コロナ禍の今こそ山本太郎を東京都知事選野党統一候補に

 去る1月23日、立憲民主党の長妻昭選対委員長が、BSテレビの番組で山本太郎を野党統一候補として擁立する可能性について言及した。コロナ禍が本格化した現在では遥か遠い旧聞に属する話となってしまったが…。
 当の山本太郎は以前から、「自らの都知事選出馬も選択肢のひとつ」と言い続けてきた。それに対して「山本太郎首相待望論者」の私は、彼は次の衆議院選挙に新選組を率いて出馬し、最短での首相を目指すべきとの立場から、都知事選へ出馬すべきでないと思い続けてきた。
 しかし、COVID-19が、発生国の中国をはじめ、韓国や台湾等、アジア諸国はもちろん、遅れて感染の広がったヨーロッパ諸国ですらピークアウトを迎えつつあるなか、無為無策無能不作為のアベ「政権」下、出口が見えないどころか、この先の見通しすら全くつかないこの国の現状にあって、私は考えを改めるに至った。
※以下の見解は、規定方針通り6月18日告示、7月5日投票を前提としたものである。しかし、過去にも1995年の阪神淡路大震災や2011年の東日本大震災の後に行われたいくつかの地方選挙のように、今回の東京都知事選挙も臨時特例法によって何ヶ月か延長される可能性が排除できない。その場合には、また状況判断が異なってくるだろうことをお断りしておく。

コロナ禍を食い止めることのできる知事候補

 私が、「山本太郎が都知事選に出馬するべきである」と思うようになった理由はいくつかあるが、その最大の理由がコロナ禍であることはいうまでもない。4月19日現在、東京都で確認されたCOVID-19感染者数は3千人を超え、全国では1万人を超えた。
 本稿は私が「アベの人災コロナ禍」と呼ぶ新型コロナウイルスに対する政府(や東京都)の対処策を批判することが目的ではない。しかし、7月の都知事選でコロナ対策が争点のひとつになることは確かであろうし、首都東京でいかなるコロナ対策がとられ被害を最小限に食い止めるかが、日本全体のコロナ被害を最小化することに直結することも確かであろう。
 そう考えたとき、「都知事に最もふさわしい人物」「コロナ禍を食い止める政治力を発揮できる人物」として真っ先に思い浮かぶのが山本太郎にほかならない。
 7月5日あるいは6月18日の時点で日本あるいは東京のCOVID-19感染がのどような状況になっているかは、現時点で恐らく誰にも正確に予測することができないだろう。すでにピークアウトしているかもしれないし、考えたくもないがイタリアやスペイン、アメリカのニューヨーク州を凌ぐ事態になっているかもしれない。
 だが、ひとつだけ確実に言えることは、COVID-19感染は終息していないし、それどころか終息までにその後も最低1年はかかるだろうということ、そして、そのために受ける経済的ダメージから立ち直るにはさらに長い年月を要するということだ。
 3月25日に2020東京オリンピックの開催延期が決定されるまでは「ステルス知事」ぶりを発揮していた小池知事は、その後、別人のように発言を始め、同じく堰を切ったように感染者が増加するのに合わせて、政府との違いを強調してコロナ対策に積極姿勢を示し始めた。
 しかし、時すでに遅しで、2ヵ月以上何もしてこなかったツケはあまりに大きく、医療崩壊が始まりつつあった。
 7月時点で東京や日本のコロナ禍がたとえピークアウトを迎え先が見通せるようになっていても、北海道の例を見ても分かるように、いつ第二波、第三波がやってくるかもしれない。その意味で、いかなる状況にあろうとも「検査、隔離、治療」の徹底以外に状況を改善する方法はないだろう。
 その際、医療崩壊がどこまで深刻になっているのか? 場合によっては、すでに終息に向かいつつある中国や韓国、流行拡大を防いだ台湾などの隣国に、人的・物的支援を要請することも検討されるべきだ。
 受けた支援は次に相手が困っているときに返すーそうした近隣諸国との友好・相互支援関係を築くことが、アベ「政権」発足以来深刻化してきた国民の反中・嫌韓ヘイト感情を和らげる方向に作用すれば、ポストアベ政治・社会に明るい要素となることもできるだろう。

