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【試し読み】『スペイン 危機の二〇世紀』

2023年9月25日刊行の新刊『スペイン 危機の二〇世紀』
内戦で亡命を余儀なくされた文学者や芸術家たち。
独裁政権下での検閲、民主化による「和解」のもとで沈黙を強いられた人々……。
さらに今世紀に入って隆盛するカタルーニャ独立運動など、現在につながる危機の原点をたどり、新しい20世紀像を提示する注目作です。
このnoteでは「はじめに」を特別に公開いたします。ぜひご一読ください。

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はじめに
 
スペイン人は長い間コンプレックスに悩まされてきた。英仏独などヨーロッパ先進諸国のたどった近代化の道筋から自分たちが「逸脱している」という劣等感である。20世紀初頭、スペインを代表する哲学者オルテガは「スペインが問題、ヨーロッパがその解答だ」と述べ、スペインがその後進性から脱却するために、ヨーロッパをモデルとして政治社会の刷新を押し進めることが肝要だと主張した。ヨーロッパからの疎外感は、その後も一種の強迫観念のようにスペイン人にまとわりついた。

これは哲学、文学、芸術の分野だけではない。例えば、近現代の歴史を振り返ってみても、英仏独などが国力を強めながら植民地獲得競争に奔走した19世紀に、スペインは逆にその広大な植民地を失っていった。敗戦につぐ敗戦は、誇り高いスペイン人のプライドを傷つけたに違いない。さらに20世紀に入って、ヨーロッパは二つの大戦に見舞われたが、実はスペインはそのどちらにも参戦していない。だからといってスペインが外からの影響を受けなかったわけでも、国内で平和を保ったわけでもなかった。「ゲルニカ爆撃」で有名になったスペイン内戦は「第二次世界大戦のプレリュード」と呼ばれ、家族や友人同士が殺し合う悲惨な戦いとなった。またその後に到来した長いフランコ独裁体制は、戦後復興に沸くヨーロッパから見ると、辺境というスペインのイメージをますます固定化することになった。しかし、この辺境としての面白さ、スペインという国や人が発する強烈な個性に、私たち日本人が強くひかれてきたことも事実である。

では、スペイン人が長年のコンプレックスから解放されたのはいつ頃であろうか。すでにフランコ体制下で目覚ましい経済成長を遂げていたスペインは、1975年の独裁者の死後に民主化を達成し、ヨーロッパ(当時はEC)への復帰を果たした。ETA(バスク独立を目指す武闘組織)によるテロという問題はあったが、世紀前半の暴力や貧困と比較すれば、おおむね平和と安定、繁栄を享受できたといえるだろう。1992年に開催されたバルセロナ・オリンピックとセビーリャ万博は、スペイン特殊論・例外論を払拭するのに役立ったかもしれない。

本書『スペイン 危機の二〇世紀』は、このジェットコースターのような激しいアップダウンを経験したスペインの軌跡をたどったものである。すでに21世紀も4分の1が過ぎようとする現在、内戦と独裁に翻弄された世代はわずかとなり、独裁から民主化への移行を経験した世代も老いつつある。逆に、若い世代は新たな危機に直面している。経済のグローバル化が生み出す社会の格差や分断状況、気候変動や環境破壊(旱魃、山火事、水不足・水質悪化など)、そして成立から半世紀が過ぎようとしている現行の民主主義体制そのものへの懐疑である。人々の不安や不満は増しているが、かつてオルテガが「解答はヨーロッパ」と言い切ったような、進歩を是とする確固たるモデルはもはやどこにもない。社会に漂う悲観主義は、植民地を失った19世紀末のそれと似ているという声もあるほどだ。

こうした先行きの見えない「現在地」から振り返ったとき、スペインの20世紀はどのように見えてくるのだろうか。この本はスペインの政治・社会・歴史・文学・芸術を専門とする6人が持つ最先端の知見を結集した試みである。その結果、概説書に終わることのない、斬新でユニークなスペインの20世紀像が浮かび上がってきた。

本書の特徴は次の2点に要約できる。(1)二〇世紀を単なる通史として描くのではなく、それぞれの時代の危機に翻弄される個人や集団のアイデンティティのあり方、その揺れや変化に着目する、(2)スペインを、国境を越えて広く外部に開かれた空間として捉え、そこで織りなされる人やモノ、情報などの移動・ネットワークに着目する、ということである。以上の共通認識に立った上で時系列の章立てとした。順に読み進めていけば20世紀史の流れがわかるようになっている。

第一章では、21世紀になって勢力を伸ばしてきたカタルーニャ独立主義の運動を、100年前の20世紀初頭にさかのぼって、それが歴史に初めて登場してきた文脈を分析する(八嶋)。第2章は、1970年代の民主化の過程で成立した「和解」の下に沈黙を強いられる人々がいたという問題意識から、20世紀スペインがたどった暴力の歴史を振り返る(加藤)。第三章では、内戦と亡命という歴史の激動に翻弄されながらも、ジェンダー規範を乗り越えて自立していく二人の女性作家の生涯をたどる(坂田)。第四章は、スペインの前衛芸術が内戦や独裁という危機の下で「ねじれ」を生み出しながらも、けっして押しつぶされることなく次の時代へと継承されていくさまを描き出す(松田)。第五章も前章と同じく、内戦や独裁による文化芸術の断絶と継承の問題であり、内戦の傷を負い、独裁下の検閲制度に閉塞感を抱きながらも、時代の証言者として創作活動に励んだ作家たちをとりあげる(丸田)。第六章は、政治学の理論をスペインの事例に当てはめながら、かつてモデルとされたスペイン民主化の過程を批判的に検証する(加藤)。最後の第七章では、20世紀から21世紀への変化を象徴する外国からの移民流入問題をとりあげ、この新しい課題にスペイン社会がどのように対応しようとしてきたのかを分析する(深澤)。

こうした各研究者の問題意識と最新の研究蓄積や分析手法によって、本書が新しい20世紀スペイン像を提示することができれば幸いである。社会の変化に戸惑いながらも、危機と向き合いそれを乗り越えようとするスペイン人のたくましさ、そして自分たちの経験を記憶し、さらに次の世代へ伝えようとする真摯な努力、これらは混迷の時代に生きるわたしたちの心にも響くはずである。そしてこの本をきっかけに、より多くの読者が多様で奥深いスペインの歴史や文化の世界に関心を持つようになれば、これ以上の喜びはない。

八嶋由香利

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【目次】
はじめに
第一章 自治と独立――カタルーニャ独立主義の源流
第二章 共和政・内戦からフランコ独裁へ――政治的暴力の歴史とどう向き合うか
第三章 「二七年世代」の女性作家たち――コンチャ・メンデスとマリア・テレサ・レオン
第四章 スペインの前衛芸術と内戦
第五章 フランコ独裁政権下の小説――社会危機の表象
第六章 スペイン民主化とは何だったのか――価値観・社会運動・政治制度
第七章 移民をめぐる「危機」とスペイン社会

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