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教育界の異端児 やまびこ会(全国教育交流会)代表 中野敏治さん

先生との出会いで子どもの人生が変わり、世の中が変わる。ご自身の経験を通して型にはまらない教育をしてきている 中野敏治さんにお話を伺いました。

中野敏治さんプロフィール
出身地:神奈川県
活動地域:全国
経歴:元公立中学校長、やまびこ会(全国教育交流会)代表、YPC(やまびこ会ペンクラブ誌)事務局、日本教育ペンクラブ員、あしがら学び塾・あしがら教師塾 塾長、令和の寺子屋教育塾主宰 あしがら己書道場師範 等
NHKラジオ深夜便出演、あこがれ先生プロジェクト登壇、読売新聞教育相談員等
全国各地で講演活動中、教育関係本を複数執筆、大学にて教職課程受講学生に講義等の活動もおこなっている。
また、教育実践は
 「祈りの詩人 坂村真民の風光 自分の花を咲かせよう」(PHP研究所)
 「孤独になる前に読んでおきたい10の物語」(講談社)
 「主題のある人生」(PHP研究所)等にて紹介される。
主な著書は「一瞬で子どもの心をつかむ15人の教室!」(ごま書房新社)、
「ココロの架け橋」(ごま書房新社)2冊ともアマゾン部門別1位となる。
現在の職業および活動:講演活動
座右の銘:「人生二度なし」「今、この時」

皆が幸せになって欲しい

記者中野敏治さんはどのような夢やビジョンをお持ちですか?

中野さん(以下 中野、敬称略):大きな話になるけれど、世界中の皆が幸せになることが益々必要と感じています。世界中で自分だけが幸せで、あとの人が不幸だということはイメージできないですよね。だから皆が幸せな世の中になるのがいいです。
争う心はいつの時代でも人間の中にあると思います。例えば「日本の歴史」の本を読んでいて、争いのない時代はないですよね。なので、争いは無くならないかもしれないけど、世界中で戦争がなくなり、みんなが幸せになって欲しいです。

目の前の人の心を感じられること

記者みんなが幸せになることを具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?

中野:幸せになるイメージというのは人それぞれ違うと思いますが、どんな状況であっても自分から見る目ではなくて相手から見る目を持ちたいです
こんなことを言ったら相手が嫌な顔をしたなって、そう思った時、その人はどうしたいのかなって意識することで、お互いに わかりあえる、理解しあえる関係になれると思います。
スーパーマーケットを思い出してください。入り口には色鮮やかな果物や野菜が並んでいると思います。そこから店内に入り、学校のグランドを回るように店内を回ると思います。教室ではいかがでしょうか?教室でも先生はグランドと同じ回り方を無意識のうちにしているのです。窓側から廊下側へと回っていきます。そのことを廊下側の一番前に座っている生徒から見たら、いつも自分が最後と思っているかもしれません。先生は無意識の行動なのですが、生徒の席に座ってみたらよくわかると思います。
反対側からモノを見る、つまり、目の前の人の心を感じられることが幸せな世界への第一歩なのではないでしょうか。
ネットやAIは自分の要望を何の表情もなく、知りたいことを問うと答えてくれます。例えばSiriへ声をかければ答えてくれて、私の要求を満たしてくれます。そこには答える方(siri)の感情を知る事もありません。感情のコントロールのトレーニングがなくなるのではないかと思います。子猫や子犬はじゃれて遊ぶことで、強く噛むと相手の表情から痛みがわかり、力の強さもわかるようになります。それが人間の中でなくなりつつあり心配です。現状のままでは危険だと思います。
相手が少しでも嫌な顔をしたらそれだけで、むかついたりします。人に対する過度な嫌がらせが心配です。ちょっとした相手のイライラを取り除くこと、そのちょっとしたところで、人の心の荒みは取れていきます。

校長をしている時、お客さんが学校のトイレに入りました。トイレに入る時に、来客用のスリッパからトイレ用のスリッパへ履き替えるのですが、お客さんがトイレから出ようとしたら、来客用のスリッパの向きが履きやすいように変えられていたのです。そのことに、お客さんがびっくり、感動したと校長室に飛び込んできたのです。職員が向きを変えていたんですね。このように、相手の立場になってちょっとした気遣いが大事です。周りの人たちを主に考えることが必要ですね。
これをルールとしてやってしまうとおかしくなります。できる人がそっと行っていくことが良いと思います。

