「夢を叶える」と「夢を諦める」の間にあるもの
私は、何歳になっても夢を見ていいと思う。
ただ、この感覚は日本人の中では一般的ではないらしい。
30歳を過ぎて「将来の夢」なんて言っていると、現実から逃げていると思われる。
子どもの時に憧れていたメジャーな職業はもちろん、就職活動時に目指していた人気の職種で働くチャンスは、年々閉ざされていく。
世間的にはパッとしないし、自分的にもど真ん中の仕事ではないけれど、まずまずの満足度を得られているし「こんなもんか」と思い、夢を追うのはあきらめる。
そんな人が多いんじゃないかなと思う。
でも私は、一度しかない人生を「こんなもんか」で終わらせるのが本当に嫌だ。
思うに、日本人が言うところの「夢」が、ほぼ「本業」という意味で使われていることにある。と思う。
だから、多くの人は20代のどこかまでに、夢を諦めるのだと思う。
でも、人生で大事なのって、「本業」だけだろうか?
もちろん、日々の暮らしのためには収入を度外視することはできない。多くの人が、食い扶持を稼ぐために日中の大半の時間を費やす。
それでも、「本業以外」が自分のアイデンティティになったっていいじゃないか。
細く長く続けているライフワークがあったら、それだけで十分「夢が叶っている状態」は続いているのだと思う。
そして、「夢」はアウトプットを伴わなくてもいい。
家族と置く時間を過ごすこと、大好きな海の近くで暮らすこと、身近な人に感謝されること。それが夢だっていい。
「夢と言うからにはそれだけで暮らせる収入を得ねば」
「一番時間を割いていないと夢とは呼べない」
そんな縛りを勝手に設けて、「一番」以外をなかったことにしてしまう人が、多すぎるんじゃないか。
大きな夢も小さな夢も、喝采を浴びる夢も一人でひそかに楽しむ夢も、みんな夢と呼んでいい。
叶う夢があったり叶わない夢があったりしながらも、いくつになっても大小たくさんの夢に囲まれていた方が、「人生を妥協した」なんて無駄な無念を持たずに済む。
「あれもこれも」とまずは欲張りになってみて、ステレオタイプな「夢」の縛りを少し外してみるといいんじゃないかと思う。
パラレルキャリア研究所代表 慶野英里名
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