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最初の記事はやっぱ自己紹介でしょ

はじめまして!
行動を促すFP*いしはらけいこです。

「”使う”が大事」がモットーの、ファイナンシャル・プランナーです。


大学で心理学を専攻、証券会社に13年勤務の後、
ファイナンシャル・プランナーとして独立したのは2003年。
と同時にコーチングをガッツリ学び、個人相談では「聴く」と「背中を押す」を大事にしています。

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最初の投稿は、自己紹介がてら、独立したときのことをお話ししたいと思います

フリーランスを長く続けていると、「どうやったら食べていけるのか?」「どうしてその仕事を得たのか?」といった同業者からの質問が絶えないのです(笑)。 アタマツカエヨ。

私は、大学新卒で入社した証券会社に営業職として勤めていました。勤務先の破たんを経験、その後なぜか再び証券会社に転職。証券業界には3社トータルで13年ほど、お茶くみ女子から年俸制の営業マン(敢えてこの表現)まで、それはそれはイロイロ経験しました。

ITバブルが崩壊した頃でしょうか。
「この仕事ちょっと違う」と思いたち、会社員時代に取得したファイナンシャル・プランナーの資格で食べて行こうと、No Planのまま、勢いで退職。

「日々3千円が消えていく」生活

首都圏(東京ではない、笑)のターミナル駅徒歩5分に、自宅兼事務所を借りて「日々3千円が消えていく」生活に。

独立したからって、すぐに収入があるわけではありません。退職金は、コーチングの講座にウン十万円つぎ込みました。

ファイナンシャル・プランナーの地域活動(日本FP協会の支部活動といいます)やファイナンシャル・プランナーが集まる勉強会に積極的に参加し、その当時の活動や先輩・仲間のみなさんからは、たくさんのことを学びました。いえ、誰も教えてくれませんよ。ノウハウや知恵を盗みました。

会社員脳からフリーランス脳への切り替えは、この時に身体で学びました。

でもやっぱりすぐには食べていけません。経験や学びは蓄積しましたが、どれもほとんど手弁当。蓄財にはなりません。それどころか、会社員時代に貯めたお金をどんどん切り崩していきました。

とはいえ、「この仕事ちょっと違う」と大見栄切って営業職を辞め、「お客様に寄り添って」などと表向きカッコいいファイナンシャル・プランナーの個人事務所を立ち上げたのですから、本業で妥協はしたくありません。

で、どうやって食いつないだか

複数の人材派遣会社に登録をし、スポットや短期の仕事、勤務日数の少ない仕事の紹介をしてもらうようにしていました。本業を育てるための時間が優先。食べるための仕事は空いた時間に、ということです。

派遣の仕事は、選びました。選んだ結果、細々と長く続けられ、収入の足しになったのは。

●大手企業の健康管理室で、健康診断結果のデータ処理(週1,2回の出勤で、出勤日は応相談)

●家電メーカーの系列信販会社で、督促のコールセンター(希望日の自己申告で勤務日数の縛りは全くなし)

●金融機関が企画する顧客向けのセミナー講師(支店で開催が決まると依頼が来るスポット)

この3つで、生活の基盤はずいぶん楽になりました。いえ、それ以上に、どれもファイナンシャル・プランナーの仕事にかなり役に立つ業務だったのです。

もともと証券営業マン(敢えてこの表現)だった私は、社会保険の知識は素人並みでしたし、ローンの督促では支払い不能になる人と直接接する貴重な機会を得、ラッキーなことに講師の仕事まで派遣でできるなんて!

その頃、本業の畑はどうやって耕したか

当時はまだネットでコラムを書く仕事は、自分でHTMLを勉強して入力をする形。ブログも普及しておらず、せいぜいメルマガ配信程度でした。でもとあるプラットフォームで執筆者を募集しているのを見つけ、応募しました。

審査制で、審査に通ってもテスト期間のようなものがあり、最初はかなり大変でした。しかし「これからはネットだ」と信じて、昼は派遣、夜は修行。ひたすら修行の日々でした。

大学で英文タイプを習ったことがあったので、キーボードはブラインドタッチができていたことはラッキーでした。ラッキーだったかな、どうかな。夜中にひたすら原稿を書いていて、キーボードを叩かんばかりの勢いで、私の手が腱鞘炎になるよりも前に、パソコンが熱を出して壊れてしまいました。

あの時駆け込みで持ち込んだ、秋葉原のサポートセンター。とても対応が機敏で親切で、今思い出しても感謝、感謝、感謝です。以来、私は不祥事を起こしても経営が傾いても、パソコンはT社のdブックです。

話をもどして

ネットに力を入れた結果、書籍の執筆依頼や、新聞社からのセミナー講師依頼につながりました。独立2年目の後半ぐらいだったかな。悲鳴を上げるぐらいの忙しさになりました。

でも健康管理室の派遣は、回数を減らして続けていました。常駐の看護師さんとランチするのが楽しかったな~。

もっと前に話をもどして、同業者どうしの地域活動や勉強会では、イベントの開催などの運営に、積極的に携わっていました。年齢や経験を問わず、いろいろな方が集まってくる中で、謙虚な気持ちで参加していました。

これもまた血となり肉となり。とてもありがたいネットワークを築かせて頂くことができ、今に至ります。

そうそう、確定申告も手書きが主流だったあの頃。ケチな私は、青色申告控除を適用したくて(収入も少ないくせに、笑)、Excelで決算書を自作、初年度から青色申告をしていました。

簿記を習ったことはありません。でも証券営業マン(しつこいけど、敢えてこの表現)だったので、決算書を見るスキルは身についていました。知らないうちに。なので自分の帳簿は苦労なく作れました。

えっと、何の話だったかな

そうそう「どうやって仕事をもらったか」と聞かれるので自己紹介でした。

今でも試行錯誤です。世の中がどう動いているのかを見て、流れに乗ったらいいか、時間やお金を犠牲にする価値があるかどうかを考えています。

フリーランスの仕事は、ご縁です。それと、1回1回の仕事そのものが、次の仕事のプレゼンです。いま、与えられている仕事を一生懸命こなし、自分にできる精一杯の成果でお返しすることで、次のご依頼につながっていると思います。

アタマツカエヨ。



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「”使う”が大事」がモットーの、ファイナンシャル・プランナー
行動を促すFP*いしはらけいこ
ライフプラン→マネープラン研究所
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「”使う”が大事」がモットーの、ファイナンシャル・プランナー 行動を促すFP*いしはらけいこ ≪ライフプラン→マネープラン研究所≫ https://www.keikoishihara-fp.jp/