目標達成!スウェーデン留学滞在記(2013-2014)
この記事では、前半はスウェーデンでの生活、後半は学業に焦点を当てて書きました。スウェーデンから色々な国へ旅行していますが、旅行記はまたすごく長くなってしまうので、別の記事で書きます。
2011年にアメリカ留学をしてる最中から、大学の交換留学制度を使ってスウェーデンに行くことを決めていました。さすがに金銭的な余裕はなく、その年に申し込むのを見送りました。
日本に帰ってからは、大学で教職課程の授業をメインに受け、TOEFLの勉強をし、7月末に受験しました。受験したその日に"I TOOK TOEFL EXAM! REALLY HAVE A CONFIDENCE TO GRAB A BETTER SCORE COMPARED BEFORE! SWEDEN IS NOW CLOSE TO ME!! HOW EXCITING XD"とフェイスブックに書いてました。その宣言通り、ギリギリでしたが必要な点数を取ることができ(でも前回より結構あがってたんです!)、幸い他に志望者もいなく、1位通過という形で2013年の夏から1年間、スウェーデンへ行くことが決定しました。
それからの1年間はひたすらバイトをし、教職課程の授業を受けながら、秋にはESS(英語のディスカッション&スピーチ部)でスピーチセクションのチーフとして大会に出場させられたりしつつ、教育実習にも行き、と、なにかと忙しい日々を過ごしていたので、あっという間でしたね。大学にある学習ソフト「ロゼッタストーン」でスウェーデン語を少し勉強していました。
そして留学するにあたって色々な書類を準備しました。スウェーデン、大学、日本学生支援機構に対して、本当にたくさんの書類を出さないといけないんですね。そしてかしこまった書類を書くというのが、なぜだかすごく苦手で、何回も国際交流課に呼び出され間違いを指摘されました。笑 それだけならまだよかったのですが、なんとスウェーデンからも書類不足のお達しが届きました…。おかげで他の留学生よりも1ヶ月ほど遅れての入国となってしまいました。
ストックホルムの街並み
だけど遅れて入国した利点もありました。留学すると、日本人会のようなものがあるんです。アメリカにもあったし、今回の留学先であるスウェーデン・ヴェクショー市のリンネ大学にもありました。それがスウェーデンではほぼ強制参加だったんですね。わたしとしてはわざわざスウェーデンに来たのに、日本人と頻繁に顔をあわせて長時間のミーティングをしたくなかったし、文化を伝えるためのジャパニーズ・フェスティバル的なものの開催にも全然興味がなかったので(アメリカですでにやったこともあり)、ずーっと有耶無耶にして、ついに参加しませんでした。それなのに同じフラット(学生マンション)の同じフロアに住んでいた唯一の日本人友達・サオリは、非協力的な態度に対しなにも言わず、むしろ色々教えてくれたりとよくしてくれました。本当にありがたいです。
フラットメイトと知り合ってから最初のお出かけとなったひまわり畑
フラットには70人くらいの留学生が住んでいて、8割くらいはヨーロッパ人でした。わたしが住むフロアには全部で16人くらいいて、アジア人はわたしとサオリと韓国人の女の子の3人だけ。全体でみるとドイツ人とフランス人とギリシャ人が多くて、次にベルギー人、オランダ人、オーストリア人、そしてマイナーどころだとアメリカ人、オーストラリア人、モルドバ人がいました。
アメリカ留学と比べて一番いいなと感じたのが、この国際色豊かなところでした。これだけいろんな国の人が集まるとお国柄ってあるなぁと感じたし、国の代表のようでもありました。ドイツ人の友だちは、偶然かもしれないけどみんな真面目だし物静か、ベルギー人やオランダ人はドイツ人たちよりも少し陽気、オーストラリア人はなかなかに陽気、カリフォルニア出身のアメリカ人はオラフそのものって言えるくらいに激しく陽気でした。
ムーンライトパーティーにて、ドイツ人のメリッサとオーストラリア人のルース
でもどこの国から来てようと、週末は毎週どこかでパーティー!わたしが在籍していたスウェーデンの大学には、敷地内にダンスパブがあり、国営の酒店で買ったビールやワインやウォッカを飲んで、そこへ行きます。市内にもバーがありますが高いのでめったに行かなかったです。
