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お別れブログ 〜山根さん編〜

耳を障るうるさいイビキと喧しい寝相に耐えながら同じ布団で眠りについたことはないし、


NiziUの無限ループに飽き飽きしながら一緒にウェイトをしたこともないし、

選手たちより感じていたとすれば、あのパーマの抜ける速度くらいだけど



でもなんかカヌー部員と会いたいなって時に声をかけたくなる1人だな〜って思うひとです。



こんにちは!
3年マネージャーの伊原菜々穂です!



もうすっかり冬ですね🎄🎅🏻

先日の寒すぎたある日、店員さんに

「カップスリーブ下さい」

と言う勇気さえなかった私は、
頼んだホットカフェラテを、仕方なく、萌え袖で持って、

猫舌なのに

「ライトホットでおねがいします」

と毎度言い忘れる私なので、
湯気がたつホットカフェラテを、仕方なく、フーフーしていたら、


あらお茶目

チャームポイントのメガネが曇っちゃったから

テンションあがって友人たちに「みてみて!」とみせびらかしたんですよ

そうしたら、

「かわいこぶるな!お前は自分がやっていいこととやってはいけないことの区別もつかないのか?」

と怒られました。


世の中はほんとーーーうに理不尽。


ふつうの人なら「あ、そう」で終わってしまいそうなこの出来事ですが、この話に

「へぇ!そんなことあったの!?笑 ひどいねその友達、それな〜世の中って理不尽だよな〜」

と爽やかな(作り)笑顔で返してくれそうな先輩に向けて、このブログを綴っていきたいと思います。



本ブログの主人公である彼の名は、山根久弥。
ヒサヤと読みます。

私のLINEの登録名を「クソ女」にしている、数々の伝説をお持ちのあの方の名前の珍しさに次いで2番目に、

稜大と書いてタカトと読む、2年の遠藤くんの名前を初めて聞いてからは3番目に、

珍しい名前だなって思っていました。


そんな山根さんへ


カヌー部門は、数ある体育会の中でも選手とマネの距離が近い部活だとは思いますが、それでも、私たちマネージャーとは共有しきれない選手同士の想いってあります。

今まで投稿されてきたお別れブログとは違った目線での執筆となってしまうこと、申し訳ないのですが、私なりの愛を込めて、山根さんの分厚めの壁にパンチを打ち続けた私の歩みを綴っていきますので、最後まで読んでいただけますと幸いです。


基本フォーム練習 コワモテの途中入部された先輩時代

山根さんには、ジャイアンをはじめ、さまざまな呼び名があるのですが、今回は、私の山根さんへの呼び方を振り返りながら、書き進めることとします。

山根さんは私たちの代が入部する直前の冬に、途中入部されています。そのため、後輩である私の同期と共に練習をされていて、新米1年マネの私も接点は多かったはずなのですが、人見知りを発揮し、部員のほとんどに心のシャッターを半下ろしだった当時の私は、山根さんの溢れ出る男らしさに圧倒され、山根さんと呼ぶこともできずに、シャッターの影に隠れていました。

山根さんのオラオラがただのマスクだったことに気づいた今、とても後悔しています。


当時の山根さんは、寒い冬の日に1人で川パチャをされている日が多かったことをよく覚えています。私はマネとしてビデオ片手にずっと河口から見守っていたのですが、1時間半1人で黙々と練習し続ける姿に、よく心の中で「頑張れ」と応援してました。初めての母性が芽生えたと言っても過言ではありませんでした。

イタリア旅行中の2年生の山根さん、らしい。
一緒に行ってないから知らない。拾い画。

いや、一緒に海外はちょっと行くわけがない。なんなら行かなくていいよね。多分山根さんも私と旅行は行かない。
旅行はまなちゃんたちといつか行く約束したからそれ楽しみ!


