童話「約束」〜将来大人になるあなたへ①
1 約束 약속
僕は今68歳です。ええ?どうしてそんなに歳をとってしまったの?そう聞かれても困ってしまう。確かに11歳の僕が今では老人の中に入っているなんて自分でも驚いているんですよ。でももう少し若かった頃の今から18年前、2004年10月22日に僕は当時25歳だった恋人の三十五と奈良公園に行ったことがあります。
実は彼女との初デートだった場所なんです。だから思い出深いんです。あなたもひょっとして校庭にみんなでタイムカプセルを埋めたりした経験があったんじゃないですか?
そう、タイムカプセル。それは例えて言うならば三十五と埋めたタイムカプセルだったのかも知れません。
当時僕は50歳でしたが、とっても三十五のことが気に入ってしまって、別れた今でも彼女のことが忘れられない存在になってしまったんですよ。
あなたは、へえ?と半ば呆れたような、あるいはちょっとだけ羨ましい程の声を上げたかも知れませんね。その恋は一年も続かなかったんですがね。あなたはまたそりゃそうだと思ったことでしょう。そうかも知れない。常識的に言えばそうでしょう。ただその常識とか、世の中で絶対こうだと思われているものが、絶対正しいなんて誰が言えるでしょうか?
あれから僕は人生を丹念に見るようになって、どこかおかしいところはないか、どこかずれてはいないか、確かめながら生きるようになっていました。
僕は今こうしてあなたに手紙を書いています。
手紙は本当に久しぶりで、ひょっとして小学生時代の同級生と文通していた中学生の頃以来かも知れない。それに認めてみたものの届くかどうかも知れない。
その日は、大阪に住んでいた三十五が近鉄奈良駅に昼過ぎに着いて、メールで知らせを受けた僕は駅前まで車を走らせて彼女を迎えに行ったんですよ。合流してからは、県庁から南東700メートルくらいのところにある監視員がちゃんといる駐車場に車を納めてから、二人で歩いて公園の中を散策したのでした。
その頃はきっと今よりもっと用心していたんじゃないかと思います。「車上狙い」という犯罪に遭うのが嫌だったから。
奈良はそうでもないけれど、当時僕たちが働いている大阪は日本一そういった街頭での犯罪が多かったですから。
公園にはたくさんの鹿がいて、県道を通過する車は、「鹿優先」なので、行く手を遮る鹿のために誰しも車を停めて通してやるのですが、県道沿いにはボートで巡ることも出来る池があって真ん中に檜皮葺屋根の六角堂である「浮見堂」と呼ばれている所に行きました。でもボートには乗らずにお堂の中を見たりして過ごし、そこを出て大昔にあったままの土壁がそのままになっている所があって、そこで三十五をモデルにして写真を撮ったのです。石段があって下がっていくとまた広場があり、池があるのですが、その石段横にも今にも崩れそうな土壁があって、それらが僕らの気に入って、そこに目印を刻んだんです。と言っても、傷付けたりしたんじゃないですよ、もちろん。二人の心の中に刻んだという意味です。それは、言ってみれば「タイムカプセル」の役割をしたのでした。これから10年、いやひょっとして20年かかるかも知れないけれど、その時二人の心の中にお互いを思う気持ちがあったら、この場所でまた会おうね。そんな約束をしました。途方もなく長い口約束です。あれからもう18年が経っています。
秋が過ぎて、三十五と一度京都の伏見稲荷大社に行ったことがあります。奈良公園に行った翌々月の12月5日の日曜日でした。初詣には早く、お参りした時刻も夕方に近かったんです。なぜそんな日のそんな時間にとあなたは聞くかも知れないですよね。夢を見たんです。巫女さんが出ている夢。その日がそうだったんですから、期日指定だったという分けです。あそこは鳥居をくぐる前に本殿でお祈りする所があるのですが、そこで二人でお祈りしてから、彼女に聞いてみました。「今何てお願いしたの?」僕は仲良しだった彼女と過ごすことが居心地が良かったし、当然三十五と末永くいることをお願いしたのでしたから、そう聞いたのでした。
すると三十五は「教えない」と可愛らしく答えたのでした。そうだろうなあ。でも、こうも言いました。「貴方と同じことよ」。
12月15日には大台ヶ原にトレッキングしようと出かけたのでしたが、既にその頃には閉山していて山登りは叶わなかったんです。仕方なくゲート近くの峠の茶屋みたいな所でゆっくりしていると、パトカーが来て僕らを驚かせました。こんなところに普段来ないですから。オフシーズンの水曜日に。
それから一年もしない間に別れることになったのですが、僕は翌年の2005年8月末に10日間という短い間でしたが、生まれて初めてニューヨークに行ったのでした。傷心の状態のままで。でも奇跡というのは、いつかは起こると僕は信じている人間です。そんなことはあなたは信じないかも知れないけれど。
僕はセントラル・パークの東側にある「メトロポリタン美術館」という所に入りました。その美術館は、世界でも名だたる美術館で、世界で4本の指に入ると言われています。
そこで僕が彼女に会ったんでしょう?なんて早とちりしないで下さいね。そんなはずないんだから。日本人じゃなかったけれど、一人の女性、そうだなあ年齢は聞いてないけど、二十歳を少し過ぎたばかりの美しい女性でしたが、その女性と偶然出逢ったんですよ。
