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【Story of Life 私の人生】 第20話:四年生 〜 初めてのプール 

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第19話:三年生 〜 紅白饅頭とお誕生日会 をお送りしました。
今日は、四年生の頃の思い出のお話をしようと思います。

薔薇色とまではいかないけれど、クラス替えのお陰で、学校生活が楽しいと感じるようになった三年生が終わり、四年生に進級。
この頃になると、夜の喘息発作がかなり落ち着いてきて、夜中に近所の先生のお世話になることがかなり少なくなりました。
7月になり、定期的に通っていた板橋日大病院の主治医の先生から「かなり症状が落ち着いてきたし、検査の数値も良くなってきたので、あまり激しい運動でなければ、体育の授業に出ても良い」と許可が出ました。
母が「翌週からプールの授業が始まるが、水泳は大丈夫か?」と聞いてみると「水泳は大丈夫」とのこと。
これでやっと人並みに体育の授業を受けることが出来ことになり、とても嬉しかったことを覚えています。

翌日、学校指定の水着を買ってもらいました。

さて、プール開きの日がやってきました。
今までずーっと体育の授業は見学だった私が、水着に着替えて、プールサイドに立ったことで、同級生達はかなりビックリしていましたが、私も嬉しくてウキウキ。
プールの授業は学年単位だったので、4クラス合同。
ということは、クラスが分かれた元のクラスメイトも一緒になるわけで…
彼らからは「バイキン」扱いされていたので、当然「うわ!プールにバイキン撒き散らすなよ!」などと言われましたが、その時は右から左に聞き流せました(笑)

さて、プールの授業が始まりましたが…
四年生ともなると、泳げない子は誰もいません。
一番泳げなかった子でも、10メートルは泳げました。
一方私は、幼稚園の頃の浮き輪で水浴び程度しか経験がなく、全くの初心者。
ガンガン泳げる他の子とは、同じメニューがこなせないのです。
そこで登場したのが、トイレ掃除を褒めてくれた教頭先生でした。
実は先生は、国体東京代表の水泳選手だったのです!
初日は、顔を水につけることから始まり、先生が支えてくれて蹴伸びまで。
馬鹿にする子もいましたが、「ケイコちゃん、頑張れー!」と応援してくれる同級生もいて、ちょっと恥ずかしいやら、嬉しいやら。
その日から、四年生のプールの授業には、必ず教頭先生が出て来て下さり、マンツーマンで指導していただけました。
他の子が3回で出来ることが10回掛かるくらい、鈍臭くて飲み込みが悪い私。
なかなか出来ない自分が、もどかしくて、情けなくて、悔しくて…
そんな私を、教頭先生は出来るようになるまで辛抱強く教えてくれ、夏休みのプール教室の日も出てきて下さいました。
自分が実は「かなり負けず嫌い」らしいということが分かったのは、この頃です。

8月上旬、初めての検定を受けました。
目標は、一番下の級の5メートル(一年生レベル)だったのですが、何と10メートル泳ぎ切ることが出来て「白線2本」になりました。
自分でも驚いたけど、教頭先生と2人で大喜び!
嬉しくて泣けました。
その日、白いリボンを2本もらって家に帰り、母に縫い付けてもらいました。
やっと帽子に「リボン」をつけることが出来て、級なしから脱出。
少しだけど、他の子に追いついてきたという実感が湧いてきました。

それから夏休みの間、教頭先生からクロールをみっちり教わり、夏休みが終わる頃には、息継ぎもしっかり出来るようになり、クロールで25メートルをクリア。
検定でも問題なく泳ぎきり、黄色線1本に昇格!
50メートル泳げたら黄色線2本になるということで、今度はターンをみっちり教えてもらいました。
それと同時に、平泳ぎと背泳ぎの練習もスタートしましたが、平泳ぎと背泳ぎは教頭先生からのマンツーマン指導ではなく、他の同級生も一緒に、教頭先生から教えてもらうことになりました。

9月半ばのプール納め、最後の検定の日。
クロール50メートル、平泳ぎ50メートル、背泳ぎ25メートルをクリアし、上から3つ目の赤線2本になりました。
完全な初心者だった私が、たった2ヶ月で上から3つ目まで合格出来て、正直自分でもびっくりしましたが、本当に教頭先生のお陰だと、今でも感謝しています。
また「どんなことでも、やれば出来る」ということを教えてくれたのも、教頭先生でした。

最初は、私の鈍臭さを馬鹿にしていた同級生達から「教頭先生を独り占めにしたから、泳げるようになった。本当にずるい!」と、やっかみをかなり言われました。
7月スタート時点で、四年生の殆どは既にクロール25メートルをクリアしていたので、学校側としては、私にそのレベルまでの底上げをしないと、一緒の練習が出来ないという問題があった訳で。
一応、「みんなに追いつく」というミッションは完結。
これで初めてのプールイヤーは終わりました。

プールで苦しくなったり、発作が出ないかという心配はありましたが、息継ぎが出来ない時は辛かったけど、長い距離を泳げるようになってくると同時に、喘息発作が全く出ない日も増えていきました。
思い返してみると、喘息の原因はやはり「ストレス」だったのかなと思います。
大人だけではなく、子供のストレスだって、身体に大きな悪影響があるのだなと、改めて感じます。
身体を動かすことが出来るようになったことが、ストレス発散に繋がったのかも知れませんね。

プールの授業から、普通の体育の授業に変わり、ドッチボールや、短距離走、走り幅跳び、走り高跳び、持久走なども、見学ではなく皆と一緒に出来るようになりましたが…
これらは、かなり苦手でした。
走るのは遅いし、ドッチボールはすぐに当てられちゃうし(笑)
それでも、参加することが出来るという幸せを噛み締めていました。

10月のある日、M子ちゃんから「お父さんの転勤で鹿児島に引越しすることになった」と聞かされました。
約3年間ずっと一緒にいて、楽しい日々を送っていたので、N子ちゃんと私は大ショック!
本当に悲しくて、ワンワン泣きました。
自分が十条を離れた時の事を思い出してしまい、本当に寂しかった…
M子ちゃんの引越しの日まで、3人で思い切り遊びました。
そして、文通するという約束をしました。

余談ですが、定期的な文通は、小学校卒業まで続きました。
M子ちゃん一家は、鹿児島に1年位いて、その後沖縄に戻りました。
中学になってからは、お互いに手紙を書く回数はかなり減りましたが、それでも誕生日や、年賀状、クリスマスなどには欠かさず手紙のやり取りをしていました。
気がつけば、手紙のやり取りだけで半世紀。
M子ちゃんには、彼女が引越しして以来、実際に会うチャンスがないままです。
もし、今会うことが出来たら、どんな話をするのだろうか(笑)
半世紀前に戻れるのかな?と思う今日この頃です。

〜続く。

今日はここまでです。
次回は、第21話:解放 〜 新たなスタート に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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