入部した初週の私の山根さんのイメージ
「春日みたいに胸張ってる人いる〜え、顔ゴツめ〜☝️」


ジャブ 山根さん時代

山根さんと私の(ちゃんとした)ファーストコンタクトは、部活中ではなく、プライベートの時間に、それも突然にやってきました。

インカレが終わり、1ヶ月オフのある日を私が2年生の時の人気No.1縦割り班、◯◯6の皆様と謳歌させて頂いていたときのこと。

以前にもブログにあげたことがあります。普段のオラオラオラオラオラオラな山根さんからは想像もつかない写真が爆誕してしまったあの日です。

山根さんの壁の固さは、削る前の鰹節くらい固いのだと思っていたのですが、まだ熟しきっていない柿くらいの固さだったんです。顎関節症の私でも頑張れば噛めるくらいの固さだったことに、当時20歳の伊原、ギャップ萌えにキュンでした。

しかし、山根さんの隠し持つギャップの深さに足を取られ、私が得意とする空気に任せた先輩への舐めきったジャブは全然打てませんでした。

やっとこさ、山根さ〜ん!と親しみを込めて呼べるようになったのがこの日の唯一の(大きな)収穫でした。


アッパー  山さん時代

山根さんとの思い出が増えはじめたのは、昨年の、Kaiさん・ともりさん・山根さん率いる「カ学の新研究」班 

名前ダサい気に入ってなさすぎて今ブログ書くのに頑張って
思い出したし多分班員誰も気に入ってないダサい

に配属になってからです。

私たちの班は、優太郎さんの意思を引き継ぐべく選抜されたメンバーの集う、他の班からは一目置かれる存在感を誇っていたのですが、その中でも異彩を放っていたのはもちろん山根さんです。

漕ぎ・ウェイトの両面でトップランナーたちが集っていた我が班でしたが、競技に関すること以外において、宮川と序列最下位を競っていたのも、もちろん山根さんでした。

例えば、毎週土曜日に行っていた班ミーツは10人なのにギューギューになって山根さんのベッドの上でやっていました。
皆んなで適当に布団や枕の上に座っていたら、山根さんのガーミンの充電器が無くなってしまい、探し出さないと生きては返してくれなそうな目つきで「探せよ!」とプンプンされたこともありました。山根さんはすぐプンプンします。

でもなんか、そんなこんなで山根さんと接しているうちに、山根さんと呼ぶのは気がひけるようになっていきました。そう気付いた日から、山根さんは山さんになりました。

カ学の新研究班結成以降、最も楽しそうにしていた日の山さん


KO? 山根時代

班員で過ごす時間が増えていくにつれ、山さんは山根になりました。山根〜!って呼ぶと、山根は「おい!」って言いながらにこにこしてました。そう、1年生の時に抱いていた印象とは正反対の人でした。



山根になった理由としてはいろいろあります。

レスリング大会が頻発したり、闘牛大会が起きたり、ともりさんが私の足を伸ばしてくれたり、眠っていた宮川のパ……

ここから先は、私たち班員だけの思い出にしておきたいと思います。
それでも読みたいと言う方は、👇


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こうして、私と山根は、ある程度の友達になることができました。

ある時は、私の新歓の出前注文における絶対的な権力を利用し、私たちの大好きなパイナップル入りのハワイアンピザのLを注文。あんまり人気がないことに薄々気付いていながら、人気味だと信じて疑わない姿勢を頑固として守り、2人で永遠に無料のハワイアンピザを貪り食べた。

ある時は、1人1枚までと言われていたどなたかの差し入れを5枚くらい食べている山根を見つけてしまい、一緒になって私も3枚くらい食べた。

なんか食べてばっかでした!

いい笑顔!


レース直前、山根さんの背中にゼッケンをつけたときの感情をなんか凄く覚えています。

真面目な話を少しだけすると、
私にとって、川パチャの、まだ余り漕げない状態の頃から見ていた人の、引退前最後の大会に挑む後ろ姿を見るのは、山根さんが初めてでした。
自分でもびっくりしたのですが、無意識に自分の記憶の中に残していた河口からの景色がいくつも浮かんで、なんか、凄くジーンと、来てました。勝手に。3年まで辞めずにいて良かったなって少し思いました。
その時の感情は言語化するのが難しいし、言語化せずに自分の中だけにしまっておきたいのですが、でも、あの時の感情を踏まえて、今シーズンのインカレ、私にとって最後のインカレで、自分が、同期や後輩にどんな感情を抱くのかが少し怖く、少し楽しみになりました。


最後に班の、山根さんのモデル写真をいくつか載せて終わりにしたいと思います。
とてもかっこいいですね。
山根さん、引退おめでとうございます。お疲れ様でした。またすぐ会いましょう。


最後までお読みいただきありがとうございました。乱文失礼いたしました。


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