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上昇志向より、「可動性志向」

仕事をがんばる=上昇志向?

キャリアデザインの仕事をしていて、正社員×フリーランスの掛け持ちをしているせいか、「仕事に人生を捧げてる」「上昇志向が強い」なんて思われがちだったりする。「バリキャリ」と呼ばれることもある。

たしかに、仕事は好きだし、仕事をしている時間も日本全体の平均よりは多いかもしれない。

でも、「上昇志向とはちょっと違うんだよな」とも感じる。

社会的ステータスが何より大事とは思えないし、仕事のために他の全てのことを犠牲にしてもかまわない、とも思っていない。

誰かが決めた「上」に行きたい訳ではない。

終身雇用も劣化していて、「一生一社」が限界を迎える昨今、闇雲に出世を目指そうとも思えない。

人生の可動域を広げたい

じゃあ、私は何を大事にしているのだろうか。「上」以外のどこに行きたい人間なんだろうか。

そう考えると、私は「上に行きたい」というより「その時に好きなところに行ける自分でいたい」のだと思う。

上昇志向ではなく、「可動性志向」とでもいうべきか。

会いたい人に会いたい。
これだと思ったチャンスは掴みたい。
尊敬する人から仕事で指名をもらえる自分でいたい。
好きな場所で働いて、好きな人と長く時間を過ごしたい。
違うと思ったら臆せず意見を言えて、自ら改善の担い手になりたい。

そんな風に、自分の居場所や一緒に過ごす人や仕事を自在に選べること、やりたいと思った時にやれることが大事なのだ。きっと。

どこか1つの組織に所属して、その中で「上」を目指すキャリアパスをなんとなくなぞっているだけだと、そんな「選べる自分」にはなりにくい。

自分のキャリアは、自分の責任と自分の感性でデザインしなくちゃいけないはずだ。

自由の途中の不自由にめげない

一方で、ちょっと難しいのが、自由自在な自分でいるためには、他者からの評価が必要な場面も多いことだ。

私はこうしたい、という希望をまずは持つことが大切だけど、その希望を叶えるためには他者に認められたり、応援されたりする必要がある。

周りに価値提供ができていなければ、人はついてこないし、協力する周囲もいなくなってしまう。

「上昇したいとは思ってないから」と、他者からの評価に背を向けてしまっていては、キャリアや人生の可動性は高まらない。

自由自在な自分でいるために、短期的には自分らしさより他者を優先する場面もある。

そんなときは、「今していることが、どう人生の可動域を広げているか」という俯瞰した視点を意識するようにしている。

つまらない作業だったり、時間を取られたり、クライアントの意向が強く自分の意見が通らなかったりと、短期的には「不自由だ!」と感じる場面でも、その先に自由度が増すフィールドが待っているなら頑張れる。

自分と他者にバランスよくエネルギーを注ぐことで、人生の可動域が広がっていくはず。

いつだって日常というものはだいたい地味で、不安になる日はある。誰にだってある。

そんな日は、ちょっと視座を高くして、自分の人生がどう自由になっていくのか、想像してみる。

一足跳びには前に進まなくても、数年前と比較すると、私の人生の自由度は少しずつ増えてきた。

ひとつひとつのタスクは地味でも、数年スパンで振り返れば人生の可動域を広げてくれると信じて、今日も目の前のことをがんばってみよう。

パラレルキャリア研究所代表 慶野英里名

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