「いいご縁」はどこにある?ドリフと坂本九とオーシャンゼリゼ
水曜日は、東京創業ステーション・Startup Hub Tokyo丸の内の「パラレルキャリア×起業トーク」に出演しました。
(右)フリーランス協会代表理事・平田麻莉氏、(中央)慶野英里名、(左)グラレコの本園大介氏
フリーランス協会が発行する「フリーランス白書」の中から、フリーランスの発注経路の約1/3が「人脈」、約1/3「過去・現在の取引先」という統計をご紹介しました。つまり、大きくとらえると「人づて」ということです。
私自身、今いただいているお仕事の半分以上は「人づて」です。もともとの友人、仕事で知り合った方、その知人、共通の知人がいる方とまずSNSで知り合って仕事をいただく…、などなど。問い合わせフォームから直接ご依頼いただくこともありますが、「人づて」の方が多いです。
すると、こんな質問が。
「周りに、仕事に繋がりそうなご縁が全くありません。どうすればよいでしょうか。」
「今の環境では、無料でやってもらおうとする人ばかりで困っています。」
仕事のご縁がない、という方の原因は、だいたいこの3つだと思います。
①自分の強みに気付けていない、発信できていない
②市場で評価されるだけのレベルに達していない
③いまのコミュニティに仕事につながるご縁が本当に存在しない
①と②については、この辺りのnoteが参考になりそうなのでお読みいただけたら嬉しいです。
まずは、「自分の強みを知って、言語化して、人に知ってもらう」「有償案件をコンスタントに得られるレベルになるまで努力する」をやりましょう。話はそれから!
でも、それでもやはり、「今の環境では仕事が見つからない」ということも、「何らかの仕事は見つかるけれど目指したい方向性と違う」ということもあると思います。
「人づて」のご縁の捕まえ方は、ひとつひとつがユニークなものなので一般化しにくくはありますが、私なりに実践してきたことをお伝えします。
え、昔のドリフにあの人が…?!
私の「ご縁」観に大きく影響を与えた本があります。
中学3年生の時に読んだ、いかりや長介の「だめだこりゃ」(新潮文庫)です。いかりや長介の幼少期、上京、ドリフ加入、メンバー集め、全員集合の快進撃、全員集合の終焉、役者デビューデビュー…が克明に綴られ、昭和芸能史を知れるという意味でも面白いエッセイです。
ドリフターズ(漂流者たち)という名の通り、元々はロカビリーのミュージシャンだったのに成り行きでコミックバンドになり、さまざまなご縁をつかまえながらコメディアンとして大人気になっていく姿に、「人生って、偶然の連続で転がっていくこともあるんだな」と感じました。
いかりやさんも、前のバンドを辞めてドリフに入るときに「ごく軽い気持ちで入ったのだった。人生を決める瞬間なんてそんなものだろう。」とだめだこりゃの中で言っていて、ピュアだった14歳の私はその言葉を120%の熱量で胸に刻みました。
当時の私は、なんとなく「目標設定をして、そのために努力する」のが、人生のセオリーだと決めつけていた気がします。学校や部活の中では、そういう場面の方が多いでしょう。
「大人になると何でも自由で、どんなご縁を掴んでも、どんな渦に飛び込んでもいいのか!最高!早く学校の外に出たい!」とワクワクした覚えがあります。すごろくのマス目を順当に前進するより、横道にそれた方が面白そうだと思いました。
そして、本の中でも一番驚いたのが、あのドリフに坂本九が在籍していたこと!