記者:日本人は元々周りに気を遣う人が多いですね。

中野:そうですね。日本人は災害が起きるたびに相手を思う気持ちが強くなりますね。
阪神淡路大震災があり、その後東日本大震災がありました。阪神淡路震災を経験した人が、東日本大震災での計画停電を知り、私の自宅に懐中電灯やお水を送ってくれました。そのあと熊本地震が起きた時、私は熊本で被災した方々に段ボール何箱もの野菜ジュースを送りました。被災した人に聞くと、便通が良くない人が多くなってきてるから、野菜ジュースが欲しいと教えてくれたのです。
日本人は災害が起きるたびにつながりを強く強くしていきます。そう信じています。それは日本国内だけではなく、海外との国境を越えたつながりもあります。
なぜ世界は言葉の違いがあるのだろうと思います。そこに、神様は何か意図があったのだろうかと。世界が全部共通語であったら、本当にいいのになと思います。

記者:何か具体的な計画はされていますか。


中野:具体的には、今フリースクールを開設することを計画しています
学校へ行かない子たちは凄いエネルギーを持っています。その子たちに色々な刺激を与えたいのです。
人は元々学びたいと思っています。強制されるから、嫌だと思うだけですね。
フリースクールに講師として呼ぼうとしている人たちは色々な分野で活躍された方々で、そのフリースクールでは 心を癒すとかではなく、 元気な不登校を呼んで、いきなりトップギアでやろうと思っています。 将来的には全国につくっていきたいです。
そこに通う生徒が1人でも2人でも、学校ではやれないこと、自らやりたいことをできるようにしてあげたいと思います。

記者:元気な不登校、いいですね。

中野:最近は不登校の子どもが本当に多いですね。 私立だと学校を選べるけど、公立は住んでいる学区内の学校へ行くしかないのです。 子どもたちは 大人以上に発想力があるはずなので、それを活かす教育をしたいです。

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伝えないと何も変わらない

記者中野さんは現在どのような活動指針を持って、どのような(基本)活動をしていますか?

中野:講演活動と執筆が多いですね。全国教育交流会(やまびこ会)という会で 全国の先生とつながって教育現場から発信するという活動もしています。 年に4回季刊誌を出しています。今年度は北海度、滋賀、名古屋、三重、京都などで講演会をしてきました。
執筆は様々な分野で書いています。若い管理職の人や先生方へ向けて原稿を書いたり、塾関係の雑誌でも執筆したりもしています。また子どもたちの素敵な様子も毎月通信として発信しています。

「中野さんに書いてもらいたい」「中野さんに話して欲しい」と言ってくれることは嬉しいですね。それも、今までご縁を頂いた方々のおかげです。
今年も大学から講義の話がきていて、講義を聞いてくれる学生さんたちに、どれだけ心に残る話ができるかを考えています。昨年の講義では大学生は真剣に話を聞いてくれて、私の話で涙するんですよね。
これからの日本を背負っていく人(学生)に、何を残せるか、自分が育った環境と今の人(学生)の環境は違うと思うけれど、それでも残せるものがあると思うから、それを伝えたいです。伝えなければなにも変わりません。 一滴の水を落とすだけでも波紋が起きるように、何かを起こさなければ何も起きません。

記者その夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?そこにはどのような発見や出会いがあったのですか?

中野:定年退職前に、頭に6~8㎝の腫瘍がみつかって開頭手術をしました。手術しなければ命は10年もたないと言われました。その時に初めて命には限りがあることを実感しました。「命には限界があるよ」と言葉で言っているのと、身をもって体感したのとでは全く違います。フリースクールの話が来た時に、「できることを今やらないと」と強く思いました。年を取っていくし、 来年やろうとか5年先にやろうなどとは待ってはいられません。
自分の命がなくなる時に「あれをやっておけば良かった」という事を一つでも減らしておきたいと思っています。「あれと、あれと、あれはやったよな」って思いたいです。 やりきった!と思って死ねればいいですね。でも私はいろんなことをやりたい人間だから、それは難しいかもしれませんけど。
誰でも命がなくなる時がきます。次来る人の為に、今、何ができるかを考えています。

子どもの人生を変えることは世の中を変える事

記者その発見や出会いの背景には、何があったのですか?

