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中国共産党の「壮大なる成果と壮大なる挫折」の実像とは?

2021年で結党から100年を迎える中国共産党。事実上の一党独裁のもと、いまや世界第2位の経済大国にのし上がりましたが、その過程でなされた数々の成功や失敗は、100年という枠組みのなかでどんな意味を持つのでしょうか。
中国共産党の歴史で描かれるのは、現代の視点からとらえた中国共産党の通史です。しかし、今も絶え間なく世界を揺るがし、影響力を拡大し続けている中国共産党について、その通史を書くというのは容易なことではありません。
このnoteでは、序章の一部をご紹介します。中国共産党の通史を書くことの困難さ、そして、どんな観点から中国共産党史を語るか、という点に焦点を当てたものとなっています。ぜひご一読ください。

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序章 中国共産党史の語り方

 現時点において中国共産党の通史を書こうという企てが、いかに大それたことか、少しでも歴史について真面目に考えたことがある人間なら理解していただけると思う。ある人物がまだ鬼籍に入らないうちに、彼または彼女の伝記を書くことなどできるであろうか。通常、影響力の大きい人物に関する資料は、その人の存命中には一部しか利用することができない。また、その人物が生きているうちに、言い換えれば、彼または彼女が引き起こしたさまざまな出来事がまだ熱を帯びているうちに、その人について冷静に考えることは難しいであろう。したがって、中国のみならず世界を揺るがし、何億人もの人々の運命を左右し、しかも存命中でその影響力をますます拡大しつつある中国共産党の「生涯」について、いま書くことは無謀だといわなければならない。

 中国共産党の「伝記」を現在書くことの困難はそれだけではない。この政党の歴史――中国では一般に「党史」と称される――という学問領域は、本家本元の中国においては政治と不可分であるうえに、ほとんど極限まで細分化され、あらゆる時期、あらゆる人物、あらゆる事件について山のように専門家が控えている。そのため、中国においても共産党の100年について、その誕生から今日に至るまでを一人で論じようとする学者はほとんど見当たらない。そんなことを試みる愚か者はまずいないだろう。というのも、この領域にいったん足を踏み入れるなら、好むと好まざるとにかかわらず、政治的色彩をもつ党派的な争いに加わることが避けられず、また特定の時期、人物、事件を扱う無数の専門家たちからの尽きることのない批判を覚悟しなければならないからである。

 それでも、蟷螂の斧をふるって中国共産党の通史を書いてみようという気になったのは、ひとつには2021年が同党の生誕からちょうど100年に当たるからである(後で述べるように、同年に誕生したという点については、疑問がなくはない)。一世紀というのは、過去を振り返る節目としては悪くないように思われる。(中略)

 中国共産党の歴史について書く人々は、三つの種類に分けられる。第一は、いうまでもなく中国共産党自身である。彼らは革命と一体化し、それを内部から蘇らせようと試みる。彼らの書く歴史――それが公式の「党史」となる――においては、通常、20世紀初頭の中国における労働者階級の成長に紙幅が割かれ、その結果としての共産党の「自然な」誕生が語られる。この革命勢力は「反封建、反帝国主義」を旗印にして圧倒的な数の大衆に支持され、中国社会の徹底的改造に乗り出す。そして、同党は反革命勢力である国民党の執拗な攻撃によって、また残酷な日本軍の侵略によって大いに苦しめられながらも、最終的に帝国主義と封建主義のくびきから人々を解放し、旧い中国と根本的に手を切る様子が描かれる。

 この物語の主要な「文法規則」となっているのは、フュレがブルジョア革命の概念を批判した際に用いた表現を借りるなら、革命という事件の必然性と、革命による時代の断絶である(フュレ、37-38頁)。20世紀初頭の中国における社会的・経済的構造の必然として中国共産党が生まれ、そしてそのような構造の申し子として同党は成長を遂げる。その過程で彼らが犯した数々の過ちおよび被った挫折は、結局は正しい軌道に帰ってくる一時的な回り道にすぎない。あるいは、党内におけるごく少数の道を踏み外した堕落変質分子の仕業であるにすぎない。共産党はあたかも見えざる構造の手に導かれるかのように最終的な勝利に至るのである。同党は構造を味方につけているがゆえに「正しく」、その成し遂げた事業の大きさゆえに「偉大」であり、そして自らの社会に根差しているがゆえに「自立して」いるのである。

 そしてこの物語は、革命家たちの自己意識、すなわち「新中国」をつくりあげたという意識に忠実である。そのため、1949年が「旧中国」と「新中国」を分かつ分水嶺を形作る。常識的には、ある民族が一夜にしてその社会的相貌を変えることなどありそうにない。だが、この物語においては民族の歴史に、革命を通じた「新しい始まり」が与えられているのである。その意味で、この物語は基本的に外部からの冷めた視線を意識することなく語られ、自足している。それは革命家たちの自己幻想とでも呼ぶべきものと一体化した歴史である。

