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『13歳からのアート思考』 #7

こんにちは。
2月に入り、ますます寒さが厳しくなってきましたね。

7回目となる今回は、
末永幸歩さんの『13歳からのアート思考』を紹介します!

このnoteを読んでくださる方々の中にも、
「私はアートなんて興味ない!」と思う方もいると思います。

しかし、私が本書を読んで抱いた感想は、
「興味がない方でも楽しめる!」でした。

間違いなく、アートに対する見方が変わることを約束します!

それでは、早速紹介していきましょう!


「アーティストでいる」ということ


突然ですが、皆さんは作品を鑑賞する時に、どのようなことを意識していますか?

まさか、作品の下の解説文を読んで、美術を鑑賞した気になっていませんか?

このような鑑賞は、かなり損をしていると言えます。

「自分なりのものの見方・考え方」と程遠いところで、物事の表面だけを撫でて、
わかった気になれば、大事なことを素通りしてしまうのです。

現代では、ビジネスも学問も、
「自分のものの見方」ができる人が重宝されます。

このような見方ができる人こそが結果を出し、幸せを手にできるのです。

そこで、皆さんに質問があります。

じっと動かない1枚の絵画を前にしてすら、「自分なりの答え」を作れない人が、
激動する現代社会の中で、果たして何かを生み出せるでしょうか?

「自分だけのものの見方・考え方」が喪失している危機感を背景として、
「アーティストのように考える」方法が、ビジネスでも模索されています。

では「アーティスト」の定義は何でしょうか?

本書では、
①「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
②「自分なりの答え」を生み出し、
③ それによって「新たな問い」を生み出す。

と定義しています。

このような思考プロセスが、タイトルにある「アート思考」なのです。

本書では、「自分だけの視点」で物事を見て、
「自分なりの答え」をつくり出す作法を学んでいきます。


アートという植物


「アート思考」を、「アートという植物」に擬えて考えてみましょう!

「アートという植物」は、全部で3つの要素から成り立っています。

「興味のタネ」「探求の根」「表現の花」の3つです。

普通、植物の根元には大きな丸いタネがあります。

「アートという植物」にも、タネがあります。

このタネの中には、「興味」「好奇心」「疑問」が詰まっています。

これらは、アート活動の源になるため、「興味のタネ」と呼びます。

そして、「興味のタネ」からは、無数の根が生えています。

この根は、アート作品が生み出されるまでの長い探求の過程を示しているため、
「探求の根」と呼ぶことにしましょう!

さらに、タネと根のおかげで完成した作品を、「表現の花」と呼ぶことにします。

そして大切なことは、
植物は、空間的にも時間的にも大部分を占めるのは、
地表に顔を出さない「探求の根」の部分です。

このような「アートという植物」を育てることに一生を費やす人こそが、
「真のアーティスト」であるということです。

つまり、「興味のタネ」を自分の中に見つけ、「探求の根」をじっくり伸ばし、「表現の花」を咲かせる人が、正真正銘のアーティストです。

「アート思考」とは、「興味のタネ」から「探求の根」に当たります。

自分の内側にある興味をもとに自分のものの見方で世界を捉え、
自分なりの探求をし続けましょう!!


「アート思考」は本当に必要?


「アート思考」は本当に必要なのでしょうか?

ここでは、「美術」の正反対の強化である「数学」を引き合いに出し、
その必要性について述べていきます。

「数学」には、明確で唯一の答えが存在します。

つまり、正解を見つける能力を養う教科と言えるでしょう。

一方で、「美術」は、明確な答えが存在しないため、
「自分なりの答え」をつくる能力を育む教科です。

ところで、現在の世界は「VUCAワールド」であると言われています。

「VUCAワールド」とは、
あらゆる変化の幅も速さも方向もバラバラで、
世界の見通しがきかなくなった世界のことです。

世界が変化するたびに、その都度「新たな正解」を見つけていくのは、
もはや不可能かつ無意味ではないでしょうか?

つまり、これからは人生のさまざまな局面で「正解」ではなく、
「自分なりの答え」をつくる力が問われるのです。

「自分なりの答え」をつくる能力を養うのは、
「美術」が得意としている分野です。

皆さんにも「美術」の必要性を理解していただけたでしょうか?


美術の大きな転換期


14世紀あたりに、西洋美術の基礎となる技法が確立しました。

この時代は「ルネサンス」といいます。

この時期には画家は、教会やお金持ちに雇われ、依頼された絵を描いていました。

教会からは宗教画の依頼を受け、
文字が読めないキリスト教徒に、キリスト教の世界観を広めました。

つまり「現実味を帯びた絵画」が求められていたのです。

さらに王侯貴族からは肖像画の依頼を受け、
人物を絵として残し、権威や権力を示しました。

つまり、「生き写しであるかのような正確な表現」が求められました。

ルネサンス期の画家は、
まるで手を伸ばせば触れられる「写実的な表現」が求められたということです。

「写実的な絵」こそが「素晴らしい絵」とされ、
また、「アートの正解」とされていました。

しかし、20世紀に"あるもの"が登場しました。

それが、「カメラ」です。

皆さんご存知の通り、
カメラは早く正確に、現実世界を写し取ることができます。

これまで画家は、目にうつる通りに絵を描くことを目指してきましたが、
「カメラ」の登場により、ルネサンス以降のルールは、崩れていきます。

そして芸術家は、「アートにしかできないことはなんだろう」と考え始め、
各々の「探求の根」を伸ばしていくことになりました。

ここからは6つの作品を挙げて、
作者がどんな「探求の根」を伸ばしたかを明らかにしていきます!


