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引退(前)ブログ 内藤迪希乃

ちは!
端艇部カヌー部門4年主務の内藤迪希乃です。
ついに引退ブログ……といいつつまだ2か月ほど残っています(執筆時点6月末)(一つ前の人が更新を止めたので寝かされ続けて早1か月)。
懐古も反省も、少しばかり気が早そうです。まだ過去形で書けません。

 でも、「もう」2か月しかないのか。(一つ前の人が以下略)

 さすがに、やや感傷的になります。

 丸3年と数か月、「カヌー」が頭から抜けた日は1日としてなくて、現在進行形で常に共にあります。

 だから結構、思い出すことも多くて。


「大丈夫!?考え直さなくていい!?」

 まず思い出すこれは、入部届を書いているときに先輩から言われた言葉です。4月3日、今でもよく言われるけれどさすがに早すぎる。私の入部理由は「入らない理由が特になかったから」です。軽率!
 でも、今の私なら、その時の先輩に「いいんですよ!」って、言えそう。

 いやでも一応ほかの部も見ておいても良かったかも……一応ね、一応。

「報われるよ」

 1年のインカレの最終日、当時の4年生の先輩に言われました。その時の私は、部活漬けではあったけれど想定外のことが思ったよりも多くて、何というか、困っていました。

 だから、先輩の言葉に対しても「報われるって言ったって、ねえ。」と失礼ながら半信半疑でした。

 でも、私の知らない4年間を乗り越えた先輩が、いつになく真剣な顔で言うから、そうかもと思い続けて、気づいたらそろそろあの時の先輩に追いつこうとしています。

「インスタ見てるよ」

 私がカヌー部門で携わった仕事の中で、かなりウエイトを割いたのが公式Instagramの運用です。
 きっかけは、当時ほぼ1人でInstagramを切り盛りしていた先輩に誘われたことでした。デザインや写真には元々興味があったので、確か二つ返事で「やります!」と答えました。隊長の先輩を筆頭に初期メンバー4人から成る「あどび隊」の設立です。

 結論、本当に誘ってもらって良かったです。
 カヌースプリントはどこまでもカッコイイのに、マイナースポーツです。ジェスチャーは大抵ボート、オリンピックはテレビで放送されないし、惜しいところで「ハネタク?」って訊かれます。
 それでも、カヌースプリントを、そして何よりそんなマイナースポーツに4年間を捧げる部員たちを少しでも知ってもらいたいという先輩の思いに共感して、いつしか同じ熱を抱いて、色々試すのが楽しくて仕方がありません。色彩も構図もツールもカメラも、独学で色々学んでいます。

 スケジュールを組んで、締切に追われて、場合によっては追いかけて、満足できずに迷走して。それでも「応援されるチーム」としてのブランディングに少しでも貢献できていたら嬉しいです。

 「インスタ見てるよ!」と友人に言われる度、フォロワーが少しずつ着実に増える度、カヌースプリントの認知が広がることを願います。
 ついでに、部員個人のSNSに撮った写真を使ってくれたり、「これめちゃくちゃいい」とわざわざ言いにきてくれたりするのもひそかな楽しみです。

お気に入りの写真(一部)

 どうかこれからもみんなの好きな「慶應カヌーの瞬間」が広がり続けますように。
 この引退ブログ投稿を最後の仕事としてもらいました。現隊長、わがまま聞いてくれてありがとう。一番長く見てきた同期の姿だから、私が一番素敵に見せたい、って思います。
 色々なものを背負って、それでもいつでも頼もしい「背中」に焦点を当てました。

「慶應義塾体育会端艇部カヌー部門主務」

 一番ウエイトを割いた主務。やってやるものかと意地になっていた時期が実はあるのですが、最終的にやると言っておいて良かったと今なら思えます。
 確かに大変なのですが、腹括ってやるしかないなと思えるようになってからは、確実に能力は伸びたし、精神的にも強くなったし、主務としてたくさんの人にも出会えた(他部活の主務と初対面で分かり合いすぎて握手したり)し、プラマイプラです。

 主務って何?と訊かれると迷います。一応定義としては「運営の統括」でしょうか。
 各方面から来るタスクを振って、進捗を確認して、メールを書いて、LINEを返して。LINEは自動応答くらいの早さで返せるようになりました。
 ただ、私の中で一番主務としての役割を重く感じるのは、「慶應義塾体育会端艇部カヌー部門主務」の肩書と共に並ぶ時です。現役部員あるいはカヌー部門の代表として立つ時、自分の行動が部の時機を左右する責任を意識します。
 マルチタスクはそう苦でなかったはずなのに、主務として運営全体に目を配り、「気づく」ことは何より難しいことでした。でも、いくら難しくても私が「無理です」なんて言っている場合ではないから、本当にずっと眉間に皺。
 「主務」の言葉を部員が聞いてくれるのも、その肩書に中身があるからだと、こだわりを持って過ごしてきたつもりです。自分の言葉に自分だけは矛盾しないとか、言語化して説明できることしか言わないとか、シンプルに妥協しないとか。体現できていたかは、私が判断することではないけれど、そう悪くはなかったんじゃないかと思いたいです。
 たまにヒヤッとすることもあるので、精進します。

