネイションを編成した。より大勢の人々と暮らすためには、それまでとは違う形の信頼が求められ、宗教や市場、法の支配によって、かつてないほど複雑な社会の発展と、かつてないほど拡大した人々のネットワークの調整を可能にする制度が発展した。前近代の部族的性向を依然として現代の生活の柱としながらも、このような道筋を経て二一世紀の現代経済・社会がもたらされた。

本書は、信頼が宗教と仕事の場をどのように構築するのか、信頼が謝罪と笑みをどのように特徴づけるのかについて考察する。ブランド商品も民主主義国家の政治家も、私たちの信頼を勝ち取ろうとしている。不確実な状況で他人と交流するたびに、私たちは相手が信頼できるかどうかを判断したり、相手の信頼を得ようとしたりと、信頼の行為を繰り広げているのだ。

経済学者が信頼に関心があると聞いて驚く人もいるかもしれない。無理もないことだと思う。おそらく、信頼は心理学や人類学、社会学、さらには哲学など、他の社会科学の範疇とみなされているのだろう。確かにそうだろうし、経済学がこうしたその他の学問から何を学べるのかを検討することは、
本書の目標の一つである。しかし、信頼は経済学にとってもすこぶる重要なのだ。「信頼(trust)」という言葉でさえ、経済をどう考えるかという問題と深く絡み合っている。たとえば、銀行はトラスト(trust)と呼ばれることもあるし、多くの企業は受託者(trustee)によって運営されている。子ども
のための蓄えは信託(trust)に預けることができる。

私のような経済学の教授は、入門レベルでは、経済主体を個性のない、血のかよわないものだと表現しがちだが、それは説明に便利なフィクションにすぎない(物理学者が摩擦のない表面を想定するのと同じように)。より高度な経済学の概念や原理においては、そのようなとらえ方はしない。経済学で
は最近、「合理的な愚か者」だけが現代経済の相互作用を構築する際に人間関係の重要性を無視する、とされてい(1)。信頼は、職場の人間関係や、ブランドとの関係、投資関係を構築するために不可欠であり、さらには、国の通貨やその価値を保証する制度との関係にとっても不可欠である。ソーシャルネットワークでのつながりから、ウーバーやエアビーアンドビーなどのシェアリングエコノミーを促進するプラットフォームまで、オンライン経済における最新のイノベーションの大半は信頼にまつわるものだ。ブロックチェーンは、信頼のデジタル化を意図して作られたテクノロジーである。

だが、過去数十年の間に信頼は端々でほころびを見せている。メディア、政治家、医師、政府など、専門家全般への信頼が損なわれているのだ。そのパターンは各分野によってさまざまだが、この信頼の低下はかなり顕著である。私は本書でその傾向の原因を探り、それを緩和するために経済学ができ
ることについて検討する。

(1)Sen, Amartya (1977). Rational Fools: A Critique of the Behavioral
Foundations of Economic Theory. Philosophy & Public Affairs, 6(4), 317─
344.〔 『合理的な愚か者』大庭健・川本隆史訳、勁草書房、1989年所収〕

(続きは本書にて)

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