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一粒の魔法を信じ過ぎていると思う

ほとんどの人が病院へ行って
お薬をもらって治そうとするのではないのかなぁと思うのだけれど
どうだろう。

だけど
もっと身体の力を信じていい。

本当は
自分の身体には治そうとする力がいつも働いているから
それを使った方がいい。

それよりも医者をまず信じてしまう傾向にある。
医者を批判したいわけではなくて
一人一人が何を大事にするのか、というところの話。

よくスピリチュアルを信じないという人がいるけれど
でも医者をすごく信じていて、自分の力を信じられない人は多いと思う。

なぜだろう
あの一粒を信じるのは?

それは
自分の身体の力を使ったことがなかったら
どうなるかわからないから、怖いと感じてしまうんだと思う。

あの一粒から
病気が治ると思っている・・というように見える。
それか、そう信じておいた方が
結局責任は医者だし、、自分はそれを医者が言ったからと
そのせいにできるから、治るはずということにしておきたい、というのが
隠れているのかもしれない。

その一粒を毎日飲み続けたら
病気は治っていく?
お医者さんがいうからって
本当に治ったって言えるんだろうか?

そもそも”症状”というものを”=悪い”としているところから
その常識を変えてはどうかしら。

大体の薬は、症状を抑えるとか、悪いものを殺す
という設定になっていたりする。

そして症状が治るというゴールは
”痛くない””痒くない”、、ということだから
治った。とする。

でもまた
その痛みは出てくる。

もしくは他の何らかの形で現れてくる。

常に問題は
内側に残したまま
表面だけ美しくなろうとしているんだけど
そうはいかない。

その繰り返しをしても
それでもなお、その医者のいうことを信じていたりする。
信じておきたい、というか。

それだと
責任を自分で持ちたくないから
人に預けてしまっている。
時には委ねます、というのも必要なのは分かるのですが
もっと大事な自分の命を、
まずは少しでも自分で感じたりしてみたら、すごく変わっていく。

解決できる力を使うチャンスを使えば
他人にやってもらわなくても
体がなんとかして、もっとしなやかで生命力が強くなっていくのだけど

今は、その反対をし続けた結果が
この社会なのです。

教育もそう。
悪いものがいたら排除するか批判したり
点を多くとったりすると喜ばれたり。

その人そのままを生きるよりも
信じようとするよりも
まず
”平均点”を意識させられる。

普通って何??

それは、一番自分ではない部分になる。
普通の人なんて
本当はどこにもいないのに。

私たちの身体には
生きる力があるんだ、ということを思い出したい。

本当は、とっても素晴らしい生命に溢れている。

何か起きないようにと
先回りして
いろんな薬や注射、早期発見しようとしたり
予防医学、、とか言うんでしょうか
響きはいいけど
なんか私には違うと感じます。

人を弱くする方法が優先されるのではなく
信じて使うことをしていかないと
いつも
”責任が”と怖がって
人のことまで自分の都合で片付けようとしてしまう。

それが今の社会の大半に見られる光景だと
私には見えています。

死を悪としないこと
痛みを悪としないこと

今までのことは
貴重な経験として踏まえつつ

とても大切な
人生の価値観を
私たちは変える時だと感じるのです。





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