「いなかったら成り立ってなかった」

 これは、漕手に言われて嬉しかったこと。報われましたよ、先輩!
 私の4年間に共通する目標は、「頭数以上の価値を自分に見出す」、でした。1シフト分1タスク分の価値だけではなく、自分が部にいる意味がほしくて、まずフルコミットを自分の中の前提とした上で、何ができるか考え続けていた気がします。
 とはいっても世渡りが下手なので、効率なんて完全に無視して、声をかけられたことにとりあえず、「やります!」と答えて、自分の時間と能力の全てを使ってみることしかできませんでした。

 でも、その全てが今の私の固めの土台を形成しています。

 ちなみに、「みきのがいなかったら成り立ってなかった」に私は何の謙遜もせず「そうだよ」と答えますが、何より漕手がカヌーに真摯に取り組んでいるからこそ私はマネージャーとして居続けられたと思っています。「そっちこそ!」とは普段言わないけどね。
 ほぼ毎日乗艇練習をしているだけでもすごいのに、
暇さえあれば互いの動画を見てアドバイスをし合って、艇庫に来ると誰かがエルゴを漕いでいて、コースを見ると誰かの艇が見えて。
 そんな“カヌー馬鹿”たちと共にここまで歩んでこれたことは、いちマネージャーとして何よりも幸運でした。
その幸運があれば、割と頑張れてしまいがちです。

「何でカヌーのマネージャーなの?」

 本当にたくさん訊かれます。初対面の人には大体訊かれるし、私がカヌー部員であることにいい加減慣れたはずの友人にも未だに訊かれます。

 なんでだろうね。

 タスクは少なくないし、友人たちが遊んでいる長期休みは合宿期間だし、夏は暑いし冬は寒いし、朝も昼も夜も眠いし、「も」って打つと「申し訳ございません」って出てくるし。情けない。

 でもどうしてか、今せっせと引退ブログを書いています。

 半分くらいは多分、意地です。カッコ悪いけど、今更譲れません。
 「マネージャー」にあまり良いイメージを持たずに試乗会に参加した私は、それぞれが芯を持って、マネージャーとして高いクオリティを出している当時のマネージャーの先輩方を見て「いいじゃん」となったから、その時の自分の選択を勘違いにしたくないから、私もそう在りたいと思ってしまいます。

 マネージャーの活動や存在意義を問われる度、その何倍も自問します。
 カヌーに乗らないカヌー部員。
 結構、悩んでしまいます。「いや、私マネージャーだから」と私は最後まで割り切れませんでした。割り切るべきでもない気がします。
 陸と水、立つ場所が違うとしても少なくとも同じ目線ではありたいと、同じ速度で伴走する資格を得たいと、ずっと思っています。
“カヌー馬鹿たち”にそう軽い気持ちで並び立った気にはなれないから、無理しすぎなくらい努力したいと思ってしまいます。
 だからどうか、「マネージャーはいてくれるだけで」なんて言わないでね、お客さんじゃないんだから、寂しいじゃん。

 もう半分は、慶應カヌーだから、です。
 カヌー部門を選んだ人々は、なぜか埼玉県を4年間の主拠点として、友人の誘いに「土日空いてないし夜も21時までなら」と返す、大学生にあるまじき生活を選んだ人々です。変です。
 ほぼ毎日、寝癖くらいしか変わらない、代わり映えのない顔を見て、人間関係が濃すぎる艇庫にいて、気疲れする瞬間も少なからずあります。
 でも結局、変な選択をした人々だから、彼らと過ごす日々はやっぱり変で、面白くて仕方がありません。

 練習で疲れているのに、河口でいつまでも喋っていたり、昼食を食べた後ホールでどうでもいい話で大騒ぎしたり、散々日頃見飽きているのにオフでも遊びにいったり。(オフでもカヌーの話ばかりです)
 毎回時計を見てちょっと後悔するのに、懲りもせずまた同じことを繰り返してしまいます。

全然帰らないのはいつも同じようなメンツ

 でも、練習やレースの時には気持ちがいいくらいに切り替えて、チームのことについて話すときは全員が真剣で、そういう時「体育会端艇部カヌー部門」を選んだ人々とともに在ることを実感します。

 同期は、互いの距離が近づいたり遠ざかったり、やや安定感に欠けています。漏れなく我が強く、誰も黙らず、スムーズに合意に至ったことは片手に余裕で足りそうです。でもその強さを私は好ましく思うし、結局気づいたらいつも近くにいるのも同期だったりします。

 後輩は、最初は常に揉めていたのに気づいたらまとまっていたり、変な鳴き声で会話していたり、面白いです。よく遊んでくれる後輩は、ありがとう。代のカラーは来シーズン大きく変わりそうなので、楽しみです。

 学年だけでなく、班や係、役職などの関わりも大事です。

 副務!
 選手と運営の両立という面で、タスク面でも精神面でも本当に助けてもらっています。選手としての視点は運営には絶対に必要で、どちらの立場も理解している副務は最強の存在です。同期副務の2人はたまにびっくりするようなところで抜けているけれど、頼もしいです。フットワークの軽さ、嬉しいです。3年生は全員が運営について理解しているというところで、最強。来年は心配いらないですね。