 第二は、反中国共産党の立場、あるいはより広く反共産主義的な立場をとる人々である(※注1)。この立場から同党の歴史を書く人々は、中国革命に一片の同情も抱くことなく、ただ鋭く批判的である。彼らは中国の共産主義者が成し遂げたと称するものについて、嘲笑的で、敵対的で、あら捜し的な精神をもって臨む。革命とは、政治権力がただ一群の過激で野心的な人々の手に移ることにほかならない。彼らの接近方法のもっとも重要な特徴は、中国の革命家たちを鼓舞し、そして革命の不可欠の要素をなした――私はそう考えているが――理想主義に少しの敬意も払わないということである。その代表的な文献ともいうべきユン・チアンの『マオ』によれば、毛沢東は最初から「信念のあやふやな男」で、大衆の利益などまったく眼中になかった。この並外れて権力欲が強い野心家、陰謀家、詭弁家に引きずり回されたのが中国革命の本質であったというのである。こうして、彼女の描く中国革命の物語は、理想主義とはまったく離れたところで展開する。

 私には、このような描き方では、20世紀に中国共産党が成し遂げた事業の意義、中国の人々が革命に注いだ熱情の大きさ、そして事業が挫折した際の彼らの絶望の深さを十分に描くことはできないように思われる。われわれは、中国の知識人たちの理想が大衆の間に一定の共鳴板を見出し、両者の願望がある場合には直接的につながったり、別の場合にはねじれた形でつながったりしながら、彼らの共同作業として革命が行われたと考えたほうがよいであろう。そして、党自らが掲げた理想を、意図せずして、あるいは理解しているにもかかわらず党自らが裏切っていくところに悲劇が生まれたと考えたほうがよい。その悲劇は、彼らがもっとも警戒していた危険にはまり込み、もっとも憎んでいた傾向のまえにひざまずき、もっとも遠ざけようとしていた価値にとらわれたことから生じたのである。これについて私は、官僚主義的独裁、無制約の権力、権力に伴う腐敗、「同志的関係」が、伝統的な「君臣関係」に置き換えられたことなどを念頭に置いている。

 第三は、以上二つの立場の中間に立つ人々である。とはいえ、彼らの間に、いかなる戦略をもって中国共産党の歴史を書くべきかについて合意があるわけではない。彼らは公式の党史を引き写すこともできなければ、中国革命の意義について何ら真剣に考えようとしない反共主義者の議論にも与することができない、という点のみを共通項としている。日本の歴史家たちの間では、文化大革命後、中国における公式の党史から距離を置いて同党の歴史を書く必要性が折にふれて叫ばれてきたものの、代替的な書き方をめぐる議論は進まなかった。私はかつて、「短い中国革命史」(※注2)――すなわち、1921年の党創設から1949年の革命勝利に至るまでの時期――を念頭において、中国共産党史に関する四つの可能な描き方を提示し、そのうちのひとつを当面の研究のために望ましい戦略として推奨したことがある(高橋、補論2)。

 だが、その描き方は、「長い中国革命史」――それは現在に至るまでの改革開放の時代を含むが、いつ終わるのかはっきりしない物語である――においては意味を失わざるをえない。というのも、私が推奨した物語の描き方は、中国の共産主義者たちが社会的・経済的構造を味方につけて必然的に勝利に導かれたという観点を拒否するものであったが、それでも中国革命が中国の歴史に新しい出発点を与えたという観点を含んでいたからである。

 中国革命が「新しい始まり」をもたらしたなどという主張ほど馬鹿げたものはない、と一部の読者はいうに違いない。あなたは天安門事件以降の中国共産党の顕著な伝統への回帰を知らないわけではあるまい、と。たしかに、改革開放の時代を視野に収めるとき、同党による革命と統治が中国史に荒々しい断絶をもたらしたとはいいがたいようにみえる。近年において中国共産党は、あたかも自らが行った革命の痕跡を自らの手で消し去っているかのようにみえる。習近平は、中国の遠い過去と現在が切れ目なくつながっていると考えているようにみえる。文化大革命の際に紅衛兵があれほど激しく破壊して回った孔子像が、あちこちに建てられているのはその象徴である。

 だが、そうなると中国共産党による革命と統治の100年に及ぶ物語を、全体としてどのような理解の枠組みのなかに包摂すべきなのであろうか。可能な枠組みのひとつは「逸脱-回帰」であろう。すなわち、革命は壮大であるけれども中国史の一時的な逸脱、あるいは迂回にすぎず、異常な逸脱の後は本来の軌道に戻り、中国はようやく中国らしい面目を取り戻したという理解の仕方である。さらに一部の人々は、中国の範囲を超えて、ここに1917年のロシア革命から始まり、各国の革命が次々に続く大遁走曲(フーガ)――このイメージはアイザック・ドイッチャーのものである(ドイッチャー、29-30頁)――の終わりをみるかもしれない。

