見出し画像

[イタリアンな書籍①] ”フェデリコ・カルパッチョ”シリーズ

記事「インサラータの事」で、引用したフェデリコである。著/フェデリコ・カルパッチョ、訳と註/小暮 修 となっているが、全て故・小暮 修さんの自作自演である。

特に初作の”極上の憂鬱”(文庫:平成9年(西暦1997年)11月25日初版)が傑作で、「ヘンナガイジン」の目を通して見えるバブル崩壊期の日本の様子が面白おかしく描かれている。(なので、リアルタイムで体感していないとちょっと面白さが分かり難い、当時に特化したネタもある。野村監督時代のスワローズの古田捕手ネタとか、F1のナイジェル・マンセルとか、ねるとん紅鯨団とか。)
イタリアンな書籍として挙げさせていただいているのは、日本のイタリア文化に関する常識が、本国では如何に非常識か?という言及などを通して、イタリア文化が印象的に頭に入る感じであるため。そういう観点で、どなたにも一読の価値はあると思う。

私がこの本をどれだけ好きか。時々、本棚から取り出して読み込んでしまう、自身の中でも、なかなか他に無い貴重な書籍である。(似たような、”何度読んでも笑う系”の書籍というと、雑誌「りぼん」でリアルタイムでも読んでいた、岡田あーみんの「お父さんは心配症」「こいつら100%伝説」「ルナティック雑技団」連作ぐらいか)
とにかく何回読んでも「面白くて笑ってしまう」というより、「声を出して腹が痛くなって涙が堪え切れないぐらい笑ってしまう」書籍である。かなり沈んだ気分の時でも読んでいると笑いが出る。

さておき、”イタリア文化が印象的に頭に入る感じ” の実例を、書籍冒頭の数エッセイから抜き出すと以下のような感じ。(日本の中でもある程度認知されるようになっている事や、本国の最近の事情は変わっている可能性は否定しないが、ひとまずそのまま)


● トウキョウのイタリア料理

・決定的に量が少ない。(パスタ百グラムが多いだって?!)
→ 量がしっかりあるのがイタリア料理の醍醐味。
・日本では、昔はパスタはミートソースとナポリタンしかなかったからだいぶ進歩した。ナポリタンはサン・マルツァーノでもロマーノでもなくケチャップだった!
→ ナポリタンはイタリア料理ではない。
・スパゲティのメニューを豊富にした功労者はイタリアには滅多にない「スパゲティ専門店」なるものだった。(そこでは、皆スパゲティを一皿と、せいぜい日本でサラダと呼ばれるクズ野菜の寄せ集めを付け合わせに食べる程度で食事を御仕舞にするのだとか!)
→ 「スパゲティ専門店」はイタリアにはあまりない。
・スパゲティはフォークとスプーンの二刀流で対処しながら、ピッツァとなると、なんとナイフを使わずインド人のように手で食べてしまうという実に不条理な不可思議。
→ ピッツァはフォークとナイフで食べるものである。

● ワインとニッポン人

・妙にフランスワインをもてはやすが、イタリアが世界一のワイン生産国・消費国・輸出国であることを認識してほしい。
・小指を立てながらいかにも気取った仕種でワインを口に入れる人が多いようだが、きっと日本の過去の複雑な普及の経緯によるもの。イタリアの田舎で見られるように、なんの変哲もないソーダガラス製の寸胴グラスで気楽な事この上なく流し込むのが何より美味しいワインの飲み方であることをいつの日かわかってくれるであろう。

● ニッポンの百貨店

・とびきり美味しいミートソースの「仕上げにウスターソース、醤油を加える」とは!パスタの上手な茹で方は「常に沸騰しているような強火」だとは!
→ 日本のミートソースは本国のそれとは似て非なる。
→ パスタは沸騰しないぐらいの中火で茹でる。(うどんと一緒)


● リストランテで驚いた話

・せっかく手打パスタなのにコシがない。
→ アルデンテ大事。

● イチガヤの霊魂の衝撃
● ニッポンのトリザラ哲学

・ボトルワインがボジョレーヌーボーしかない。現地でたかだか500円のワインがボトル5000円、グラス1000円だというのだ!
→ いかに日本がフランスワイン産業にやられちゃっているかの分かりやすい表現。イタリア料理屋だし、イタリアワインを選ばせてよ・・・。

・パスタより前に肉料理が出て来てしまった。後日確認したら、日本人にとっては不自然ではなく、〆にうどんやそばを食べるのと同じ感覚だと諸文化の差だと認知した。
→ パスタは第一の皿(プリモ・ピアット)

・皆が「トリザラを下さい。」というが、どんなにうまいものなのか期待した。しかし、どの店のメニューにも載っていない。勇気を出して頼んでみると、そこには何ものっていなかった。みんなで分け合って食べる文化もまた諸文化の差。
→ 欧州全般に言えるが、基本的に自分のものは自分だけで食べる。


これを読んだ後、私自身(あるいはそれに倣って私の家族も)基本的に(少なくともイタリアン・スタイルの)ピッツァを手で食べる事はなくなった、等、「美味しんぼ」並みに私に影響を与えている書籍である。

あと、‎唎酒師 義和 的には、日本酒に触れられている事もうれしいネタではある。

日本人スタイルで、イタリアかぶれで日本人を茶化すと、なにかバカにしたような印象になってしまう危険性があるが、「ニセガイジン」フォーマットがそれを和らげていて嫌味なく非常に読みやすい。”言われてみれば変だね、イタリア料理ではイタリア料理の流儀に従ってみよう” 等、”文化の差の腹落ち” をさせてくれる、そんな感じの書籍となっている。傑作エッセイだと思う。

故・小暮 修 さん に感謝。

次回も書籍でいこうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?