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ソクラテス編

世界における思想の源流を学ぶ。まず、ソクラテスを中心に古代ギリシャ人のしそうを、ついでキリストの教え、仏陀の教えを、孔子の儒学体系は前述の通りである。

これらの中心的な先哲は、世界の四大聖人とも、人類の教師ともよばれている。かれらの思想は、思想の原型として長い歴史を通じていまもなお、世界の字とびとに深い感銘と大きな感化をあたえつづけている。勿論彼らの教え思想は、それぞれ大きな特徴があるが、共通に言えることは、人間についての深い洞察と理想を求める強い情熱であろう。これらの先哲から人生と考え方の、原型を学ぼう。

 

ギリシャ人は、紀元前2000年頃から、バルカン半島を南下してギリシャ半島に侵入し、紀元前前10世紀ころには、エーゲ海の島々や小アジアの西海岸まで到達していた。

彼らは、小集団で、都市国家(ポリス)をけいせいしていた。

ポリスは、普通数千人からなる、村国家で、市民は何事につけ、国家規模の話し合いができ、法律は、民会でけっていできた。ここに、自由で合理的なギリシャ政治が発達するとともに、国家と市民の関連性に良き、調和が見られた。

このような生活と、気候風土の中で彼らは、静かに事物を眺め、それらを超えて、存在する、永遠普遍的なものや、客観的にそれらの原理的なものを、見出そうとする生活を見出した。

彼らは、それらをテオリアと呼び、それによって、幾何学などの、学問が生み出されるとともに、均整の取れた彫刻が創作され、実生活においても、秩序と調和がえられた。またテオリアが、真理そのものを追求する、フィロソフィア、即ち哲学的なものを、うみだしたのである。ギリシャ人の哲学は、自然の根源と成立、消滅の普遍的な原理を追求し。

ここに、根源は水であるとした、タレスを基とする、自然哲学が現れた。これが哲学的な諸々の始まりである。

 

紀元前5世紀になると、ソフィストと呼ばれる人達が現れ、人間や社会について研究をはじめた。その代表者プロタゴラスは、「人々が万物の尺度である。」として、誰れでも認められる普遍的な真理はない、と主張した。

こういうときに、ポリスの市民としての立場から、自然哲学者とソフィストの両者を批判し、自然哲学者がテオリアによって求めようとした真理の普遍性と、ソフィストがいだいた人間への関心とを結びつけ、人間のことに関する普遍的真理を求めようとしたのが、ソクラテスである。

ソクラテスの求めようとした真理は、正義や勇気などの徳の本質や、ポリスや法などの正しい知識であった。ソフィストたちも人生を生きる知恵を求めたが、それは結局、法や徳について、巧みに語る技術であった。しかしソクラテスには、あることについて、巧みに語るよりは、その事の本質を、理解することが、より重要であり。正しく知らねば正しく行えない、とした。

その、求めるものが人間に関しての普遍的真理である以上、それは個人として得られるものではなく、とくに、自らの無知に自覚することの重要さを、持ち、他者との会話・議論の中から、それぞれの人々の意見の合うを見つけ、そこに問題の本質をみようとした。

アテネの市民は、ソフィストはじめ皆、徳の本質を知らず、また自分の無知も、自覚していなかった。一方ソクラテスは、アテネ市民が自らの理想像を、大きく掲げないのは、恥であるとした。そこで先ずそれらの、無知を自覚さしめ、その後アテネ市民のアテネ市民として徳を求めさせようとした。それこそが自らの使命と信じた。アポロン神殿に掲げられた「汝自身を知れ」という言葉の真意を彼は総理解していた。ソクラテスの対話・問答は、人間として自らの無知を自覚せしめ、ただしきものを求める初めとし、さらに徳についての知恵を生み出していくように、人々を導いていった、此れにより、彼は人間の教師とされた。

人間は皆正しい知恵を求める能力(理性)を持っているが、実際にどれが正しいのか見極めるのは難しい。そのための、知恵ですら、求めても難しい。ことの真理はこのように、極めて求めても、むずかしいのである。これを理性的に問答して、互いの刺激で、正しい道も得られるだろう。

その意味で、各個人の自発性を失わず、それを助けて、正しい知恵を得られるはずである。ソクラテスの母親は助産婦であったので、この対話・問答を、助産術と呼んだ。

 

正しい知恵を得るためには、時間・場所・その人の気分、によるのではなく、理性的であることが条件となる。

「私は、よく考えてみて、最善と思われる、理性的な事に従うのである」と述べ、誰人も認めざるを得ない、基本的理性の法則として、4つの法則を述べている。それらに照らした後具体性のある、正しいあり方を導き出すと、説いた。

 

1専門家の意見を重く用いる

2更に良く生きる方向

3良く生きる・美しく生きる・正しく生きる

4いかなる場合でも、不正なことをしては行けない

 

ソクラテスは、人々との議論を行って、正義や勇気、法と雄弁などの正しい徳について語った。その結果、正義とは、個人的なものではなくポリスの法を守ることであり、ローカルルールで判断するものではない、また勇気とは死の恐怖を持たないのではなく、ポリスの中の自分の状況を維持するためには、死を恐れないことであると断じた。また、雄弁について、ソフィストのように、言葉巧みに、悪ですら善とするのではなく、真実を語ることこそが真の雄弁であると、結論づけた

こうして彼は、人々の徳とはポリス内での、市民としての、尊厳と立場の優秀さであるとした。

私なりにやらせていただいてます、有り難い。