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「ゲンロン戦記」東浩紀氏著を読んで

今「ゲンロン戦記」(東浩紀氏)を読んでいて、彼はカッコつけない、本音の正直な人だと思った。「表現の不自由展」で最後まで闘い続けた津田大介氏と対照的に自己保身のために撤退した時も感じたことだったが。この偽善を嫌う本音主義、身も蓋もない正直さがヒロユキ氏、成田悠輔氏を作り、ネトウヨまでに正当性を与えてしまったような気がした。(読み進むと東氏はこのような流れと闘ってきたことがわかる)。

成田悠輔氏といえば、無意識による民主主義というアイディアは東浩紀氏が2000年代に出したアイディアだということが分かった。

因みに「ゲンロン戦記」というのは「ゲド戦記」にかけているのだろうか?

福島第一原発事故の放射能による小児甲状腺がんの増加に対して、それはないと東浩紀氏は言っている。これは三百人余の患者を東電の責任から排除する言論だと思う。なぜなら、四十年前に私が甲状腺がんを告知されたとき、何万人に一人のとても珍しいがんですと言われたからだ(現在は完治している)。陰謀論というレッテルを貼って、実際に甲状腺がんに冒された患者を救済から排除する姿勢はとても誠実とは言えないだろう。

「やれば何でもできる自分を捨てたくなくて、選択肢を切り捨てなかった。幼稚だったのです」と東浩紀氏は記しているが、今の千葉雅也氏を見ているようだ。
だが他人事だろうか?老い先長くない私が好奇心から政治や経済、思想、小説まで本を買い漁って、切り捨てることをしていないではないか。絞り込み、切り捨てることは、かくも困難なのだ。精神の自由を制御し、ストイックに求道することだから。

そこで東浩紀氏はどうしただろうか。40%読んだ時点では、まだやることを絞っているどころか、あれこれ手を出して失敗したことから学び、経営を身に着け、更にゲンロンカフェやスクールなど事業が拡がったという。

ここで気になることは2点
①弱者は眼中にない。
②私が情弱なせいかも知れないが、ゲンロンカフェを観たこともなく、日本の行く末についてそんなに白熱した議論があったら、安倍政権時代にもう少し影響力があっても良さそうだったのにと思った。現在の日本の凋落を食い止めることはできなかったのか。本音で時間無制限で議論をしながら、実際的な影響は小さかったのか。ネットの言論の限界なのか。

兎にも角にも、東浩紀氏は経営者となり、経営者となればそれなりに優秀な経営者となったのだ。ただ、健全な経営をするだけでなく、経営者という権力にも目覚めたようで、ゲンロンカフェでは成功報酬のような登壇者のランク付けまでするようになった。
「記号論」のゲンロンカフェでの配信が千人を超えて哲学系としては異例の売り上げだった。そこで2回のゲンロンカフェでの講義をまとめた「新記号論」という本を出版した。それは、東浩紀氏としては嬉しい出来事だったという。

「知る、分かる、動かす」の間に「考える」がなければならない。その為には、雑談を削ってはならない。だから、ゲンロンカフェでは時間制限を設けない、という東浩紀氏の姿勢はいいと思う。彼を先駆者として、またおしゃべりの文化が花咲いて欲しいと思う。

ゲンロンスクールも、学生と講師のコミュニティの創造を目指し、飲み会を復活させたということだ。いくつかの賞を獲得したり、浅田彰氏を巻き込んだりと話題性はありそうだ。

だが、ゲンロンはカフェもスクールも受講料が高い。それだけステイタスがあるということなのであろうが金持ちの道楽にならないことを祈る。

東浩紀氏が立派なのは、『「面倒な人間関係」を含めて、ゲンロンスクールなのだと、最近は割り切っています』という現実を引き受ける態度だと思う。

アートの夢を実現できる人は数百人に1人だ。あとの数百人は授業料を払っても夢を叶えることができない。この現実に東浩紀氏がだした結論は次のようなものだ。
「受講生に、コンテンツの製作者になる道だけでなく、『観客』になる道を用意することがとても大事になってくる」。「あらゆる文化は観客なしには存在できません。そして良質の観客なしには育ちません」。「今はみながみなスターを目指している社会です。新自由主義とSNSがその傾向を加速しました。けれどもそれは原理的に間違っている。」

