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【Story of Life 私の人生】 第22話:習い事の遍歴

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第21話:解放 〜 新たなスタート をお送りしました。
今日は、小学生時代の習い事についてのお話をしようと思います。

小学生時代、私はいくつかの習い事をしていました。
最初はピアノで、一年生の時から四年生まで。
きっかけは、先生の一番上の娘さんがピアノを習っていたのですが、真ん中の娘も習わせたいけど、初心者だからお姉ちゃんとは同じクラスに通えない。
だったら、私と一緒にスタートしたら、二人一緒に同じクラスに一緒に通わせたらどうかということで、先生ご夫妻から提案されたのでした。

当時の我が家は、先生ご夫婦に対してとりあえず「言いなり」状態だったし、両親も「父方の兄弟には、プロの音楽家が2人もいるのだから、まあいいか」という感じだったと思います。
当然、私には選択権は無く…
結局、真ん中の娘さんと一緒に、週に一日ピアノ教室に通う事になりました。

レッスンは結構楽しかったし、そこそこ上達はしましたが、一つだけ問題が…
先生のお宅にはピアノがありましたが、私には使わせてくれなかったのです。
私は、紙製の鍵盤を机におき、それを叩いて練習するしかありませんでした。
実際に、本物のピアノの鍵盤を叩けるのは、レッスンの日だけ。
それでも、バイエルの赤本、青本、ハノン、ブルグミュラー、ツェルニー30番くらいまでは紙鍵盤でも辛うじて修了出来ましたが、ツェルニー40番で完全に限界を感じるようになりました。
その頃に、先生の家を出ることが決まった事もあり、ピアノ教室から卒業することになりました。

ピアノ教室には3年半少し通いましたが、その間に発表会を2回経験しています。
今、思い返してみると「実際の練習は殆ど出来なかったのに、よく出たよなー」という感じです。
あれから約半世紀。
音楽は、ジャンル問わず大好きなのですが、あれ以来ピアノに触る機会も殆どなく、今ではただの「聴き専」です。
弾けと言われても、絶対に弾けないと思います(笑)

その次に習い始めたのは、書道でした。
これは三年生から六年生まで。
同級生のお母さんが書道教室の先生だったということもあるのですが、私の字(硬筆)があまりにも酷かったことで、これは母からの「命令」で始めました。

父も母も、戦前の高等小学校しか出ていないし、戦中で大した授業も無かったため、字を書くのが大の苦手で。
だからでしょうか「せめて娘は、人並みの字が書けるようになって欲しい」という希望もあったと思います。
習い始めた当時、元々左利きの私にとっては、右手を使うという事に対して、まだまだ違和感がありました。
字を書くスピードは、それなりに速くはなったものの、書く文字は見るに堪えないくらい、惨憺たるものでした。
だったら「ペン字」の方が良かったのではないか?と、今になって思うのですが、両親は、仲人さんから届く、毛筆で達筆の手紙や葉書の礼状に憧れていたのかも知れません。
余談ですが、あまりにも達筆すぎて、何が書いてあるのか読めなかったけど(笑)

楷書の頃は、全く上手く書くことが出来ず、かなり辛かったです。
10級からスタートしましたが、他の子が1年くらいで取れる1級までに、丸2年掛かりました。
行書や草書は、グニャグニャしている事もあり、楷書に比べるとずーっと書きやすくて、割と得意(笑)でした。
お陰で、最終的には所属団体の検定で、最高位の五段まで取ることが出来ました。
そういえば、五段を取った時に、某新聞社主催の展覧会で入賞し、作品は全国を回り、賞状と記念品を貰ったことを思い出しました。
とはいえ、硬筆も毛筆もやっぱり苦手です。
筆ペンで記帳するのも嫌。
墨をするのは好きだけど、筆は持ちたくないです。
両親の期待していた「毛筆で手紙を書く」なんて、絶対に無理!
ボールペンなどの硬筆で、自筆で書くのも嫌です。
ワープロが発達している今、文字を書く事がかなり減っていますものね(笑)

最後に習い始めたのは、珠算(そろばん)でした。
これは四年生から六年生の途中まで。
やはり同級生のお母さんが珠算教室の先生だったこともあり、クラスの殆どの子が通っていました。
きっかけは、やはり右手を使う訓練の一環としてだったのですが、当時は算数の授業でそろばんがあった事も理由の一つでした。

元々算数が得意だった事もあり、数字に対する抵抗は全くなく、週3日毎回1時間の授業が楽しくて仕方なかったです。
3級から暗算と伝票算が入って来ましたが、元々左利きの私。
伝票を左手でめくるのは楽勝!
最終的には、2級まで取得しました。
1級合格まで続けたかったのに、これは親に辞めさせられてしまいました。
理由は、算数のテストで式を書かずに答えが出てしまうようになっちゃったこと。
暗算で答えが出ちゃうので、いちいち途中の式を書くのが面倒くさくなってしまった訳です。
算数のテストでカンニング疑惑が出てしまったため、母は「これ以上そろばんを続けたらまずい」と思ったようです。
まぁ、履歴書には記載していますが、今では電卓やエクセルを使う時代。
そろばんを使うことは、まず皆無ですね。
ただ、暗算や伝票めくりは、今でも役に立ってはいます(笑)

私が小学生だったのは、1970年4月から1976年3月まで。
その当時としては、割とメジャーな習い事をさせてもらったなと思います。
でも、全部途中でリタイアしたか、させられた状態で終わっていて。
一つでも良いから、一番上まで頑張ってやりとげたかったなと思う時もありますが、とはいえ、今からピアノ、書道、そろばんを再度やりたいのか?と言われれば、うーん…という感じですね。
でも、「三つ子の魂百まで」と言いますから、記憶から消え去ることはなく、今でもなんとなく感触を覚えています。
きっと、何かの役には立っているに違いないと思う、今日この頃です。

〜続く。

今日はここまでです。
次回は、第23話:五年生 〜 遠足と移動教室 Part 1 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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