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新年、あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

お元気でいらっしゃいますか?

私は12月にちょっと東京に、出稼ぎに帰っていました。

ほとんど夜は出歩かず、大人しく仕事していましたが、友人とお茶したり、もともと住んでいた大塚の街には少し寄ったりして、変わらずな人や風景に、ほっとしたり、少し複雑な気持ちにもなったり。

たとえば、別れたばかりの男と、そっと遠くから再会したような気持ち?「あぁ、あたしがいなくても、それぞれに変わらずにやってるんだ。もうお互いに、違う道を歩きだしているんだ、、やはり潮時だったんだ。」みたいな?ちがうか!?笑 

 昨年に、上京してから22年間も住んだ東京の町から、沖縄の中部の海辺の町に引っ越ししました。

東京の最後の9年間は豊島区の大塚という下町の、駅前の繁華街の中に住んでいたので、引っ越してからしばらくは、沖縄の自然、美しい浜や漁港がすぐそばにある環境が、480度くらい転換したように感じて、撮影の旅先にいる気分でした。最近になってようやく、少し日常にも慣れて、生活も落ち着いてきました。

なぜ引っ越したか?と、まえにも書きましたが、一言でいうと、普段の生活から、もっと自然がそのまま自分の血肉となるような暮らしがしてみたかったから。

また高速で動いている都市部の中にいて、経済的なことや精神的というか感情的、肉体的なことも、いずれ自分は疲弊してくるだろうな、と、なんとなく予感していたから。ぜんぶ写真のことも含めてですが。

そんなことを考えているうちに、コロナ禍の世になったので、今しかないな!! ということでした。

でもね、東京で、カメラを持って、魑魅魍魎が闊歩する町に、独りそっと歩き出していく時と、いま沖縄でも、見知らぬ街に、海に、森に入り込んでいく時のドキドキとした気持ちは、あまり変わらないんですよね。

身体はってアンテナはって、目立たないように、だけど引き寄せるように、ゆっくりと中に入り込んでいくような気持ち。

それはどこにいても変わらないかも。

沖縄の得体のしれない南国の生命エネルギーと、東京の下町のカオスのエネルギーも似ているし。

あと、人もそう。みんな笑っているけれど、一見、元気そうにみえるけど、それぞれの切なさや葛藤を抱えて生きている。それは沖縄も東京も信州も、どこも同じで。それもゆっくりと、感じて撮るしかないのかなぁ、と思っています。

どちらにせよ、これからも個の立ち位置から、世界と切り結んでいくしかない。

これからも、変わらず、ただカメラを抱えて生きていこう。


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