私の人生に登場してくれてありがとう。

品川でバターバトラーを買って、名古屋へ向かう新幹線に乗り込む。
お正月休みに入って初日、8時台の新幹線だから自由席でも座れるだろうと思ったけど甘かった。
通路に立ちながら1時間半。
そういえば富士山って見えるんだっけ?と思っていたら、もう名古屋だった。

古くからの友だちに年末会った。
彼女は名古屋に住んでるわけじゃないんだけど、お互いの真ん中あたりで会おうかとなって、名古屋に。

とりあえず、食べたいものだけは二人で決めていた。
味噌煮込みうどん、小倉トースト、手羽先。
あとは、その場で観光するところは決めようと。

新幹線に乗っているときから、私は緊張していた。

会話、続くかな。

数少ない友だちと呼べる相手でも、私はいつもうまく話せない。
だから、あらかじめ話題を考えないと、不安になる。

ほんとは話したいこと、聞いてほしいモヤモヤがあるんだけど、せっかく久しぶりに会ったのに、ちょっと重めの話をするのもなんだなとか思うと、何を話せばいいのか、よくわからなくなってくる。そうこうしてる間に待ち合わせの時間になってしまった。

駅の金時計の前で彼女と久しぶりに会った。
意外と感動とか、久しぶりの嬉しさとか、そういうのはなくて、金時計の前は、待ち合わせ場所にしては、だだっ広いすぎて、結局見つけらんないね、とか。私の頭に寝癖がついてるとか。
どうでもいいことを話しながら、ふわっとはじまった。

はじまりがはじまりだけに、どうでもいいことばかり、お互いに口にしていた。
名古屋の建物は出落ち感がすごいとか。
名古屋のテレビ塔は撮りようによってはパリっぽく見えるとか。
純喫茶の定義って何だろねとか。

でも、時間が経つと、
最近、感動することが少なくなったんだけど、なんでだろう?とか。
「付き合う」って、なんだろうね?とか。
お互いがモヤっとしてることが、ぽろっとこぼれたりもした。

彼女は、自分の考えにあくまで正直に、でも相手が話を受け取りやすいように丁寧に言葉を選んで話す。
なんだか、コンビニなのに、きれいに並べた小銭を両手で渡してくる店員さんに会ったような気分になる。
そんな相手と話すのが久しぶりで、私は嬉しくなっると同時に、自分の雑さが恥ずかしい。

一般的な友だちとの居心地が、どういうものかはわからないけど、私にとってはこんな自然にいろんなことを話せて、しかも自分にはない視点をくれる人は本当に少ない。

私の人生に登場してくれてありがとう。

何年か前、earth music&ecologyの広告に使われていたキャッチコピーが思い浮かぶ。

思い浮かべてないで口に出せばいいんだけど、なんか恥ずかしいし、人の言葉の引用で感謝を伝えるのもしゃくで、なんでもない顔をしていた。

はじまりと同じようにふわっと別れもやってきた。
「今日はありがとね、またね。」
「うん、また。気を付けてね。」
「そっちもね。じゃ、また。」

帰りの新幹線のは自由席だけど座れた。
温泉につかったあと、いつまでもカラダがぽかぽかしているように、人と通じ合った、確かな手ごたえと温もりが残ってる。このあったかさをちゃんと覚えていようと思った。
人の嫌いなところばかりに目がいってしまうけれど、人と関わることが辛くなるけれど、人間の中には、こんな素敵な気持ちをくれる人がいること、ちゃんと覚えておこう。



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