いつもこのソファで数人で映画かドキュメンタリーを観る
夜は、お酒を飲んでいることも多かったけど、同じくらい、一緒に映画を観ることも多かったです。わたしもこのソファでたくさんの映画を観ました。
スウェーデンに限らず田舎のほうの町って、やることがないんですよね。お酒を飲むか、映画を観るか、ランニングに行くか、パーティーを開くかのどれかでした。
フラットの周りには4つの湖があった
ランニングをするときは、湖のまわりを走っていました。学校が終わって、木々に囲まれた湖へ向かうんです。走っているうちに夕日がどんどん落ちていって、薄暗い空と夕日のオレンジ色と木々の緑がグラデーションを作りながら水面に反射して、すごくきれいだったのをよく覚えています。景色の良さのおかげか、秋頃は1日10キロくらい走ってました。
スウェーデン名物・ミートボールを食べるパーティー
鍋いっぱいのマッシュポテトとソース
ごはんを食べるためのパーティーもたくさん開きました。どの国の人も1回は自国の料理パーティーを開いたような気がしまうす。最初はスウェーデン料理から、ミートボールとマッシュポテト。2週間に1回くらいのペースで、こういうふうに大きなテーブルをみんなで囲んで食べていたかもしれないです。家族みたいですよね。
メキシカン料理の日(カリフォルニア出身のベスの希望により)
これはどこ料理だろう?思い出せない。
手巻き寿司パーティーの日
日本から調味料を送ってもらって、酢飯もちゃんと作りました。このときはなぜかあんこと白玉粉も送られてきていて、ぜんざいも出しました。不評でしたが。笑
フランス人のグッティエがチキンを捌いてくれた日
ウサギや鶏を捌いたことがあるようで(モルデバ出身のコンスタンティンは当たり前と言っていたかも)、味付けも、身を捌くのも、食べるのも手慣れていました。鶏肉の首のあたりから、みじん切りにした野菜や香草をたくさん詰めて、味付けしたジャガイモの輪切りと一緒にオーブンで焼いていました。すごくおいしいんです。
みんなが集まると、くだらない言い合いもたくさんありました。オーストラリア英語VSアメリカ英語とか、ドイツのドイツ語VSオーストリアのドイツ語とか、フランス人がいかにフランス語ばかり喋っているだとか。笑 モルドバ出身のコンスタンティンが定期的に宗教の話を持ち出すし、オーストリア人のマイケルと日本の捕鯨について論争を繰り広げたりもしました。
でも言い合いをしても、数時間後にはコロっとしてて、なんともないんです。思ったことを率直に言うのがふつうだから、口論になってもあまり気にならないみたいです。ディスカッションのときは、ドイツ人や日本人は黙る傾向にありました。お国柄かな?
みんなが持ってる酒のボトルと缶を集めたツリー。冬休み中にゼロになった。
冬休みは2週間くらいありました。
授業についてなにも書いてないんですが、現地の高校で教育実習をしているスウェーデン人の生徒にくっついて授業の様子を見学したり、スウェーデン語の鬼の詰め込み授業を受けたり、何度も同じグスタフが登場するスウェーデンの歴史について学んだりしていましたよ!
バルガタン7階メンバー、ほぼ全員集合!
スウェーデンは学校が9月始まりなので、12月で前期が終了します。ヨーロッパから来ている学生の多くは前期のみ留学で、クリスマス前にはお別れしなければいけませんでした。上の写真は前期メンバー最後のパーティーです。(韓国人の女の子だけは常に不在だったので、「ほぼ」全員集合になってます)この日は最後の特別ディナーとしてチキンを食べました。
クッキーハウス組み立てる女性陣と、からかう男性陣
クリスマスは教会に行き、スウェーデン流のミサに参加しました。そしてわたしが大英博物館で買ってきた恐竜のクッキー型とジンジャークッキーセットで、クッキーハウスを作ったりもしました。
歪んでるクッキーで組み立てるのは大変だけどご満悦
お酒を飲みながら作っていたので、手元がぶれにぶれて、すぐに大破損したりして、それが隕石がぶつかったとか言って、そうしたら、お前の大好きな恐竜は絶滅だ!みたいに言われたりして、笑いの耐えないクリスマスでした。
屋上から、夜明けのベクショー市
年末年始はボーリング場に行ったりしましたが、相変わらず飲んで映画を観てばかりでした。笑 昼の3時には暗くなり始めるし、他にやることがないからしょうがないですね!