中野:教師になろうと思ったのは理想とする先生との出会いがあったからです。その人は数学の先生だったけれど、私はその先生から数学を習ったことはないんですね。なぜか体育を教えてもらっていました。その先生は真剣に怒るし、真剣に関わってくれました。中学2、3年頃にはその先生のような教師になると決めていましたね。もう一回生まれ変わっても教師になると思います。
教師は偶然出会った子どもたちと一生付き合う関係性になるんです。すごいドラマチックで不思議な仕事です。 教育委員会の指導主事とか課長もやっていたから、 どこかで気を遣ってストップかけちゃう所もありましたが、先生という職業をもっと楽しめばいいと思います。 いろんなアイディアを出して、子どもたちに伝えていけばいいと思います。

実は私は小学生の時に不登校の時期もありました。学校が大嫌いで、先生も嫌いで、その理由は明確ではないけれど、例えば、給食に嫌いなものが出て食べられないでいると昼休みまで、教室に残らされていたのです。みんなはグラウンドで遊んでいるのに。さらに、「三角食べしなさいよ」とか 言われると、「そんなの食べるの自由だよ」って思ったし、とてもつまらなかったです。
不登校になった当時は、朝、本当に具合悪くなるんです。 けれど親が学校へ「休みます」と連絡すると元気になっていました。学校へ行かないのには 原因と結果があると思うのですが、 学校へ行けない理由がわからないのが不登校なのです。 突き詰めようとすると余計に疲れていきました。
小学校の5年生から担任が変わり、勉強が楽しくなったのです。 理科と数学が楽しくて、それによって、私の人生も変わりました。担任の影響力が大きかったのです。このように、子どもの人生を変えるってことは世の中を変えることになっていくと思います。

自分がやりたいことをやってみる

記者:初めて先生になったときイメージとのギャップは感じましたか。

中野:あまり感じませんでした。自分がやりたい放題やっていました。例えば校長になって、卒業式でシャボン玉を飛ばしたいと思い、提案をしたけれど最初は反対されました。式場で飛ばすと、保護者の方の服や会場が汚れるからと。けれどこのシャボン玉は絶対に成功させたかったのです。話をしていくうちに、卒業生が校庭へ出る時に、2階の教室から外に向けてシャボン玉を飛ばすのはどうかという提案が職員からでてきたのです。卒業式当日は青空にたくさんのシャボン玉が飛び、そのシャボン玉を見上げながら卒業生が正門から出て行ったのです。
また私自身は小学生、中学生の頃、朝会が嫌いだったんです。その私が朝会で話すことになったのですから。面白い朝会はないかと思い、やってみたことがあります。朝会が始まり、私が少し話した後、体育館がいきなり真っ暗になって、舞台の真ん中にスポットライトが当たり、地域の方が一人ライトに浮き出たのです。そしてその方が本を読み出すのです。生徒たちは皆びっくりしていました。それを私は職員に相談なしにやってしまったのですね。なので、電気を消す人として電気屋さんを呼んでやってもらいました。
たぶん今の若い人は怒られたらどうしようとか、叱られたらどうしようとか思って行動できないところもあるかと思います。けれど、私なんて「怒られそうだから言わないでやっちゃおう」といったように、自分の行動をストップする事をやりませんでした。「これをやったら子どもたちが喜んでくれるかな」と思ってやると、子どもたちはそれを感じてくれるし、子どもたちが、「先生たちもいろいろ考えてくれているんだな」と思うのかなと。 面白半分の思いつきだけど、子どもたちに喜んでもらいたい思いが根底にあり、それを実現させてきました。子どもたちの安全は必要だけど、怖がりすぎたら何もできないのです。

教師という職業が、「いかに子どもに影響を与える仕事なのか」ということを凄く感じます。子どもたちは「大人って信頼できるんだ」と教員から学ぶことがあるのです。
そう思うと、人と人が出会ったときには必ずなんらかの影響を与え合います。「今日あの人に会えてよかったな」と皆がなれるといいですね 。すると翌日も気持ちよく過ごせると思います。

記者:中野さん、ご自身を通しての教育に対する熱い思い、そして出会いの大切さを感じました。記事には入りきらなかった、「当たり前」ではないエピソードも聞けて、出会いによって起こる心の豊かさを育てていくことも教育の一つだと感じました。本日はありがとうございました。

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中野さんの情報に関してはこちら
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【編集後記】
今回インタビュー記事を担当した善家、那倉です。
学校時代のエピソードや、学校を退職された後のことなど、とても楽しくもあり、また涙も感じるようなお話を沢山聞かせていただき、学校教育のイメージが変わる時間となりました。中野さんの熱い思いをもっと聞きたくなりました。今後の更なるご活躍を楽しみにしています。

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この記事はリライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。



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