 いずれにせよ、この百年を視野に収めた「逸脱-回帰」という解釈図式は、中国革命に特別な意味を与えることなく、それを「エピソード」(副次的な楽節)の地位にまで押し下げてしまうであろう。そして――この解釈を支持する人々は続けてこういうであろう――もし中国共産党が革命など企てなければ、進歩はもっと整然として合理的であったろう、中国は共産主義者が人々に無理やり払わせた途方もない代価を支払う必要もなければ、毛沢東主義の圧政に耐える必要もなしに、いちはやく工業化を進め、もっと早く世界の超大国となったかもしれない、と。その超大国は中国の伝統的な面影を色濃く残したままで、相変わらず「皇帝」が君臨し、西洋とは異なる価値が信奉され、世界に対して自らが中心に位置すると主張する国家ということになるであろう。かくして、この解釈図式は、中国はどこまで行っても中国であるという保守的な観念に、きわどいところまで近づいてしまう。

 だが、未来はまだ定まっていない。この100年の歴史の「貸借対照表」の確定は、遠い将来の作業とならざるをえない。もし、中国共産党の統治が続くなかで民主主義が――もちろん西洋的な意味での――姿を現したらどうであろうか。その場合には、中国共産党は、長い時間がかかったとはいえ、やはり中国史に断絶を持ち込んだといいうるであろう。世界が待ち望み、あげて称賛するはずのこの種の変化が起こるとすれば、それはどのような歴史の解釈図式のなかに収めるべきであろうか。すぐに思い浮かぶのは、普遍的と考えられている近代化の過程を――その最終局面で訪れるのは民主化である――中国もやはりたどったという理解の枠組みのなかに収めることである。

 あるいは、中国共産党自身が思ってもみなかった「長引いたブルジョア民主主義革命」という図式を適用することもできるであろう。この図式を採用するとき、われわれは同党による革命と統治の時代を中国史における特別な時期としてみるより、ブルジョア革命の課題が、孫文らの革命派、国民党、共産党という具合に、あたかもリレー競争のようにバトンを引き継ぎながら達成される長期の過程に埋め込んで語ることになるであろう。そして、もし将来において民主化が達成されたとすれば、そこで中国のブルジョア民主主義革命の長い物語はようやく完結するというわけである。この物語における中国共産党の役割は、あたかも悪をなそうとして善をなしてしまうメフィストフェレスのようなものとなるであろう。

 以上は、この100年に中国共産党が成し遂げたことを全体としてどう描くかに関わることである。それはまた、数世代後の人々がこの時代をどのように想起するかについての、いくつかの可能性に関わることでもある。複数の顕著に異なる可能性に開かれている以上、あらかじめ解釈の方法を固定したうえで物語を書くことは適切ではないであろう。解釈図式が定まらないために、必然的に私の描く物語は、どこか一貫しないものとならざるをえない。私は上記の第三の立場に属し、中国共産党の言説とは距離を置きながら、そうかといって中国の共産主義者が成し遂げた革命およびさまざまな事業にある種の共感を失わず、物語の結末はなかなか定まらないかのように書くであろう、と大雑把に述べることができるだけである。(以下、略)

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(※注1)とはいえ、左右の両翼から「反共産主義的」と認定される文献であっても、必ずしもこの範疇に当てはまらない文献がある。それは、共産主義の原理的な立場から、過去の革命運動、および現存する「社会主義」体制について批判的な態度を示す文献である。そのような文献は、ここには含めない。
(※注2) この「短い中国革命史」という言葉は、ホブズボームの「短い20世紀」から着想を得たものである。とはいえ、彼のいう「短い20世紀」は、1914年からソ連邦の終焉に至るかなり長い時間ではあるが。

参考文献

1)I・ドイッチャー著/山西英一訳『ロシア革命五十年——未完の革命』(岩波書店/1971年)
2)フランソワ・フュレ著/大津真作訳『フランス革命を考える』(岩波書店/1989年)
3)ユン・チアン、J・ハリデイ著/土屋京子訳『マオ—―誰も知らなかった毛沢東 上・下』(講談社/2005年)
4)高橋伸夫『党と農民――中国農民革命の再検討』(研文出版/2006年)
5)エリック・ホブズボーム著/大井由紀訳『20世紀の歴史――両極端の時代 上・下』(筑摩書房/2018年)

著者略歴

高橋 伸夫(たかはし のぶお)
慶應義塾大学法学部教授、慶應義塾大学東アジア研究所所長。
慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了、博士(法学)。
主要著作に、『党と農民—中国農民革命の再検討』(研文出版、2006年)
『現代中国政治研究ハンドブック』(編著、慶應義塾大学出版会、2015年)などがある。

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