窓からの景色
この年、日本は大豪雪で話題になっていましたが、スウェーデンはあまり雪が降りませんでした。雪が降ると東京はグシャグシャで悲惨ですが、スウェーデンだと夜中のうちに除雪車が来て、そして小石を撒いていってくれたので、歩きづらさがなかったです。アラスカのときは除雪はされてても小石がなくて、何回も転んでましたから、小石の重要性を実感しました。
夏至祭
いきなり6月の写真になってしましました。1月から5月のあいだも濃厚な日々を過ごしてるんですが、旅行の思い出のほうが多いんです。7階メンバーは半分以上が帰国してしまって、前ほど全体で集まってパーティーをすることがなくなってしまったということもあるのかもしれません。
カリフォルニアから来たベスと、オーストリアのマイケルと、ベルギーのスティーブンと4人で映画を観たり飲むんだりすることが多かったです。
後期の授業では、教育実習がついに始まりました。3ヶ月間、近所の小学校に行きました。最初はずっと見学をしていて、途中から英語の課題のヘルパーになって、そして最後は絵の授業をやってきました!浮世絵や漫画をスライドで紹介して、黒いペンとシンプルな線で絵を描こう!という授業です。だいぶ難しそうにしていました。
給食を一緒に食べたりして(無料!ビュッフェ!)濃密な時間を一緒に過ごし、子どもたちともすごく仲良くなれました。マインクラフトの存在はスウェーデンの子どもたちに教えてもらいました。
総合の時間では地元のテレビ局と連携していて、2~3人のグループごとにニュースを撮るという授業をしていました。本当にテレビ局に行って撮影するんですが、テーマはなんでもいいんです。男の子グループの多くはマインクラフトに関するものでした。日本だったら真面目に環境問題とかをやらされそうだけど(それはそれでいいものですが)、選択肢を自分で作るというのも学びだなぁと関心しました。
グループで書いたエッセイのスクリーンショット
大学では、英語プレゼンテーションの授業に参加しました。4人グループになって、1つのものを国間で比較して発表するというお題でした。わたしたちのグループにはスウェーデン人が2人、ロシア人が1人、そして日本人のわたしがいたので、車を比べることになりました。わたしはトヨタを調べる係。それぞれが調べたものを各自論文にまとめて、最終的に1つの論文としてデータを統合するのですが、スウェーデン人たちが英文ライティングができなさすぎて、文法がハチャメチャだったんです。結局わたしが修正しながらまとめました。そしてプレゼンテーションのスライドも、ほとんどわたしが担当したような記憶があります。
教育学部の合宿イベントで仲良くなったカリン
お誘いしてくれたのが誰だったか、なぜわたしが参加したのか、きっかけになったものを忘れてしまいましたが(多分先生かな?)、「Erasmus Intensive Program」という教育学部の生徒の合宿に参加しました。大学の授業が終わり、日本に帰る直前ですね。カルマル市で行われた10泊にわたる泊まりがけの合宿です。なんと!合宿所での滞在費と食費は無料でした。(写真はプログラム終わりにディナーに行ったときのものです。)さすがスウェーデンです。
プログラムの総仕上げに書いたグループ・エッセイ
プログラムでは、それぞれの国の生徒が授業についてのワークショップを行い(わたしは1人飛び入り参加なのでしてません!)、最終的には各国の教育事情についてのプレゼンテーションを行いました。教育実習の長さが教育制度の良さと比例している点がおもしろかったです。日本、ギリシャなどは数週間で、古いタイプの教育制度なんですが、一方でスウェーデンやデンマーク、オーストリアは半年から1年、2年も教育実習を行えるらしいです。そして制度は先進的です。
ここでのグループはイギリス人の女の子2人と組んでいました。かなり訛りが強く、そして疑問文でもイントネーションが上がらないので、ぼーっとしてると疑問詞を聞き逃してしまい、質問されてるって気づかないことが多々ありました。笑
無料で参加させてもらったとは思えないくらい、教育の勉強、英語の勉強が充実していて、友だちの輪がもっと広がりました。メッセージのやり取りはあまりしないけど、今でもフェイスブックやインスタグラムでは繋がっていて、お互いの近況を確認しています。
こうしてわたしのスウェーデンでの1年は終わりました。このあと日本に帰って、スウェーデンの小学校とカルマルのプログラムで学んだことを活かして、教育についての卒論に取り掛かりました。この卒論のために、インターナショナルな友だちにアンケート協力もしていただきました。
今、働いていて、このスウェーデンでの経験が活かせているのかは、よく分かりません。アクティブラーニングを取り入れようと思っても、学校方針の制約が強いなと1年目に強く感じ、少し挫折しました。でも、6年目を迎える今は、良い意味で態度がでかくなったというか笑、自分の英語教育の方針に意義があると信じて、ちょっとした摩擦や反発じゃめげません!これからも現場でたくさん学び吸収しながら、ずっと英語の先生を続けていきます😉
ご興味を持っていただき、どうもありがとうございます。いただいたご支援はすべて、子どもたちのための学童・教育事業にあてさせていただきます。