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海外在住経験無し・非英語専攻の純日本人がTOEIC満点・英検1級を獲得して国際結婚するまでを振り返る【中学・高校・浪人時代編】

はじめまして。keikesuと申します。記事を読んでいただきどうもありがとうございます。

私はこれまで英語とのお付き合いに普通の日本人よりも多くの時間を割いてきていると思います。その結果、完璧というにはまだほど遠いけれど、家庭内で外国人の妻と英語で会話をしたり、仕事で英語を使って交渉したりということに抵抗を感じないというところまでは到達できました。

詳細は割愛しますが、私はAIなどの翻訳機能が今後進化を遂げたとしても外国語(主に英語)を学んで習得する価値はあると思っており、これからも多くの日本人が英語の習得にチャレンジすることと思います。私の真似をしていただく必要は一切ありませんが、私のこれまでの英語人生が今後ゼロから英語を学んでいく人の参考や動機付けになるのではないかと思い、つらつらと振り返ってみたいと思います。

■私と英語の出会い

タイトルにもある通り、私は両親ともに英語がさっぱりできない(中1レベルでアウト)日本人で、そんな親元で育った私も幼少の頃は特段英語などというものを意識することはほとんどありませんでした。

そんな感じだったので、どこが初めての英語との出会いだったのかよく分からないというのが正直なところですが、強いて言うなら、ご多分に漏れず、小学校の英語の授業でしょう。授業と言っても本格的なお勉強ではなく、ネイティブの先生と英語のゲームをして遊んだりするアレです。みなさんもご経験があることと思います。

それはさておくとすると、私が初めて英語の勉強をしたと言えるのは、小学校5年生の後半だったと記憶しています。中学になったら英語の授業が始まるということで、当時通っていた塾で少し先取りして勉強を開始しました。ただ、その塾というのは授業があるわけではなく、自習型なのでプリントに書かれた英単語をお手本に自分でも英単語を書いてみるというものでした。当時はローマ字がやっと書けるようになったくらいですから、appleやorangeといった単語ですらスペルを覚えるのに苦労していたと思います。

話が脱線しますが、私は英検1級を複数回受けた経験があり、毎回2次試験会場で小学校中学年くらいの受験生を見かけます。2次試験ですから、彼らは紛れもなく1次試験は合格しており、自分の小学生時代と比較すると末恐ろしいなと毎回本気で思っていました・・・。

■英語話せたらカッコイイなと思い始めた中学時代

中学に入って英語の授業が始まりました。私は曲がりなりにも同級生より先んじて英語の勉強を開始していたので、英語は決して苦手科目ではありませんでした。これは生まれつきなのかもしれませんが、私は単純な繰り返し作業や暗記作業は比較的苦にならない方で、しかもやればやるだけテストで成果がでるので、私は喜んで勉強をしていました。

また、英語の先生の「リピートアフターミー」で、初めて英語の発音というものに触れました。私はそれまで机上のお勉強しかしたことがなかったので、appleは当然「アップル」と読むのだと思っており、「アポー」のようになるとは思っていませんでした。漠然とそれっぽく発音したいと願った記憶はありますが、如何せん当時は英語の発音などというものは全く勉強したことが無かったので、真似すらできなかったというのが現実でした。

それから中学では文法を学ぶので、ごくごく簡単な英文であれば自力で作れるようになってきました。当時の私にとってはこれが楽しく、英語がすごく出来るようになったような気になって、日常生活で英語が使えるんじゃないかと思い始めました。ただ、当然ながら語彙力も文法力もまだまだ限定的だったので英語で言えることはほとんどなかった言うのが実態だったのですが、私は「今から言おうとしていることは英語で言えそうだ!!」と思ったら突然英語で言ってみるということをやっていた時期もありました。周囲からしたら「は?何言ってんだ、こいつ」って感じだったと思いますが、私は独りよがりの快感を感じていました。

あとは、たまに普段の英語の先生に加えてネイティブの先生も来て一緒に授業をやってくれることもありましたが、そこで繰り広げられる2人の英会話が私にはたまらなくカッコよく思えました。理由は分かりませんが、とにかくカッコよかったのです。今して思えば、そんなに大した内容は話していないのですが、当時の私には輝いて見えて、私もいつか英語を話せるようになりたいと思ったものでした。

