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明太子ご飯はいつだって特別

こんばんは。
今日もご覧頂きありがとうございます。

今朝の明太子ストーリーを皆さんにシェアしたい。

明太子、美味しいですよね。
ご飯のお供に待ったなし。明太子、名前も可愛く思えてきて。


今日の食日記


明太子は小さい頃から贅沢品だ。

この感覚は多くの日本人にあるのではなかろうか。

コンビニには当たり前に明太子おにぎりは売っているし、値段自体もそう大きくは変わらない。


なのに、母がスーパーで買ってきたとなれば、一本大きい明太子を兄弟で均等に分け、大切に大切に明太子の粒一つも残すまいと食べていたことを思い出す。

そうだ、あの時は確実に贅沢品だった。

あの当時、両親共働きで家庭内も忙しない日々が続いていたというのに、外食に頼った食生活の記憶はない。中食だって、せいぜいお惣菜が一品追加で並ぶ程度で、きちんと内食を家族で囲めていた事実に両親の努力を感じる。感謝しかない。


内食、を大切にしていたこともあるだろうし、きちんと倹約家の家庭の中で、贅沢は敵とまでは言わなくとも、浪費を抑えた食事に囲まれて、きちんとした食育のもとで育ったのだろう。


だから、明太子おにぎりにありつけるのも、同じマンションの子供会で開催していた夏祭りのお昼ご飯で好きなおにぎりを選ぶ時くらいだった。


そりゃ、明太子のレッテルはいつまでも贅沢品なわけだ、と妙に納得した。


今日の食事

YouTubeで食べる動画を見ながら、今度何作って食べようかな〜なんて考えるのが楽しいこの頃。

ふくやの明太子をたらふく使ってただ白米を掻き込む絵にグッときた。


「なんだこの世界は、、」と。

贅沢甚だしい、と。



でも思うのだ。
こう大人になって、好きな食べ物を好きなだけ買えるようになっても、明太子をここまで敬愛して味わうことができることは素晴らしい幸福度に居られているのではないのか、と。


自分の中で連勤頑張った一昨日、ご褒美にと少しの明太子を買ってしまった。

それは大切に。


朝は時間がない、というのは世の常識なんかじゃない。

朝は朝ご飯のために時間を作る。
それができなきゃ一日始まらないぞ、な僕。


タッパの玄米ご飯を温め直し、それなりに明太子を乗せた(こんもりはやっぱり無理だ、、もったいなくて、)。

僕の日の丸ご飯

熱々ほかほかのご飯に日の丸のように明太子が鎮座する。
その姿はまさに朝日煌めく麗しの光景(言い過ぎ?)。


やっぱり大切な明太子、玄米に対し7:3くらいに安心の盛り方(均等に、均等に)。

これが沁みるんだ。


ホクホクから明太子の辛味と出汁の旨味がジュワーっと溢れる。
噛むたびに粒が弾け口一杯に広がり続けるのは、飲み込むまで花火のように弾け続けるのだ。

一口一口きちんと7:3を守っては慎重に口に運ぶ(それは慎重に)。何度食べたって明太子の存在感は変わらずに、最後の一口まで贅沢だった。


こんな幸せなおはようを迎えていいものか、今日も明太子は贅沢品を更新してしまったではないか、、


また食べよう。

美味しいひと時に、ごちそうさまでした。
では、また次回。



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