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人生の最期は様々な葛藤・感情が溢れ出る

前回は、価値観・人生観にフォーカスして診療をしているというお話をしましたが、今回は家族背景・社会背景を見ることも同じくらい大事、という話です。

一見穏やかに見えるご家庭でもそのお家そのお家で事情があります。人生の最期や病気になってしまった、という極限的な場面では、その時に抑えられていた感情や、これまで手につけてこなかった家族間の問題が出てくることがしばしばあります。

特に人生の最期をみる在宅医療において遭遇するのが相続・遺産関係、そしてこれまでの人間関係

病状が進行してご本人が名前を書けない状態になると、色々と諸手続きが大変そうなケースを目にするため、最近は終活の1つとして、少し早めに相続・遺産関係に取り組んでもらうよう診療の中で一言添えています。

また、人生の最期はこれまでの人間関係も表出しやすい印象で、このあたりの葛藤や感情はなかなか最たるものがあります。例えば、「お父さんに本当にお世話になった」と感じている奥さん、娘さん達の場合は献身的に愛情を持って介護をされ、一方で悲嘆と覚悟などの感情・思考がうごめきながら、そこに自宅看取りを支援していくと、とても満足いただきます。しかしながら、逆にこれまで不仲・疎遠だったりするご家庭だと、いざ手続き・介護などのご家族の手が必要になる場面で温度感の違いを目の当たりにすることがあります。

医療者としては、これまでの関係性をお聞きしながら進めていきますが、熱心なご家族については、そのご家族ができる範囲を見定め、様子を見ながらのサービスの提案、様々な場面での意思決定の支援および精神的な援助を行います。不仲・疎遠が垣間見えるご家族や、ほとんど親族の支援者がいないような事例については、保険制度をフルに活用したサービス提案や専門職の物理的な援助を増やしていきます。

「熱心なご家族」の場合、愛情があるからこそ物理的な支援は多くを必要としないものの、不安や辛く思うご家族も多いため、その想いに傾聴するという意識が必要になります。一方で、「疎遠なご家族」の場合、介護や看病をする家族がいないことから、生活を成立させるために専門職が率先して物理的な援助を考えていく意識が必要となります。

また最近は、老老介護のご家庭で看取りに直面するケースも増えてきている印象で、その場合の支援方法も言語化していかなくてはいけないと思うところがあります。そして、ちょっと偏見みたいなところが出てきますが、社会背景についてもう一言付け加えておくと、あくまで傾向としてですが、女性の方が独居でも近所に親族や支援してくれる人がいる一方で、男性の独居の方は身近な支援者が少ない印象があります。この辺りも人生の歩み方を如実に表す一つの状況なのかなと感じることがあります(いつまでも繋がりの中で生きていく女性、仕事の繋がりがなくなると孤立していく男性的な社会傾向を表している印象です)。

このように家族背景・社会背景を把握することは、サービスの導入や意思決定を支援していく上ですごい重要で、癌の末期状態で家族の援助が期待できない場合はどこまで最期を過ごすことができるか医療者も悩みながら取り組みますし、家族がいても疲弊していく場合は、細かい間隔で在宅生活を継続していくか、入院に舵を切るか確認していきます(最近はコロナウイルス感染症の関係で病院の面会制限が厳しいことから、頑張って自宅生活を継続されるご家庭が本当に多いですが)。

ちなみに経験上、家族の登場人物が多いと、時々意思決定がばらつく瞬間があります。その場合は、診療で見えない時間帯に家族がどのようにコミュニケーションをとっているか想像し、意見をまとめてもらうよう促すこともしばしばあります。この辺りが、家族の力で持っていけるお家と、そうでないお家があるため、介入するかどうかを見極めていくのが診療で大事な気がしています。

少しつらつらと書いてみましたが、人生の最期は本当にケースバイケースで、一つ一つの個別事例を考えるのは大変なのですが、様々な人の社会背景や価値観に触れることができるため、人間というものの深みを感じることができる、やりがいのある事業と思っています。

特に私としては、

どんな人生の最期を迎えたいのか?

そんな問いに向き合い考えられる人と共に仕事をしていきたいなと思う、今日この頃です。

(以前とある勉強会で、すぐに答えが出ないから「問い」なのだ、という話を聞きましたが、在宅医療はまさに答えがすぐに出ない難問をその場その場で問うていく職業なのだと思います。)



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