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主体的なキャリア形成がしにくいのは、会社員の宿命

新卒から会社員として働いて、9年目になる。

自分のキャリアを振り返っても知人の話を聞いても、「会社員というのは、つくづく主体的なキャリア形成がしにくいものだなあ」と思う。

総合職採用だと、どこの部署に配属されても文句は言えない。

入社時の希望も、その後に提出した異動希望も全く反映されず、なりたい職種以外の仕事をずっとしている人も多い。「これが天職だ!」と思っても、あっさり異動となり二度と同じ職種を経験できないことだってある。

次第に、「会社員はそんなもんだ」と思い始める。人によっては、「会社員が自分の“やりたい”を主張するのは悪いことだ」という思想に至る人もいる。私も、先輩社会人からそう言われたこともある。

本当は他の仕事がやりたい、と言っても、「仕事は何年かやってみないとわからない」「石の上にも三年」「置かれた場所に咲きなさい」なんて一蹴されるのが関の山。いずれも、実際に言われたことがある。

でも、それって本当なんだろうか。

どんな仕事も、続ければ面白さがわかるのかもしれない。なんだって、一生懸命努力すれば成長もする。

そりゃそうだけど、だったら天職と思える仕事、使命感を感じられる仕事、大好きな仕事を、一生懸命やった方がよくない?

私はずっと文章に携わる仕事に就きたくて、就職活動でも出版社ばかり受けていた。

新卒ではコールセンターの庶務に配属され、1年で運よく希望していた編集部に異動。コールセンターの時は、お局さんとの折り合いも悪く正直辛かった。今は仕事の内容も好きで、「文章や企画に関する仕事を一生やりたいな」と思ってる。

正直なところ、最初の部署より編集部に異動してからの方が、仕事への意欲も成長スピードも格段に上がった。仕事以外の時間に業務に関係する資格を取ったり本を読んだり、給料が出なくても研鑽を積む時間を取っても全く苦痛ではない、どころか超楽しい。「ぴったりハマる仕事」をしていると、こんなにイキイキするのかと自分でも驚いた。

「置かれた場所で咲きなさい」なんて言われた日もあったけど、私は置かれた場所が不本意だったら這ってでも移動したい。自分の選んだ場所で咲きたいし、どうしてもそこに行けなくても、這って進んで力尽きた場所で一花咲かせてから散りたい。

実際、好きな仕事をしている人は、本当にイキイキしている。若くて雑用ばかりでも、板挟みになっていそうな中間管理職でも、現場を離れた立場でも、みな一様に楽しそうだ。

おそらく、彼らは金曜日の飲み屋で会社の愚痴に明け暮れたりしない。人生を楽しみたい人にとって、環境に文句をつける時間ほど無駄なものはない。

とは言え、会社側の言い分もわかる。

そもそも、会社は社員の人生のためにあるわけではない。ショムニで江角マキコは「会社の為に社員がいるんじゃないんだよ、社員の為に会社があるんだよ!」と言っていたけれど、実際の会社の目的は利益の追求だ。社員の自己実現のためではない。

江角マキコみたいなセリフを叫べたらカッコいいかもしれないけど、現実世界じゃまず無理だ。実際、そんなタイプだからドラマの中でも「会社の掃きだめ」と呼ばれる庶務2課にいる訳で…!(悲しい)

どうしたって、会社の経営計画や人員計画が先立ち、既存の社員をそこに駒のように当てはめるしかない。

誰だって、自分はかけがえのない存在だと思いたいし、一人一人は代わりのいない人間ではあるけれど、会社としては「その人が抜けたら業務が回らない」という状態では困るのだ。

だから、各自の独創的な才能を伸ばすよりも、組織が長期的に円滑に回ることを優先してしまう。

突出した才能がある人を中心にしてしまうと、世代交代の時に次の天才が育っていないと成り立たなくなってしまうし、そういう人材は転職市場でも価値が高いのでアッサリ辞められやすく会社としては扱いにくい、という事情もあるのかもしれない。

会社は人材を育成はするけれど、それは各人が一番幸せになる方向ではなく、会社がより円滑に回る方向にだ。たまたまハマるキャリアを歩めた人は幸運だけど、そうでない人も大多数いる。

そんな会社に不満はありつつも、不満を抱えて働いている人のなんと多いことか。

ただ、「自分の人生が会社のせいでつまらない」と考えるのはナンセンスだしもったいない。

会社は自己実現のために存在しているわけではない。その上で、自分で選択すればいい。

もっと輝ける新天地を探して辞めるか、今の会社にいたい理由があるなら、今の会社にいながら主体的にキャリア形成をすればいい。死ぬときに「ああ、本当はこういう仕事がしたかった」なんて後悔しても、社長もその時の人事部長も、何の責任も取ってくれない。自分が行動するしかないんだ。

私は、今の会社を続けながら「パラレルキャリア」という方法で、自分のキャリアは自分で作ることにした。

コールセンターに所属しているときに、プロボノでNPO法人の書籍を編集した。その本がAmazonの海外旅行カテゴリで1位をとってから、一気に世界が開けた。「ライターの仕事する?」「このイベントレポート書いてくれない?」「書籍出版についてコンサルをしてほしい」なんて引き合いが増え、「あ、会社の外でも実績って作れるし、それで仕事が増えるんだ」と知った。

会社で副業が解禁になるまでの数年間は、副収入を伴わないプロボノとして、編集・ライター・司会などをしてきたけれど、金銭的報酬がなくても「自分を必要としくれる人がいる」「またスキルが溜まった」「社会の役に立てた」と思えるだけで、かなり気持ちが楽になった。

今は、副業として収入も得られているので、「会社にしがみつかなくても生きていける」と精神的に自立した状態で働けている。

もし、自分の部下がそんな風に思っていたら辞められそうで怖い、と思う経営者や管理職の方もいるかもしれないけれど、むしろ逆だと思う。

会社が世界の全てだと、会社への不満が人生への不満になってしまう。あれもこれも会社のせいだ、と不満を抱えて腐ってしまう人材になるリスクが高まる。

ほかに居場所がある人は、会社で嫌なことがあっても、「多少の不満は発生しても、そこも含めて会社に所属するのを選んだのは自分」と思いやすい。

「自分の人生の舵は自分で握る」。そう決めてから、私は会社がもっと好きになった。私は会社でも副業でもプロボノでも、自分で気に入った場所を選んで、そこで望んで時間を使っているから。

一度しかない人生で、飲み屋で会社の愚痴をこぼしている時間は本当にもったいない。

1年目は、私もそうだった。たまたま、大学時代にマルタ共和国の短期留学で出会った友人が有楽町で働いていて、私も彼女もお局さんとのバトルで疲弊して、よく焼肉トラジか有楽町のガード下で愚痴った。お局さんのモノマネとかをして二人で爆笑した。

いま思えばそれも青春の1ページだけど、あれから年月が経ち、自分で選んだキャリアを歩んでいる今の方がよっぽど楽しい。そういえば、その彼女も希望していたアメリカ支社に転勤になり、カリフォルニアでイキイキ働いているらしい。

私が変化したように、金曜日の飲み屋で会社の愚痴を言っている人減って、代わりに自分の人生やキャリアを笑顔で語る人が増えたらいいな。

そう思って、この3年間、パラレルキャリア研究所の活動を続けている。


パラレルキャリア研究所代表 慶野英里名(けいのえりな)

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