最初は僕も彼女が日本人と思って、尋ねたい事があって声をかけたのでしたが、反応がなかったので、ああ違った、韓国の方だと直ぐに気付いたのでした。確かに中国人も台湾人も韓国人も日本人によく似ているから誰しも間違えるなんてありますよね。その状況がまさにそういう感じでした。
そこで僕はそんならそれで、一緒に館内を巡りませんかと提案したのです。彼女は直ぐにOKしてくれ館内を最後まで二人で巡ったのでした。
そりゃ一人で巡るなんてつまらないから、その美しいけどまだあどけなさが残ったその女性と巡るなんて実際夢のような感じでしたよ。アフリカ民族の木彫りの彫刻とか、チャック・クローズの絵もお互いに気に入って見入っていました。その前で記念写真も撮りました。日本と違って向こうは自由ですから。
そしてその夢のような時間もあっという間に過ぎて、外に出たのですが、階段のところで二人でしばらくアイスクリームを食べて過ごしました。食べ終わると礼を言って彼女は、そっと立ち上がったので、僕も立ち上がりました。そして一言僕にこうつぶやいたのでした。
《貴方には今いちばん会いたい人がいますか?》その質問に僕は、直ぐにいますと答えたのでした。
You will surely meet someone you want to meet. It may be 10 or 20 years from now.(きっと会いたい人に会えますよ。ただ10年や20年かかるかも知れないけれどね)
彼女はそれだけ言うと、階段を降りながら、少しだけ振り返って「約束」と言ったのでした。そしてニュージャージー行きのバスに乗り、去って行きました。
その時彼女がなぜそう言ったのか知れないけれど、ずっと後で分かったことですが、この「約束」と彼女が発した言葉は日本語も韓国語も殆ど同じだということでした。だからその言葉をわざと彼女も使い、そして僕もその言葉が好きになりました。約束された未来を、僕はそれから信じることが出来るようになったのです。
普通ならそんな場面では寂しい思いを我慢しなきゃいけないところだけれど、その時は違った。何だか爽やかで、自分に自信が持てそうな、心地良い気分になったのでした。つまり僕はさっきあなたに言ったように、傷心の気持ちを抱いてこの地にやって来たのでした。だから、その言葉によってある種鬱屈した状態から抜け出したような、そんな気になったとしても不思議じゃないですよねぇ。
三十五はよく口癖のように言っていた言葉があります。それは「思い出作り」という言葉でした。それで当時二人でいろんな所に行き、思い出を作りました。ただこの言葉は、心が浮き浮きする状態である時には良い響きがありますが、仲の良い二人がいたとして、もし彼氏か誰かから「思い出作りをしようね」と言われた時に、どう反応するでしょうか?女友達は別として自分とのことを「思い出」として片付けちゃうんじゃないかしら?
そう穿った考えを女性が抱いたとしても僕は間違っていないと思う。実は僕もそうだったから。
「良い年をして、何それ」とは言わないでね。年は関係ないですから。ただ僕は今思い返してみると、彼女が言ったその「思い出づくり」という考え方は実は正しかったと思うように次第になっていったのです。それには何年も必要ではありましたけれど。
人は、いずれ死ぬ運命にあるのであれば、今何か二人で残しておくことをしなければいけない。実際に数えきれないほどの悲劇や悲惨な事故や事件に巻き込まれて若くして死んでしまう人もいる分けだし、思い出作りをしようとしても、儚いくらい一瞬で命を落としてしまうことだってあり得る分けだしね。あなたはそう思いませんか?
だからあなたのそばに大切な人がいるのなら、今のうちだから一緒に思い出作りをして上げて下さいね。身近なお母さんやお姉さんでもいいですし、共に楽しいことをするんですよ。だってお金があったとしても、人生は時間に限りがあるのだし、例え時間が余り余ったとしてもお金がなかったりしますからね。それに社会人になったら中々思うように留学したり、海外旅行したり出来ないはずだし、上司から許可がすんなりもらえなかったり、家族に反対されたり、ゆっくり自分の目的を達成しようものなら会社を辞めなきゃいけなくなったりもするんですよ。それを嫌というなら、ずっと我慢して、気付いたら僕みたいに知らない間に年を取っていて、責任あるポストにいて融通が効かなくなっているんです。よく言うものですよね、若いうちだよ、色々自分の好きな事が出来るのもって。
それであなたは聞きたいんですね。僕が誰か会いたい人と出会ったか、ということを。
いやまだなんです、残念ながら。でも信じています、今は。必ず三十五と会えるということを。理由は分からないけれど、奇跡的なこともあるんですよ、世の中には。だってあなたがこの世にいることですら、実際奇跡的じゃないですか?もし僕にその奇跡が起こったなら、真っ先にあなたに次の手紙で知らせますよ。
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