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【エッセイ】向田邦子と私

 11月3日、文化の日、地元の図書館で年に3回依頼されている『おとなの朗読会』の本番であった。
 5年前のその日がこの会の第1回だったようで、5年に及ぶ我々が朗読してきた書籍の展示や、過去のプログラム、過去の写真などが壁いっぱいに展示されていた。私が朗読した作品を見てみると、「困ったときの向田邦子」というか、向田エッセイがとても多かった。そしてその当日も、私は向田邦子の『胸毛』を朗読したのであった。

 向田邦子の魅力は1口には語れない。昭和と言う時代の家族の描写、人間に対する観察力と愛情、日常に潜むおかしみ等、この『おとなの朗読会』にお越し下さる年齢層の方々には共感していただける部分が多いと思っている。何より私自身が向田エッセイに心酔する1人である。
 没後40年の年にはコロナ禍にもかかわらず、東京の青山スパイラルで展覧会が行われ多くの人々が足を運んだ。令和の時代に昭和の向田邦子とその作品は、変わらず愛されていたのだった。
 人気の秘密は向田本人の魅力やその美意識によるところも大きい。
 ファッションセンスや食生活、インテリア、恋人への献身。もはや文芸ではないところに女性たちは惹かれていた。
 20代の頃は映画雑誌に関わっていたと言うから、当時の欧米女優のファッションや生活スタイルを熟知していたのであろう。日本で手に入らないものなら自分で作ってしまうなど工夫していた。特にそのファッションは当時も人目を引いたそうである。それに加え、恋人が写真家であったから大変に美しい、魅力的な角度や視線の写真がたくさん残されているのである。
 みんな大好き向田邦子、みんなの憧れ向田邦子。しかし向田邦子になりたいかと言われたらどうだろう。私は仮に、神様に許されても、申し訳ないがその権利は返上するつもりである。
 親兄弟の面倒をとことん見て、収入のない恋人を養い、強者の先輩たちを手のひらで転がしつつひたすら仕事をし続ける。いくら後輩に(先輩や親にまで)憧れられても嫌ではないか。
 思えば人というのは、どこかに僅かの哀しみを纏った人に憧れるのではないだろうか。容姿、才能、財力、愛情に完璧に恵まれた人物を人は憧れたりはしない。大変な刻苦勉励、僅かな哀しみを湛えた人に人は憧れの情を抱くのだ。
 心底、向田邦子にはなりたくない。来世も。

しかしどうしてだろう。
私は本当に、この人が好きである。

●随筆同人誌【蕗】掲載。令和6年1月1日発行

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