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【Story of Life 私の人生】 第21話:解放 〜 新たなスタート

こんにちは、木原啓子です。

Story of Life 私の人生 
前回の記事は、 第20話:四年生 〜 初めてのプール をお送りしました。
今日は、我が家が、どうにか自由を手に入れた時のお話をしようと思います。

先生のお宅に住むようになってから、ほぼ4年の月日が経ちました。
ある意味、自由を奪われた4年もの月日。
先生のお宅に来客(子供達の誕生日会も含む)があれば、母は食事の準備から始まり、お客さんの接待、片付けまでする羽目になる。
なのに、我が家は間借り状態なので、友達はおろか親戚すら来てもらうことが出来ない状態。
笑いもない家族3人の時間。
お互いの不満とイライラが感じ取れる毎日。
両親も私も、先生一家から「見下されている状態」にひたすら我慢し、理不尽なことにも耐えて、これまで4年近く暮らして来ましたが、そろそろ我慢の限界に近づいていました。

あと少しで四年生の修了式という、3月のある日のこと。
事件が起こりました。
どうやら、先生の真ん中の娘が、私の自転車を無断で乗り回していたようです。
家の前の下り坂をブレーキもかけず、猛スピードで降りていた彼女。
何かのはずみでよろけたところに、走ってきた乗用車にぶつかるという交通事故が起きてしまいました。

母は家の中にいて先生の家の食事の準備中。
まさか学校から帰ってきた娘さんが、なんの断りもなく、勝手に私の自転車に乗っていたとは、全く知らない状態の母。
私も午後の授業があったから、まだ学校から帰ってくる前の話で、何も知らない。
幸い、事故を目撃していた近所の方が119番通報してくれ、母に連絡してくれたそうです。
母は救急車に乗り病院まで付いていき、警察の事情聴取にも立ち会いました。
幸いなことに、かすり傷で済み、絆創膏を貼ってもらって、すぐに帰宅して来ましたが、私の自転車は全損の状態で(泣)

先生ご夫妻が帰宅した途端に、母に対して罵倒が始まりました。
しかも娘は「ケイコちゃんから、無理矢理自転車に乗れって言われた」と、先生ご夫妻にありもしない「嘘の報告」をしたため、私にも火の粉が飛んできて、一緒に先生ご夫妻の口撃に会う羽目に…
母も私も、暫くは黙って話を聞いていたのですが、先生ご夫妻が「事故の補償」の話を持ち出してきたところで、突然母が「目撃者もいることだし、じゃあ出るところに出ましょうか!」とキレました!
子供の嘘のせいで、何故私と母が悪者になって、補償しなくてはいけないのか。
私の自転車は全損。被害を受けたのはこっちの方。自転車は弁償してくれるのかと。

母の事をずっと見下していた先生ご夫妻は、かなり驚いており、空いた口が塞がらず、流石に何も言えなくなってしまいました。
4年間も我慢に我慢を重ねた母は、完全に「臨界状態」だったのだと思います。
最後に「下の娘さんも、4月から1年生だから、もう私が面倒を見る必要はないでしょう。3月中に引越しします。今までお世話になりました!」と言い放ち、2人で2階に戻りました。

「引越し?」と晴天の霹靂状態の私。
母に「新しいお家決まっているの?」と聞くと、これから探すとのこと。
父が帰宅し、事の顛末を話して「じゃあ3月中に引越し出来る家を探そう」ということになりました。
十条に戻るという選択肢もありましたが、「また転校させるのは良くない」と両親が判断し、転校せずにすむ場所を探すことになりました。

翌日母は、仲の良いPTA仲間のお母さん達に、昨日の事件の経緯を話し、どこか直ぐに引越し出来そうな家は無いか、知り合いの不動産屋さんを教えてくれないかとお願いしたようです。
幸い、当時PTA会長をしていた地主さんのところで、小さい戸建ての家が空いていると教えていただき、紹介してもらえることになりました。
住所から言えば、別の小学校の学区なのですが、道1本違うだけだし、会長さんの家も同じ一角だから大丈夫だろうということで、父の休みの日の午後、学校が終わった後で3人でお部屋を見せてもらいに行きました。
場所は…
何と最初に練馬に来た時に降りた、あのバス停の裏の一角!
まさしく例の竹林のところでした。
竹林は全部伐採されて、その跡地がガソリンスタンドになっており、かなり印象が変わっていましたが(笑)

引越し先の家は、こんな感じの文化住宅でした

戸建ての小さな家。
6畳2部屋、お風呂なしの平屋。俗にいう「文化住宅」でした。
部屋の広さは、先生の家とほぼ一緒。
台所と、汲み取り式のトイレ。これは今までと一緒。
狭いけど、お庭もありました。
バス停までは徒歩1分程度なので、父の通勤時間は今までより15分短縮。
私の登校時間は、10分程度遠くはなるけれど、先生の家からは15分位離れるし、買い物などの生活圏が全く違うので、恐らくあの家族とは滅多に会うことはなくなる筈。
お風呂は、今まで通り、銭湯で問題なし!
ということで、即決状態でした。
早々に入居手続きをして、それから2週間バンバン荷造りをし、3学期が終わった翌日に引越しをしました。

小学生になってから2度目の引越し。
我が家はここから心機一転、再スタートを切りました。
前回の引越しは悲壮感たっぷりだったけど、今回は家族揃って笑顔!
もう誰にも気兼ねする必要もない。
これからは、自分達の好きなことが、好きな時に、好きなように出来る。
これからは、いつでも人を呼ぶことが出来る。
もう、それだけで3人とも「人生バラ色」に思えました。

両親に「春休み中に友達呼んで、庭でバーベキューやりたい!」とお願いしたら、即座にOKしてくれました。
誕生日は10月だから「引越しパーティ」という名目で、初めて友達とそのお母さん達を家に呼ぶことが出来ました。
母は、バーベキュー用の網などを借りてきて、沢山料理やお菓子を準備してくれ、親子共々、心置きなく楽しみました。
引越しをしてからは、我が家にはお母さん仲間や、同級生達が遊びに来るようになり、十条時代のような、賑やかな日々が戻って来ました。

4月になり、春休みが終わると五年生に進級。
楽しかった2年間に別れを告げ、2度目のクラス替えです。
小学生最後の2年間、どんなメンバーとすごすのかな?と、不安と期待が入り混じっていた事を覚えています。
ちなみに、新居に引越してから、あれだけ辛かった私の喘息発作は、その後30代になるまで、一度も出ることはありませんでした。

〜続く。

今日はここまでです。
次回は、第22話:習い事の遍歴 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪


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