■英語が受験科目としか思えなくなった高校時代

あるあるかもしれませんが、端的に言うと高校に入って英語の内容が一気に高度になったため、ついていけなくなりました。私は県内で1番の進学校に入ってしまったこともあり、授業のスピードも速く、周囲のレベルも高かったため、勉強にはとても苦心していました。加えて、結構忙しい部活に入ってしまったことや理系学部に行くために理数科目に力を入れていたこともあって、英語の勉強はさらに疎かになっていきました。正確な記憶ではないかもしれませんが、200点満点の校内実力テストで34点を取ってしまったこともありました(汗)・・・。

人間やはりできないことは楽しいと感じないようで、私の英語に対する興味や(勝手な)親近感もどんどん薄れていきました。授業の中身としても、英語を話すようなこともほとんどなくなり、完全に読解中心になっていったので、中学時代に自分が英会話に対して抱いた憧れもすっかり忘れ去っていました。

とはいえ、英語も立派な受験科目なので、受験が近づくにつれて遅ばせながらも必死で巻き返しを図りました。学力的には多少なりとも改善はされていったと思いますが、内容を楽しむ余裕は全くと言っていいほどなく、とにかく大学に入るために点を取らねばという焦りだけが原動力でした。

■英語力の基礎の基礎を築いた浪人時代

結局志望校には合格できずに浪人することになりました。言い訳ですが、高校時代は部活に明け暮れてそもそもあまり勉強していませんでした。それはさておき、私は大手予備校のK塾で1年間の浪人生活を送ることになりました。

浪人して(ある意味)心機一転した私は以前のように英語に自信が持てる自分になりたいという思いがあって、過去の栄光を取り戻すようなつもりで必死に勉強しました(もちろん大学に合格したいという思いもありました)。

英作文、英文法、英文解釈、英語長文の4種類の英語の授業が毎週あり、私は予習⇒授業で理解⇒復習の流れを欠かさず実行しました。復習は授業で先生が説明したことを何も見ないで自分で再現できるように徹底的にやりました。

今振り返ってみれば、この浪人時代に培った英語の基礎力は私のその後の英語力に大きく影響を与えました。英文解釈の授業でやった精読(英文を文法に照らし合わせて分析しながら理解する)や英作文の授業で習った「英語に訳す前にまずは和文が伝えたいことを咀嚼する」といったことは確実に今の私の中でも生きています。当時はTOEICで言えば600点に満たないレベルだったと思いますが、私の英語の基礎の基礎はこの時に構築されたと思っています。

私にとってラッキーだったのは努力の成果が比較的早く表れたことでした。確か夏前頃だったと思いますが、センター試験模試の英語で200点満点中196 点を取ることができました。こうなるとしめたもので、成果がでると勉強が楽しくなるので、私の勉強にも拍車がかかりました。まさに東進の渡辺先生が動画で仰っているとおりでした(渡辺先生の授業は受けたことありませんが・・・)。

ちなみに英単語の授業というのはなかったので、英単語だけは完全に自力で勉強をしました。やはり英単語力をある程度短期間で上達させるには英単語帳に頼らざるを得ないので、私はこちらの単語帳を使うことに決めました。

この単語帳で私がいいなと思ったのは、エビングハウスの忘却曲線の理論に基づいて復習のスケジュールが提示されていることでした。最初は半信半疑でしたが、間隔を少しづつ大きくしながら繰り返し復習することで受験に必要な英単語は確実に身につけることができました。

私が浪人したのはもちろん大学に不合格になったからなのですが、今思えばこの1年は自分の英語人生の中でも貴重な時間だったと思います。前年の試験では僅かに合格点に届かず不合格になったのですが、何かしらのラッキーでたまたま合格点が取れてしまっていたら、英語は苦手科目という意識を持ったままその後の人生を送ることになっていたと思います。そうすれば今の私はなかったと思うので、結果的には浪人してよかったとさえ思えます。

以下の記事へ続きます・・・


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