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吉原街歩き~花街とダークツーリズム

吉原遊郭、といえば、鬼滅の刃。大正時代初期の舞台設定かと思いますが、華やかな夜の街や花魁道中の一方で、貧富の差や階級の差が描かれていたりしました。今でも性風俗関連特殊営業の店が残っており、江戸時代から400年の歴史がある街です。

そんな吉原(東京都台東区)を、先日、ガイド頂きながら歩いてきました。ガイドして下さったのは、吉原にあるカストリ書房の渡辺さんです。
http://kastoribookstore.blogspot.com/

吉原神社

かつて、遊郭と呼ばれる場所は日本全国に500か所(!)もあって、吉原はその頂点でした。遊郭には当然負の側面があります。一方で、そこでは人の暮らしがあり、文化がありました。渡辺さんはその消えゆく記憶をなんとか残せないかと奮闘していらっしゃいます。

負の遺産を残し、何があったのかを体験するためにその場所に訪れるのが「ダークツーリズム」です。アウシュビッツ、広島の原爆ドーム、ニューヨークのグラウンドゼロ…不幸で悲しい歴史は全世界に残っています(ダークツーリズムについては、金沢大学の井出明先生のご著書が沢山あります)。向き合いたくないと思う一方で、忘れてはならないことで、人類がその歴史から学ぶためには、記憶や記録、現存する証拠を保存して、現代の人々が意味を考え、後世の人々に伝えていかなければなりません。

街歩きツアーでは、遊郭の入り口である土手通りの見返り柳から、遊郭(だった場所)に入っていきます。かつて吉原大門や引手茶屋があった場所を歩き、お歯黒どぶがあった場所、吉原神社、吉原弁財天などで様々な説明を伺いました。今でも遊郭の内側には柳が植えられ、遊郭をでると街路樹が桜になっていること、日本初であろう働く女性の組合があったこと、吉原の人達のための病院(現・台東病院)が整備されていたおかげで性病で苦しむ人が少なかったことなど、知らない事もたくさんありました。

吉原弁財天(街の人々によって保存されています)
吉原病院(現・台東病院)

花魁が「~ありんす」って言葉をよくドラマで使っていますが、この花魁言葉(廓(くるわ)言葉)が生まれた理由は、全国の貧しい家庭から買われてくる子供たちの方言がバラバラであるために、いわゆる遊郭の中の共通語を生み出した、ということだそう。また、お客様から頂いた帯を前で結んで花魁道中をするのは、こんな素晴らしい帯を頂いたということを皆に見せ、客のプライドや優越感を満たしてあげる効果があったらしいです。なるほどー。

すぐ近くで育ってきたわけですが、昭和の時代、吉原や山谷(さんや・簡易宿泊所が並ぶ労働者の街、あしたのジョーの舞台)は、足を踏み入れてはいけない場所という意識が強かったのが事実です。でも、そこにある歴史(事実)や文化を無かったことにしてはいけないのだ、と痛感しました。その意味でもダークツーリズムは意義のあることで、そのためには色々なものを残していかなければいけないと思います。

渡辺さんのカストリ書房に行くと、資料が沢山あります。遊郭に関する文献を復刻して出版されていたりもします。鬼滅の刃で遊郭の歴史に興味を持った方は、是非訪れみるとよいのではと思います。

吉原弁財天


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