『ゲンロンカフェもスクールも「たけなわ」を絶対に邪魔をしないという運営方針で貫かれています』。

チェルノブイリ原発事故跡の見学ツアーに関しては、わたしは多くを語る言葉を持っていない。ただ、今現在も廃炉作業のためにそこで働いている人々がいると言う現実は、私たちが立ち入ることを躊躇う心象に重い問いを突きつける。

東氏はまた言う。「大事なのは、言葉と現実のズレに敏感であり続けることなのです」。これは確かにそうで、我ながら言い得て妙だと思ったことは、伝えたい現実がやせ細って言葉の骨になり貧しくなることがある。

とても端折った言い方になるが、東浩紀氏が悟ったのは、仲間うちで楽しく事業をやろうとして失敗し、理想は掲げながらも冷徹な経営者であることに専念し、事業を軌道に乗せたということだった。また、その後は代表者を別の人に任せ、更に客観的に事業を捉えることで安定化したということだ。

東浩紀氏がやってきたことはPDCAだと思う。それも完璧な、それで成功したのだと思う。今流行りのOODAはひろゆき型だ。

東浩紀氏が凄いと思うのは、ポストモダンの旗手でありながら、幻影に惑わされることなく、現実と格闘してきたことだ。

いずれにしても、東浩紀氏は共同体を作り上げたのだ。社会が自分の望むところでないなら、社会を変革せずに、自分の望むミニ社会=共同体を作り上げたのだ。こういうやり方で自分の生きやすい空間を作り出すことがてきるのだ。弱点は営利企業だということだと私は思ったが、東氏はそれが強みだという。

ツイッターについて、無料だから敵と味方に別れプラットフォームが荒れたという。「貨幣と商品の等価交換こそが、友と敵の分割を壊すのです」と東浩紀氏は言うが、私は貨幣を持つ者と持たざる者とに友と敵の分割があると思うのだが。

東浩紀氏は、ある別の哲学者の対談の中で話題になり、インテリゲンチャだけの貴族院があっても良いのではないか、と言っていたという。私は專門的知識をないがしろにする積りはなく、むしろ知性と知識は現代社会においてもっと敬意を持たれるべきだとは思うが、政治的勢力になるのは反対する。
なぜなら、基本的に職業に貴賤なく、人間の優劣は単純な物差しでは測れず、どんな人間にも生きる価値があり、それら皆んなのことを考えるのが政治だと思うからだ。

次の文章はとても示唆に富んでいた。
「啓蒙というのは、観客をつくる作業です。それは俺の趣味じゃないから、と第一印象でひいていた人を、こっちの見方や考え方に搦め手で粘り強く引きずり込んていくような作業です。それは、人びとを信者とアンチに分けていては決してできません」。
これは対話というもの、議論というものをよく知り尽くした人の言葉だと思う。

「今の日本にはもっと地味に啓蒙する知識人が必要です。そのためには、もっともっと無駄で親密で『危険』なコミュニケーションが必要です」。

「右派からすれば僕は責任感が足りないのだろうし、左派からすれば行動が足りないのでしょう。けれど、それでも両方の側が、欠点だらけの試行錯誤の先駆者として僕を見てくれるのであれば、それこそがぼくがやりたかったことです。ひとの人生には失敗ぐらいしか後世に伝えるべきものはないのですから」。

「…けれども、この20年ほどの経験で、そのような(フランス現代思想のような)専門書ではなにも伝わらないし、なにも変わらないと感じるようになってもいる。哲学は生きられねばならない。そして哲学が生きられるためには、誰かが哲学を生きているすがたを見せなければならない。それは決して格好いいことではない。もしかしたら恥と後悔だらけのすがたかもしれない。それでもやはり見せなければならない。だれかがそのリスクを負わなければ、哲学は有閑階級の大学人の遊びにしかならない」。

感動的な終わりだった。東浩紀氏は私にとって、意見が食い違うことも多いけれど、尊敬に値する人物であることが、この本で分かった。 

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