 マネージャー!
 私からは、「部員であることにこだわる」ということをひとつ。
 モチベーションとか最初から頭で考えても何も出てこないのなんて当たり前なんだから、まず艇庫で部員と話して、タスクをこなして、遠征に行って、競技を見て、とりあえず全部やってみてください。そうすれば、自分がどう関わっていきたいかきっと見つかるはずです。
 マネージャーであることにこだわるのも大事、だけどまず「部員であること」にこだわってほしいです。チームの勝敗も、努力も、どうか「自分のチーム」のものとして感じて、ある意味責任を持って、こだわりぬいて活動してほしいな、と思います。少なくとも私はそれがここまでの日々の根拠になったから。

 幸いなことに、今マネージャーは過去類を見ないほど多いので、何でもできるはずです。陸にいるからこそ気付けることもできることもたくさんあります。
 まず間違いなく大変だし、面倒にばかり目を向けてしまうかもしれない。部活に深く関わるほど、誰かと比べて損な役回りだと思ってしまうこともあるかもしれません。
 でも、今なら私は言えるから、「絶対報われるよ」って、言います。
 皆が全力でサポートした分だけ、きっと彼らは全力で応えてくれるから!

 そもそもそんな難しいこと考えなくても、一緒に夢中になった方が楽しいに決まってるんだからさ。がんばれ!


 私が引退ブログに辿り着くまで、本当に、お世話になった方がたくさんいます。艇庫の外からもたくさんの方が応援してくださっていました。

 先輩方は、特に引退された後その存在の大きさを改めて感じました。ふと「あの時の〇〇さんと同じ学年…?」と思うと、驚いてしまいます。
 あの先輩の細やかさ、あの先輩の大胆さ、あの先輩の自信、どれだけ頼っていたかを自分の未熟さと共に痛感します。
 些細な事に頻繁に躓く私は、その度に諭されたり、慰められたり、さりげなく助けられたり、本当にお世話になりました。

 そして、OBOGの皆様、保護者の皆様。皆様の支えのもとに活動が成り立っていることを日々強く実感します。
OBOGの皆様は、日頃からご支援くださり、また、お話を聞く度、端艇部とカヌー部門の長い歴史と、それを繋ぐ責任に身が引き締まります。また、理事、コーチの皆様は特に現場に近い場所から部を見守りながら、必要な時には必ず助けてくださいます。
保護者の皆様は、自分を含め、入学したと思ったら突然1週間に1度くらいしか、場合によっては1ヵ月以上家に帰ってこなくなった子どもを、あらゆる面から支え、行事や大会で暖かい言葉をかけてくださいました。

 学生主体の運営も、それを支えてくださる皆様がいなければ成り立たず、心おきなく挑戦できるこの環境に在れたことに心より感謝申し上げます。ありがとうございました。


 競技も人も環境も、全てにマイナスを補って余りある離れがたい魅力があって、だから私は「カヌー」の「マネージャー」です。

 こうしてたくさん思い出して、私が思うのは、
「色々やっといて良かったなあ」という何とも気の抜けた感想です。

 「色々」としか言えないのです。マネージャーとして、主務として、最高学年として、色々やってみたら楽しいだけじゃなかったけど、むしろ楽しいだけじゃなくて良かったとすら思います。

 ざっくりしたことしか書いてこなかったけれど、本当に色々なことがありました。
 1日として同じ日はなくて。
 にんじん20本とか肉20kgとか、普通では見ない単位の食材が扱えるようになりました。艇庫飯を作っていると練習終わりの選手が見に来ます。カレーだと分かりやすくテンションが上がります。
 朝起きられるようになりました。日の出はもう見なくていいくらい見ました。
 たくさん遠征に行きました。山形、石川、千葉、山梨、東京、香川、京都…(これ全部車で行っているのもよく考えたら変です)
 カヌー部門のマネージャーになっていなければ、見ていなかったはずの景色ばかりです。

 3年半で、私は想像したより奥歯を嚙み締める羽目になったけどそれ以上に笑ったし、あの時の苦労も頭を悩ませた難題もきっと何年後、何十年後にはいい思い出として覚えていられるはずだし、
 100人分のカレーを作る能力……はどこで使うかわからないけれど、
マネージャーとして、主務として培った能力と根性はきっとこの先私を助けてくれると信じているし、
夏を思えば、苦楽を共にした部員たちの勝利は、きっと何よりも嬉しいはずだし!
その瞬間を思うだけで、今日も明日もきっと頑張れてしまいます。

 さて、3年半のゴールが、最後の夏がやってきます。
私は最後の1日まで、カヌー部員だけどきっと陸にいます。
21人の“カヌー馬鹿たち”が、1000m先、500m先のゴールに一直線に向かっていけるように、陸を一切顧みる必要がないように。

2024年7月
慶應義塾体育会端艇部カヌー部門主務
内藤迪希乃

カメラマン、自分の写真少ないがち。

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