アンリ・マティス『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』


まず最初に、マティスがどのように「探求の根」を伸ばしたか解説します。

彼は、「目に映るとおりに描く」という発想から離れて、
「色」を「色」として自由に使うことを試みました。

作品名で、検索してみてください。
鮮やかな色を自由自在に用いた印象的な絵画が見られると思います。

この絵は、「20世紀を切り開いた絵」と評された、彼の代表作の1つです。

ではなぜ「20世紀を切り開いた絵」と言われるのでしょうか?

それは、「表現の花」の出来栄えではなく、
「興味のタネ」や「探求の根」といったアート思考の領域に、
アーティストを誘導したからなのです。


パブロ・ピカソ『アビニヨンの娘たち』


ピカソも、「探求の根」を伸ばした代表的な人物です。

彼は、「リアルさってなんだ」という「探求の根」を伸ばしていきました。

私たちはどうしても、
「リアルな絵」=「遠近法」で描かれた絵と考えてしまいます。

しかし、ピカソは「遠近法」について疑問視しました。

描く人の視点が一か所に固定されているため、
「半分のリアル」しか写し出さないからです。

つまり、その物体の裏側がどうなっているのか、遠近法ではわからないのです。

そして、ピカソは「リアルさ」に関して、「自分なりの答え」を作り上げました。

それが、
「様々な視点から認識したものを、一つの画面に再構成する」というものです。

『アビニヨンの娘たち』は、5人の娼婦が描かれていますが、
鼻が横から見た形であったり、耳が斜め横から見た形になっています。

「多視点」から捉えたものを、
ピカソ自身が「再構成」したことがうかがえる作品になっています。


ワシリー・カンディンスキー『コンポジションⅦ』


カンディンスキーの「探求の根」は、
「人の心に直接響き、見る人を惹きつける絵」を追求することでした。

そして彼は、突飛な「自分なりの答え」を出しました。

それは、「具象物を描かない」です。

目に見えない音を色に置き換え、
同じく目に見えないリズムを形で表現しました。

この結果、鑑賞者と作品は双方向のやりとりができるようになりました。

つまり鑑賞者は、作者から干渉を受けず、
自由な発想で鑑賞することができるようになったのです。


マルセル・デュシャン『泉』


この作品はかなり有名であるため、知っている人も多いと思います。

ただの男性用小便器に、『泉』と名付けただけの作品です。

デュシャンはなぜ、このような斬新なアートを作ったのでしょうか?

「アートは、美を追求するべきなのか」という疑問を、「探求の根」としたからです。

そして彼は、「アートは「目」ではなく「頭」で鑑賞するべきだ!」
という「自分なりの答え」に至りました。

『泉』は、「表現の花」を極限まで縮小し、
反対に「探求の根」を極大化した作品です。

つまり、アートを「視覚」から「思考」の領域へ移行したのです。

目で見て美しいことを求めず、心で見るアートを育てたデュシャンの『泉』は、
「最も影響を与えた20世紀のアート作品」の第1位に選ばれました。


ジャクソン・ポロック『ナンバー1A』


私たちはアートを鑑賞するときに、
そこに描き込まれる「イメージ」をよく見ています。

例えば、ひまわりが描かれている絵であれば、そのひまわりを鑑賞しますよね?

でもそれは、人間に特有の鑑賞方法です。

もしも犬がひまわりの絵を見たら、ひまわりを鑑賞せず、
絵の具で塗られたキャンバスと認識するでしょう。

ポロックは、私たちの目を、
「物質としての絵そのもの」に向けさせようとしました。

「何にも依存しないアートがあるとしたら、それは何か」という「探求の根」を伸ばし、
この「自分なりの答え」にたどり着きました。

確かに斬新な描き方であったようですが、
その描き方を通じて生み出した「自分なりの答え」のおかげで、
ポロックはアートの歴史に名を刻んだのです。


アンディー・ウォーホル『ブリロ・ボックス』


こちらもかなり有名な作品であるため、
ご存知の方も多いのではないでしょうか?

ブリロとは、アメリカでは誰もが知っている「食器用洗剤」の名前です。

この商品のロゴやパッケージデザインを、
そのまま木箱に写し取っただけの作品です。

題材を、毎日見かけるありふれたものにし、制作方法は、印刷での複製でした。

このようにウォーホルは、
「作品の個性を打ち消した」のです。

以前までは、デュシャンの『泉』もポロックの『ナンバー1A』も含めて、
アートにはオリジナリティがあると考えられていました。

しかしウォーホルは、オリジナリティを消すことで、
「アートという確固たる枠組み」を疑いました。

そして「アート」と「アートでないもの」の住み分けの秩序を撹乱しました。

「これこそがアートだ」といえる「確固たる枠組み」は、どこにも存在しないことを知らしめた作品として、
『ブリロ・ボックス』は有名になりました。


「自分なりの答え」を生み出す


カメラの発明により、「目に見える世界の模倣」は、
芸術家でなくても、容易に可能になりました。

そこで6人のアーティストは、
「新しいものの見方」を次々と生み出しました。

「自分の好奇心」や「内発的な関心」からスタートして、
価値を創出している6人は、まさに「真のアーティスト」です。

皆さんも、今から実践できるはずです。

「自分の興味・好奇心・疑問」を皮切りに、
「自分のものの見方」で世界を見つめてみましょう!

そして、好奇心に従って探究を進めましょう!

これによって「自分なりの答え」を生み出すことができれば、
あなたも「真のアーティスト」になれるのです!


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

本書は、色鮮やかなカラープリントで、
実際の作品もいくつか掲載してあり、読み応え十分です。

気になった方は、こちらからどうぞ!










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