2020東京オリンピック返上・中止を争点に

 3月30日、延期決定から5日後に、IOC、組織委員会、東京都、日本政府は2020東京オリンピックの開催時期を本来の開催期間から丸1年後にすることで合意した。これは何が何でもオリンピックを自身の総裁任期中に開催したいというアベの意志と、中止は避けたいIOCその他の組織の利害調整の末に導き出された結論だろう。
 だが、来年7月に東京五輪を開催できる可能性は、現実にはどんどん少なくなっている。それまでに全世界でCOVID-19が終息していることが必要最低限の条件だが、今現在、それまでにワクチンが開発されているかどうかさえ覚束ない。仮に、それまでにワクチンが開発され流行が終息したとしても、各選手は今年いっぱい各大会等の実践を積むことが事実上不可能になっており、アベのいう「完全な形」での開催となったら、2年後でさえ難しいかもしれず、現実的にはそれは2024年パリ大会までは無理だろう。
 単純に考えれば1回ずつ先送りすればすむかもしれないが、パリの準備状況もあってパリがそれに同意するとも思われず、それよりも何よりも、開催を1年延期するごとに、会場の維持費をはじめ、膨大な費用がそのために飛んでいく。事実、21日の共同通信によると、「新型コロナウイルス感染拡大による東京五輪・パラリンピックの1年延期で約3千億円規模の追加費用が見込まれている問題で、国際オリンピック委員会(IOC)は20日、「安倍晋三首相が、2020年(大会)に関する現行の契約条件に沿って引き続き日本が負担することに同意した」と明らかにした。」
 純粋に予算の面で損得勘定を計算すれば、恐らく東京開催の返上・中止がベストの選択となるだろう(そのための厳密な試算が必要になろうが)。コロナ以前の日本社会では、返上・中止を言っても世論がついてこなかったであろうが、コロナ禍で明日をも知れぬ生活を送っている都民・国民には、オリンピックより日々の生活が重要であり、感染せずに1日も早くコロナ終息を迎えることの方が切実な問題だ。
 ただ、問題は中止を東京都の一存では決められないことだ。大会組織委員会、日本政府、そしてIOCの同意が必要だが、これら3者は中止だけは何が何でも避けたいという立場だ。コロナを巡る情勢、日本国民と世界の世論の後押しがなければ、中止は覚束ない。ただ、東京都が返上をあくまで主張し、世論もそれに味方すれば、中止の可能性は高くなる。
 すでに投じられた3兆円は返ってこない。肝心なのはこれ以上、余計な予算を使わないことだ。そして、その経費をコロナ対策に回すことだ。また、中止が決まれば、使われないままになっている各施設を、とりあえずコロナ対策用に様々に活用できる。要するに、五輪を中止すれば、予算が捻出でき、施設も有効活用できる一石二鳥の解決策となる。
 また、コロナにも関連してくる政策として、新選組が掲げている政策のいくつかも都政に反映することができる。例えば、コロナで居場所を失ったネットカフェ難民、派遣切りで住まいを失った人々、もともと住まいのなかったホームレスの人々、休校措置のうえにバイトをクビになり帰省もできずにいる苦学生等々、生活弱者・コロナ弱者たちに、空き家、中古マンション、団地等を活用して無料もしくは初期費用なしの安い家賃で住宅を供給する。
 また、倒産の危機に直面している中小企業に補助金を支援したり、無利子・低利の緊急融資を継続的に行う等、財政に余裕がある東京都だからこそできる施策も多数あるはずだ。
 さらに、都だけでは解決できない問題は、国に強力に要請し、粘り強く交渉していく。そうすることで、山本都政とアベ「政権」の違いをくっきりと国民に見せつけることが可能になる。NY州のクオモ知事とトランプとの対立構造のように、山本都政とアベ政治の違いを積極的にアピールして、都に有利な政策を引き出していくのだ。そうすることが、結局は国民全体の利益に結びついていく。

「次の次」で首相をめざせ!

 元俳優としての知名度とリベラル派市民に絶大な人気を誇る山本太郎だが、たとえ都知事選に野党統一候補として立候補しても、決して楽観はできない。いちばん痛いのは、コロナ禍の下での選挙戦では、山本の得意とする「街頭記者会見」のような市民との膝を交えた対話や、何万人もの市民を集めた選挙フェス的な運動が不可能だということだ。その点では、現職に有利にはたらく選挙戦にならざるを得ない。ネットをはじめ、知恵を絞って政策を訴えていく戦略・戦術、場合によってはかつて誰も思いつかなかったような奇抜な選挙戦が必要になる。
 野党統一候補になることに関しては、消費税をめぐる立民との確執があるが、これも「コロナ選挙」ということで、ハードルはずっと低くなるのではなかろうか。非常時の財政出動に関しては立民も積極的な立場だからだ。
 もし都知事選で山本陣営が敗北することになっても、山本太郎と新選組には決してマイナスには作用しまい。
 この間のコロナ自粛で、山本太郎の全国ツアーと衆議院選へ向けた候補者擁立等の活動は停滞し、各種世論調査でも新選組の支持率はN国並みに落ち込んでいる。都知事選で山本太郎が露出し、党の存在感をアピールすれば、次の衆議院選へ向けて弾みをつけることができる。
 一方、都知事選で山本太郎知事が誕生して期待通りの活躍をし、コロナ禍を乗り切り、その後の復興をなしとげれば、これまで知名度だけで知事になり、何の成果も出せないか、威勢のいいスローガン倒れに終わった歴代知事と違って、美濃部亮吉都知事(1967〜1979)以来の都民のための知事、生活者に寄り添う知事になることができるだろう。
 そして、そのことは同時に、政治家・山本太郎にとってのかけがえのない実績となる。人気先行の一部の「山本太郎首相待望論」から、実績を伴った、多くの国民に支持される首相候補として浮上することだろう。
 衆議院の解散は、恐らく年内には無理だろう。コロナ禍での無為無策無能不作為のために、アベ「政権」の支持率はじり貧だし、もしコロナが終息していない段階で国政選挙を強行すれば、国民の顰蹙を買うことは避けられまい。したがって、さしものアベも、コロナがある程度落ち着きを見せ、終息の兆しが見えてからでなければ解散総選挙には踏み切れまい(先日国会議員選挙を実施した韓国程度に)。
 その際に、山本太郎が都知事を辞任して新選組代表として自ら衆議院選に立候補する手もあるだろうが、「都政投げだし」のそしりは免れまい。やはり、4年の任期は全うして、コロナ後の都政に筋道を着けた後に後任にバトンタッチすべきであろう。来年に行われる総選挙は都知事を兼務しながら新選組を率いて選挙戦をたたかい、衆議院に一定の勢力を確保することを目標とすべきだ。そして、その次の総選挙で一気に首相の座を取りにいく。
 このとき、山本太郎は危機に瀕したコロナ禍と都民生活を救い、都政を立て直した実績に裏打ちされた首相として国民に迎え入れられるであろう。もし、万一にもそうした私たちの期待に添うような活躍を、彼が都知事として示せなかったときは、私たちが彼にNOを突きつけるだけだ。 

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