正確に言うと、現ドリフターズの前身の「サンズ・オブ・ドリフターズ」の時代に、バンドボーイとして在籍していたそうです。
「後年、違う分野の第一人者になる人たちが、若い無名の時代に同じ場所にいた」と知って、「私も無名の才能が渦巻くどこかに行かなきゃ!」と思ったのです。
チャンスの到来や才能の開花を狙う「卵」達がが集まる場所がどこかにあるはずで、そこに行けば人生が開けるんじゃないか、と漠然と期待しました。
おそらくあれ以来、私の行動特性に「チャンスがありそうな場所には顔を出す」「人生のチャンスは重厚な顔つきをしていないから、チャンスかわからない有象無象にも飛びつく」が追加されました。
世界をシャンゼリゼ通りだと勘違い
とはいえ、中高生の時はそんなに自由にも出歩けません。会える人も限られています。
やや消化不良な高校3年間を経て、大学生になった私は「ついに、私にとってのドリフを探せるんだ!待っててね加トちゃん!!」とワックワクでした。
そんな当時の私のテーマソングは、オーシャンゼリゼでした。
「街を歩く心軽く、誰かに会えるこの道で。すてきなあなたに声をかけて、こんにちは私と行きましょう。オーシャンゼリゼ、オーシャンゼリゼ、いつも何かすてきなことがあなたを待つよオーシャンゼリゼ。」
偶然出会った何かから人生が開けるかも、と思っていたので、毎日「今日もすてきなことが起きたらどうしよう!」「今日、運命が変わる何かに出会えるかも!」と、ものすごいテンションの高さで暮らしていました。
面白そうと思ったら顔を出し、知り合った人とは積極的に話して、どん欲に世界を広げようとしていました。学生団体、サークル、インターン、アルバイトと、パンク寸前まで予定を詰め込んでいました(あ、授業も)。
今思えば、期待がかなり過剰でした。何も起こらない日の方が多かったし、ちょっと不快な思いをすることだってありました。
会ってみたら変な勧誘をされたり、延々と偏った持論を聞かされたり。数えたことはないけど「なんか違う」「嫌だな」と思った回数は軽く100回は越えているのは間違いありません。活動量が多いので仕方ありません。
でも、そういう経験の中で、いい出会いもたくさんありました。文筆の道を目指す一歩になった編集プロダクションとの出会い、講演をする基礎をつくってくれたコミュニティとの出会い、などなど、今の自分を形作っているのは、二十歳くらいの時から嗅覚を研ぎ澄ませながらウロウロしてきたおかげだと思います。
いかりや長介の言う通り、当時はこれが「人生を形づくる決断だ」なんて気づかないぐらい、だいたいは地味な出会いでした。
だから「面倒くさい」「期待外れだったら嫌だな」「疲れるからやめとこ」と、スルーしてもおかしくない場面もたくさんありました。
その時々で飛び込めたのは「何か起きたらいいな」「いつか何かに繋がったらいいな」という期待感を、心の底にいつも持っていたからだと思います。
そして、そんな前のめりの姿勢は周りにも伝わるもの。「そんなに前のめりなら、これやってみる?」と、声をかけてもらいやすかった気がします。
20歳前後当時の過剰な期待でい続けるのはさすがに疲れるので、今は「ステキなことが起きたらうれしいけど、期待しないで出かけよう」くらいのいい温度感で過ごせています。
「思ってたのと違う」「会ってみたら変な人だった」という期待外れに対する耐性もついたし、アウェイな場所で物おじしなくもなり、ご縁が舞い込みやすい体質になれた気もします。
冷静に考えると、会社員をしながらフリーランスの仕事もしている私の働き方は、専業フリーランスより「新しいチャンス」に投資できる時間が少なく、不利なのかもしれません。
ありがたいことに今仕事が途切れないのは、無駄足のリスクを気にせずとにかく活動量を増やしてきたからかと思います。
その活動量を支えてくれたのは、「歩き回ればすてきなチャンスに行き当たる」と信じさせてくれた、ドリフとオーシャンゼリゼのお陰かなとひそかに感謝しています。
飛び込むときにケガはしないように
最後に補足!
そんなわけで、これから何かはじめたい人には、チャンスかどうかわからないものでも、飛び込んだらいいのではと思っています。
場数を踏むうちに、振る舞い方もわかってくるし、「収穫がなさそうだ」と見切りをつけるのもうまくなっていくと思います。
チャンスに対する目利きもフリーランスとしてのスキルだと思うし、生まれつきではなく鍛えられるものだとも感じます。
一方で、「大ケガ」だけは避けてほしいです。
たとえば、実績が不明瞭な起業塾や合宿に何十万も払ったり、違法スレスレの商法の片棒を担がされたり、成果の出ない情報商材に多額の貯金をぶちこんでしまったり、そんなことにはなってほしくないのです。
私はこんなことに気を付けるといいかなと考えています。
・多角的に情報を得る(複数人の同業者から話を聞く、ネットや書籍でも情報を集める)
・公的なサービスがあれば利用する
・組織や運営者のプロフィールをよく調べる
・まずはお金がかからない/安いものからはじめる
・類似のものと比較する
「起業したい」「副業したい」という方を狙う悪徳業者もいるので、巻き込まれないようにだけしてください!
パラレルキャリア研究所代表 慶野英里名(けいのえりな)
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